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扇谷上杉定正は今のところ勝ってるがジリ貧なのは目に見えているな

 さて、今度は扇谷上杉定正が足利成氏および長尾景春とともに鉢形城へ2000の兵で攻め寄せ、山内上杉勢は、上杉顕定の実父で越後守護の上杉房定に援軍を求めて合流し、上杉顕定の拠る武蔵国鉢形城に程近い比企・大里の郡境の高見原で迎撃態勢を布いたがその兵力は3000程らしい。


 そしてこの合戦は夜戦となり扇谷上杉勢は山内上杉勢が休息するところを狙って攻撃を仕掛けたため、山内上杉勢は混乱して、鉢形城に敗走したが、結局、扇谷上杉定正たちは鉢形城を落とせず撤退している。


 やはり合戦には兵数が大事で、夜戦の奇襲で勝っても人馬は皆疲れ、若党も数知れず討たれという、大きな損害を出し、城を落とせなければ扇谷上杉勢の士気が上がるわけもなかった。


 扇谷上杉定正は”5年のうちに上野・武蔵・相模の諸士は、自分の幕下に参じるであろう”と豪語したものの、そもそも関東管領である山内上杉とその分家の一つに過ぎない扇谷上杉では従う者の数が違い、動員能力で圧倒的な差があるわけで、勝っているはずの扇谷上杉勢のほうがジリ貧なのは間違いなかった。


 一方の京の方はと言えば幕府の管領の畠山政長は越中と紀伊しか確保できていないこともあって、俺が畿内へ戻ってきて幕府の財政などに関して余計な口出しをされたくないのか、今の関東や今川家の状況で俺を呼び戻すのは危険だと日野富子へ言ったようだ。


 それ自体はまったくもって事実であるし、俺としても今更京の都へ戻って神経をすり減らす様な政治に関わりたくないので助かるが。


 表沙汰にならない程度に大森憲頼へ資金提供なども行いつつ、和紙作りを推奨して売らせ、人工栽培に成功した椎茸を干してこれも売って金を得て、狩野川下流の治水工事にそれをつぎ込んでいるように見せつつも、雇う流れ者を少しずつ増やして現状は富国強兵に努めている。


 武蔵の戦いに加われと言われるのが先か、小田原城の攻撃を受けるのが先かといった状況だが戦力を増やしておくに越したことはないからな。

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― 新着の感想 ―
[一言] 小田原北条の家督相続や評定は足利の反省ですね。鎌倉も室町も必要な失敗であり、失敗と反省、改善の果てに今の日本が有る事が良く分かります。
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