どうも山内上杉は古河公方と扇谷上杉の離間を企んでいるようだ。
さて、今年もあれこれやっているうちに文明13年(1481年)になった。
昨年に野戦における夜戦や奇襲で山内上杉勢は破れ続けたこともあり、風魔小太郎の報告では山内上杉顕定は古河公方足利成氏に対して扇谷上杉軍を打ち破った暁には鎌倉に還住させるという使者を送ったようだ。
「まあ、古河公方足利成氏としても鎌倉へ戻れればそれに越したことはなく、山内上杉顕定にとっても古河公方足利成氏を敵にしたままで、享徳の乱のときのように下野や常陸の豪族まで加わって上野を攻撃されたら厄介だと考えるのは当然だろうな」
俺がそう言うと風魔小太郎はうなずく。
「長い間敵対して戦ってきたとは言え、名目上古河公方は関東管領の主家に当たります。
それ故に扇谷上杉方に古河公方が属しているのは山内上杉顕定にとっても良い状況ではないのでしょう」
そして大道寺重時も言った
「太田道灌は山内上杉顕定の画策に扇谷上杉定正が踊らされた結果として暗殺されたわけだし、扇谷上杉方と古河公方の間を割くのは簡単そうだよな」
「ああ、それは俺もそうだと思う。
止められそうな重臣も、もはや誰も居ないだろう」
実際そんなやつがいれば太田道灌が暗殺されることはなかったろう。
むしろ扇谷家中の家臣が江戸城や河越城の補修を怪しみ扇谷定正に讒言したとすら言われているわけだし、扇谷上杉方と古河公方の仲が悪化するのは時間の問題だろう。
「また山内上杉勢に相模の城が狙われるかもしれないな。
小田原あたりが落とされては流石に厄介なことに成るし、今年は相模に出張ることに成るかもしれぬ」
大道寺重時はうなずいていった。
「ああ、そうなる可能性は高そうだよな」
幸い昨年は軍事に関わることなく国内の内政統治に専念できたので警備兵としての常在戦力を整えることもできているから即座の対応は可能だ。
災害や飢饉に対しての避難場所であり食料貯蔵でもある山城の整備も十分進んだしまあなんとかなるだろう。




