情報源としては諏訪神社の流れ巫女もいたほうが良いか
ここ備中荏原庄には、諏訪神社がある。
その由来は那須与一宗隆が得た備中江原荘へ弟の那須宗晴が着任する時に信濃の諏訪大社に参詣して、武運長久を祈願し、その時に諏訪大社上社の祭神建御名方命と八坂刀売命の二神を分霊勧請して荏原庄に神殿を建立して二神を祭ったのが始まりとされそれは現在でも現存している。
そして信濃にある諏訪大社は信濃國一之宮として全国に横のつながりがある最大規模の神社であり、信濃巫女と呼ばれ諏訪大社から日本各地を歩いた歩き巫女を戦国時代に望月千代女が訓練し、いわゆるくの一として武田氏のために使ったとされるが、それ以前から諏訪神社の巫女は諏訪信仰の伝道師として全国各地を歩いて勧進を募っていたのである。
しかし、時代が下ると諏訪大社の権威も落ちてしまい、彼女たちはイズナを使い、口寄せを行う巫女として全国を回ることとなって備中ではコンガラサマと呼ばれていた。
彼女たちは下は17歳から上は30歳程度の美女で、「巫女の口ききなさらんか」と言って、外法箱と呼ばれる小さな箱を背負い、二三人で連れ立って口寄せ、祈祷などを行い、それと共に春も売ったから一種の遊女のような立場でもあった。
「ここ荏原荘の諏訪神社に来る歩き巫女にも情報収集に協力願うか」
俺は諏訪神社にいる巫女達に、豊作を願い神に捧げる神楽を行なうことを要請して屋敷に来てもらうことにした。
こういった巫女たちが舞い唄う神楽は娯楽の1つでもある。
そして信濃巫女たちが屋敷へやってきた。
「私達をお呼びいただきありがとうございます。
そして私達に求めるものはなんでございましょうか?」
彼女たちはいわゆる巫女装束の白い小袖ではないが、下は紅梅の袴姿で屋敷へ参じてきた。
そして信濃巫女の一番年かさの巫女が俺に聞いてきた。
「うむ、俺が求めるは周囲で起きていること、すなわち情報だ。
隣の郡でなにが起きているかなどの正確な情報がほしいが巫女であるお前たちならおそらくその入手は容易であろう。
それを得て俺へ持ってきてくれれば、それに応じて報奨を出すつもりである。
また諏訪大社の豊作祈願の神楽を皆には舞ってもらいたいのだ」
俺がそう言うと彼女たちが目配せし合った。
「できれば今先に志をいただきたく思います」
「ふむ、そちらは生活に困っているのか?」
「はい」
「わかった、巫女である以上は肉食は禁忌であろうな」
「はい」
「ではすぐに食事を用意させよう」
「ありがとうございます」
この時期は世俗的にも寺の影響が大きくなっているので神社の巫女の生活も楽ではないらしい。
彼女たちに飯と味噌汁に漬物などを出すとありがたいありがたいと言いながら食べている。
「ふむ、孤児や捨て子などを集めてみて、女で美しいものはお前たちと同様の巫女にするのもよいか」
「それは……おそらく問題ないかと」
まあ俺がいつまでここ荏原荘にいるかはわからないが、諏訪大社の伝を作っておくのも、くの一として歩き巫女を抱えるのも、孤児や捨て子を救済するのもそれなりには意味があるだろう。
なおこの時代においては酒は僧坊酒と呼ばれ、大きな寺院で作られることが多かったが、名目上飲酒や酒造が禁じられている寺ではなく、清めに必要な神社でも作られていることが多い。
その他でも石清水八幡宮は油の製造に必要な原料の荏胡麻購入の独占権を持っており、北野社は酒の製造に必要な麹を独占する麹座を、祇園社は軍需物資として大事な材木や綿の販売を独占する材木座や綿座を、日吉大社は紙座として紙の製造や販売・輸送を占するなどのように神社が製造や商業を取り仕切っているが、同じように寺は土倉を通じて金貸し、すなわち金融を行っており、実際は神仏習合でその区別はあまり意味がないのがこの時代である。




