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うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい

全ての道はコンビニに通ず 〜うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい〜

作者: 尾白景
掲載日:2026/02/07

 これは俺が古代ローマに似た異世界へと転生するよりずっと前、姉と過ごした思い出の一幕―――――



挿絵(By みてみん)


「……だめだ。道のりなんて、適当でいいじゃん。なんでこんなの計算しなきゃいけないんだよ」


 二月のまだ冷たい風が窓を叩く日曜日の夕方。

 小学五年生の俺、匠はリビングの食卓に突っ伏して、算数の宿題を前に絶望していた。


 今日の敵は「速さと時間と道のり」だ。


『時速4kmで歩く人が、1.2km先の目的地に着くのは何分後か』


 教科書の挿絵に描かれた、暢気に腕を振って歩くピクトグラムのようなイラストが、今の俺には嫌がらせにしか見えない。


「時速4kmって言ったって、信号待ちもあるし、犬のフンを避けることもあるだろ。ずっと一定のペースで歩ける人間なんてロボットだけだよ……」


 ブツブツと文句を言ってペンを投げ出す。


 足元では、お気に入りのおもちゃを咥えてきたミニチュアダックスの『きなこ』が、遊んでくれない俺を不思議そうに見上げていた。


「クゥーン……」


「ごめんきなこ、今、算数という名の迷宮で遭難中なんだ」


 俺が深いため息をついた、その時だった。


「嘆かわしいわね、匠。そんな腑抜けたことを言っていると、いつかゲルマンの森で迷って野垂れ死ぬわよ」


 キッチンから冷たい麦茶を持って現れたのは、姉の真綾だった。

 しかし、その格好はいつもの部屋着ではない。

 真紅のストールを、古代ローマの将軍が纏うマント(パルダメントゥム)のように肩から豪快に羽織り、右手に長い測量用メジャー、左手にストップウォッチを握りしめている。


「距離を制する者は世界を制する。これは歴史の鉄則よ。机の上で腐っている暇があったら、現場に出なさい!」


「現場って……歴史の鉄則とか言われても、これたかが算数の宿題だよ、姉ちゃん」


「たかが算数? 甘いわね」


 真綾は眼鏡の奥の瞳をギラリと光らせ、俺のノートを指差した。


「いい? 古代ローマがなぜ千年も栄え、世界を支配できたか。それは『アッピア街道』をはじめとする完璧な道路網があったからよ! ローマ人はね、街道に一マイルごとに石の標識――マイルストーンを置いたの。測量にセンチ単位の誤差も許さなかったわ」


「はぁ……」


「距離と時間が正確にわかれば、軍隊の到着時間も、運ぶ食料の量も完璧に管理できる。算数ができない皇帝なんて、ただの迷子なのよ! さあ、測量技師グロマティキになりなさい、匠!」


 真綾は窓の外、夕暮れの街を指差してドヤ顔を決めた。


「今日からこの家の玄関は、ローマの中心地に建てられた『黄金の里程標ミリアリウム・アウレウム』よ。私たちの『アッピア街道』――ここからコンビニまでの正確な時間を、あなたの足で計測するわよ!」


「ええっ!? 今から行くの!? 外、まだ寒いよ!」


「寒さなど、熱きローマ魂で吹き飛ばすのよ! 行くわよ、きなこ!」


「ワンッ!」


 きなこは「散歩だ!」と勘違いして大喜びだ。

 俺は有無を言わさず、首根っこを掴まれて玄関へと引きずり出された。


 ◇


 外に出ると、立春を過ぎた名ばかりの春をあざ笑うような冷たい北風がピューピューと吹いていた。

 俺は上着のファスナーを首まで上げたが真綾は薄手のニットにストール一枚という軽装で、仁王立ちしている。寒くないのだろうか。


「いい、匠。ここを『黄金の里程標』とする。目的地は1.2km先の『帝国の食料貯蔵庫コンビニ』目標タイムは、あなたの算数の答え通り『十八分』よ!」


「十八分……でも、時速4kmで歩くって言われても、どれくらいの速さかわかんないよ」


「そう来ると思って、ペースメーカーを用意したわ」


 真綾はストップウォッチを掲げ、不敵に笑った。


「時速4kmはローマ歩兵の基本速度。リズムが命よ。私がローマ軍団レギオン伝統の行軍歌を歌うから、それに合わせて歩きなさい!」


「え、歌? ここで?」


 嫌な予感がした瞬間、真綾は住宅街の真ん中で、手拍子を取りながら高らかに歌い出した。


「♪進め〜っ、パクス・ロマーナ! 右足デクストラ! 左足シニストラ!」


「ちょ、姉ちゃん! 声でかいって!」


 俺の制止など聞こえないフリをして、真綾はズンズンと歩き出す。


「♪全ての道はローマに通ず〜っ! 我らの汗は〜、帝国の礎〜っ! パンと見世物を求めて〜、踏み出せ凱旋パレードだ〜っ!!」


 朗々とした歌声が、夕暮れの空に響き渡る。

 近所の家の窓が開く音がした。散歩中の老夫婦が、ギョッとした顔でこちらを見ている。

 俺は顔から火が出るほど恥ずかしかった。


「姉ちゃん、お願いだから静かにして! 蛮族きんじょのひとに見られてるから!」


「声が小さい! 恥ずかしがるな、胸を張れ! 歩幅を一定に保つのよ!」


 真綾は全く動じない。むしろ、観客がいることでさらに調子に乗っている。

 俺は「他人です」という顔をしたかったが、きなこが嬉しそうに「ワンワン!」と合いの手を入れるので、逃げることもできない。


 結果として。

 俺は「一刻も早くこの恥ずかしい行軍を終わらせてコンビニに入りたい」という一心で、姉ちゃんの刻むハイペースなリズムに必死に食らいついた。


 ◇


「……到着!」


 コンビニの自動ドアの前に着いた瞬間、真綾がストップウォッチを止めた。

 俺は肩で息をしながら、ガラスに映る自分を見た。恥ずかしさと運動で、体はポカポカだ。


「タイム、十八分〇二秒。誤差は信号待ちの分のみ……完璧よ」


 真綾が画面を見せてくる。

 俺は目を見開いた。


「えっ、すげぇ……本当についた」


 1.2km÷時速4km=0.3時間。

 0.3時間×60分=18分。

 机の上で計算していただけの数字が、現実の世界とピタリと重なった。


 ただの面倒な記号の羅列だと思っていた数式が、まるで未来を予知する魔法のように思えてくる。


「計算って、本当に当たるんだ……」

「ふふん。言ったでしょう? 数学とは神の言語であり、ローマの秩序なのよ」


 真綾は満足げに頷くと、「よく耐えたわね、新米兵士」と言って俺の頭をポンと叩いた。



「褒美を与えるわ。ローマ皇帝も愛した(という設定の)、小麦と肉の至宝を買ってあげる」


 そう言って真綾がカゴに入れたのは、レジ横の保温器で湯気を上げている『プレミアム極上肉まん』だった。


 俺の大好物だ。

「やった! 一番高いやつだ!」

「兵士には十分な給与(サラル)が必要だからね。……まあ、私が食べたかっただけだけど」


 会計を済ませ、ホカホカの肉まんを二つ手にして店を出る。

 手の中に伝わる温かさが、幸せそのものだった。

 しかし。

 自動ドアを出た瞬間、俺たちは「うぅっ」と声を漏らした。


 日が落ちて、気温が急激に下がっている。

 ビューッ! と冷たい北風が吹き抜け、きなこが「ブルルッ」と身震いをした。


「寒い……行きより寒くなってるよ」

 俺が首をすくめると、真綾の表情が険しくなった。彼女は自分の手にある肉まんと、スマホの気温表示(5℃)を交互に見つめる。


「匠、緊急事態よ」


「え?」


「この肉まんは皮が厚いとはいえ、この寒空の下では……計算上、あと『十二分』で『神の熱さ』を失うわ。ただの冷たい小麦粉の塊に成り下がる」


「じ、十二分!? 行きは十八分かかったのに!」


 俺は悲鳴を上げた。せっかくのプレミアム肉まんが冷めてしまうなんて、絶望だ。


「だから計算しなさい、匠」

 真綾は冷徹な将軍の顔で俺に問うた。


「帰り道は同じ1.2km。熱々のまま持ち帰るために、十二分(0.2時間)で走破するには、時速何kmで歩く必要がある?」


「えっ、ええと……」


 寒さに震えながら、俺は頭をフル回転させる。

 道のり÷時間=速さ。

 1.2割る……0.2は……

 小数点をずらして、12割る2!


「ろ、六だ! 時速6km!」

「正解!」


 真綾がニヤリと笑った。

「行きの1.5倍の速さよ。これはもはや散歩ではない。総員、強行軍(マグナ・イテラ)!」


 ◇


「はぁっ、はぁっ……!」


 帰りの道は、まさに戦場だった。

 俺たちは競歩のような速さで歩道を突き進んだ。

 しかし、敵は距離だけではなかった。


 ビューオォォォッ!


 向かい風が強すぎる。

 袋に入っているとはいえ、風が当たるたびに肉まんの熱が奪われていくのが分かる。


「まずい、風が強すぎる! これじゃ計算より早く冷めちゃうかも!」


 俺が焦って叫ぶと、先頭を歩いていた真綾が急に立ち止まった。


「姉ちゃん? どうしたの、急がないと!」


 真綾は何も言わず、自分の首に巻いていた真紅のストールに手を掛けた。

 それはこの冬に買ったばかりの、お気に入りのカシミヤのストールだ。


「私の首より帝国の糧が優先よ! こいつを包みなさい!」


 真綾はバサリとストールを外すと、俺が持っていた肉まんの袋を幾重にもぐるぐる巻きにした。

 分厚いカシミヤの層が、冷たい風を完全にシャットアウトする。


「えっ、でも姉ちゃん、それじゃ姉ちゃんが寒いじゃん!」


 薄手のニット一枚になった姉ちゃんの首筋が、寒さで白くなっている。


「か、勘違いしないで。私が食べるときに冷めてたら嫌なだけよ! ……っくしゅん!」


 豪快にくしゃみを一つすると、真綾は鼻を赤くして叫んだ。


「ほら、行くわよ! 遅れたら極刑よ!」


 そう言って再び歩き出した姉の背中は、寒さで少し震えていたけれど、ローマの将軍のように頼もしく――そして、どうしようもなく優しかった。


 ◇


「……到着!」


 玄関を開け、リビングに飛び込んだ俺たちは、ストップウォッチを確認した。


 タイムは十一分五十秒。

 ギリギリのクリアだ。


「せ、セーフ……!」


 俺たちは慌ててストールを解いた。

 中から現れた肉まんは、まるで蒸したてのように湯気を上げ、アツアツのままだった。


「やった! 熱いままだ!」

「当然よ。ローマの兵站へいたん管理を舐めないで」


 俺たちは手を洗い、リビングのテーブルで肉まんを頬張った。

 冷え切った体に、肉汁の旨味と生地の甘さが染み渡る。


「うまっ……! 最高だ……」

「んん〜っ! これよ、この熱さこそが正義よ!」


 真綾も眼鏡を湯気で曇らせながら、幸せそうにハフハフと食べている。

 俺は肉まんを飲み込み、隣の姉ちゃんを見た。

 首元はまだ少し赤くて、寒そうだった。


「……ありがとう、姉ちゃん。マフラーのおかげだよ。それに、計算も役に立つんだね」


 俺が素直に礼を言うと、真綾は熱いお茶をすすりながら、プイッと顔を背けた。


「ふ、ふん。当然よ。全ての道はローマに通じ、全ての計算は肉まんに通ずるのよ」


 そう言って熱いお茶をすすると、真綾は立ち昇る湯気で真っ白に曇った眼鏡を直そうともせず、そのままじっと押し黙ってしまった。


「……姉ちゃん、眼鏡真っ白だよ。前見えてる?」


「……あえて視界を遮断しているのよ。将軍は時には、部下の顔を見ないことで威厳を保つの」


 曇ったレンズの奥で、その目が嬉しそうに細められているのを俺は見逃さなかった。


「……あー、それにしても寒い。ローマの風呂に入りたいわね」


 真綾はそう呟くと、足元で丸くなっていたきなこをひょいと抱き上げた。

 そして、湯たんぽ代わりにするように、ギュッと胸に抱きしめる。


「ワン?」


「じっとしてなさい。貴様は今から『生ける温石おんじゃく』として、将軍の冷えた体を温める任務に就くのよ」


「……姉ちゃん、それただ単に寒いだけでしょ」


 きなこの温もりに顔を埋めてとろけている姉ちゃんを見て、俺は苦笑いした。

 俺は自分の着ていた半纏はんてんを脱いで、姉ちゃんの肩に掛けてやった。


「風邪引いたらローマ帝国が滅びちゃうからね」


「……生意気ね、平民のくせに」


 少し照れくさそうに笑う姉弟と一匹のいるリビングは、ローマの浴場のようにポカポカと温かかった。

本作をお読みいただきありがとうございます。

お楽しみ頂けましたら★★★★★評価お願いいたします。


【お知らせ】

2月06日(金)から2月22(日)までの17日間、17時30分に毎日投稿します。


スケジュール

06金曜:武器物語25話

07土曜:うちの姉ちゃん〜コンビニ編

08日曜:うちの姉ちゃん〜テコの原理編

09月曜:武器物語26話

10火曜:うちの姉ちゃん〜洗濯編

11水曜:武器物語27話

12木曜:うちの姉ちゃん〜コンクリート編

13金曜:武器物語28話

14土曜:うちの姉ちゃん〜バレンタイン編

15日曜:うちの姉ちゃん〜ローマのプリン編

16月曜:武器物語29話

17火曜:うちの姉ちゃん〜雪玉編

18水曜:武器物語30話

19木曜:うちの姉ちゃん〜『蜻蛉切』編

20金曜:武器物語31話

21土曜:うちの姉ちゃん〜猫の日前日譚

22日曜:武器物語・特別短編


ぜひ、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。


【匠の「その後」の物語はこちら!】

本作で匠が学んだ「無駄すぎる知識」が、異世界で最強の武器になる――!?


匠が古代ローマ風異世界に剣闘士として転生し、姉ちゃんの知識で成り上がる本編、『転生式異世界武器物語』も好評連載中です!


本編では実在した武器の“武器解説”、絵師様による“挿絵”付きの豪華な長編となっています。

ぜひ合わせてチェックしてみてください!


『転生式異世界武器物語』

https://book1.adouzi.eu.org/n3948lb/



※こちらのイラストにはAIを使用して製作しております。

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― 新着の感想 ―
こんにちは!今回も面白かったです(≧▽≦) 寒い帰り道の中、必死な2人の姿を想像するだけで「ふふっ」となりました(^^) これから、こんなにたくさんのお姉さんが見れるんですか!?ありがとうございます!
「か、勘違いしないで」って…… ほんともう、お姉様ったら……ツンデレの鏡すぎる……! この兄弟、大好きです!!
蛮族のルビwww 傍から眺めるには可愛らしい姉弟ですが、お知り合いにはちょっと嬉しいか悩みどころです わーい!これから姉上(作品)に沢山殴って貰える♪
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