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山内上杉などと本格的に戦う前に甲斐の武田をなんとかしようか

 さて、北条家の後裔の家系に養子として入り、北条長氏と改名した俺が最初にやるべきことは伊豆・相模・駿河などに隣接している甲斐を抑えることかと思う。


 甲斐といえば甲斐源氏の武田が有名でこの時代も甲斐守護は武田氏で、武田信玄の曾祖父である武田信昌(たけだのぶまさ)が甲斐武田氏第16代当主だ。


 彼は父である武田信守(たけだのぶもり)の早世により、康正元年(1455年)に幼くして家督を継いだが、父も若年での相続だったこともあり、守護代の跡部駿河守明海・跡部上野介景家父子の専横を許していた。


 元々上杉禅秀の乱で敗れて自決した甲斐武田氏第13代当主の武田信満とその兄弟・息子・孫・女房たちの多くは戦死または自害し、甲斐武田家は存亡の危機に立たされた。


 その時甲斐守護になろうとしたのは同じ甲斐源氏の後裔である逸見氏であったが、室町将軍足利義持は逸見氏の甲斐守護任命を渋ったことで、逸見氏の甲斐守護への野望は挫折した。


 しかし、逸見有直が甲斐守護になりすましそのまま後打ちを行ったことで、面目を潰された室町将軍足利義持は、武田信満の弟の穴山満春を甲斐守護に任命することにし、武田信元と名乗りを改めて、小笠原政康の信濃軍と共に甲斐に入国した。


 そのときに小笠原政康の、代理として甲斐に派遣されたのが彼と縁続きの跡部駿河守明海・跡部上野介景家父子。


 寛正5年(1464年)に明海が死去すると、翌年には信濃諏訪領主諏訪信満の援助を受け夕狩沢合戦において跡部景家の軍を撃破して自害させることで、跡部氏は排斥したが、その他の有力国人衆の台頭に悩まされた。


 なお寛正6年(1465年)には室町幕府の指令で今川義忠と共に関東出陣を命じられたが、武田信昌はコレに従える状況でもなかった。


 現状では穴山氏、小山田氏に加えて大井氏、今井氏といった甲斐の国内の有力国人が自立の動きを見せていたりする。


「甲斐の国人衆を特に小山田氏を調略で味方につけたいのだができるか?」


 俺は風魔小太郎に聞いた。


「はい、現在の我々であれば可能かと思います」


「では、頼む」


「かしこまりました」


 小山田氏は甲斐の相模川流域の都留郡の中核地域を領しているが、相模川を抑える俺たちが塩の荷留をすれば窮地に陥るだろう。


 重いものを運ぶには川船を使うのが合理的だからな。


 相模川は富士五湖の一つでもある山中湖を水源としてまず北西に流れ、富士吉田で北東に折れ、都留を経て大月で流路を東に変えた後、厚木からは南にまっすぐ下り、最終的には相模湾に注ぐ。


 もしこの水路が遮断されれば甲斐へ登る川は富士川だけだがあちらは甲斐盆地に行くが大月や都留などには行かない。


 だから甲斐の東と西は綿密につながっているとも言えないのだ。


 史実において北条早雲は堀越御所から脱出した足利茶々丸の捜索を大義名分として、明応元年(1492年)に甲斐武田家の武田信縄・信恵兄弟が家督争いを起こしたことを見計らったかの如く、明応4年(1495年)に甲斐に攻め込み、甲斐守護武田信縄と戦っているが、この時にはめぼしい戦果自体は上がっていないようだ。


 この頃はまだ伊豆がまとまりきっていない頃でもあったからそのような結果になるのも当然だと思うが。


 南北朝時代に小山田高家は新田義貞に従い足利尊氏と戦っているので、北条を名乗った俺たちには従いやすい気もする。


 とりあえず甲斐の相模川近辺をこちらの勢力下に置くのは山内上杉と戦っているときに横合いから武田に攻撃をされるのを防ぐためにも大事だろう。


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― 新着の感想 ―
[一言] 史実の小山田、穴山は、北条と武田の両属という結構怪しいやつらでしたから、この世界線ではどうなるかな。 完全に北条側についてくれると良いのだけど。
[一言] 姉貴はやはり弟の独立に難色を示しましたか。伊勢氏もこれと言った失敗をせず手柄を順調に立てる盛時の独立は難色を示す気がします。 甲州は日本住血吸虫症の一大分布地です(信守もコレにやられたのでは…
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