全ての道はコンビニに通ず 〜うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい〜
これは俺が古代ローマに似た異世界へと転生するよりずっと前、姉と過ごした思い出の一幕―――――
※
「……だめだ。道のりなんて、適当でいいじゃん。なんでこんなの計算しなきゃいけないんだよ」
二月のまだ冷たい風が窓を叩く日曜日の夕方。
小学五年生の俺、匠はリビングの食卓に突っ伏して、算数の宿題を前に絶望していた。
今日の敵は「速さと時間と道のり」だ。
『時速4kmで歩く人が、1.2km先の目的地に着くのは何分後か』
教科書の挿絵に描かれた、暢気に腕を振って歩くピクトグラムのようなイラストが、今の俺には嫌がらせにしか見えない。
「時速4kmって言ったって、信号待ちもあるし、犬のフンを避けることもあるだろ。ずっと一定のペースで歩ける人間なんてロボットだけだよ……」
ブツブツと文句を言ってペンを投げ出す。
足元では、お気に入りのおもちゃを咥えてきたミニチュアダックスの『きなこ』が、遊んでくれない俺を不思議そうに見上げていた。
「クゥーン……」
「ごめんきなこ、今、算数という名の迷宮で遭難中なんだ」
俺が深いため息をついた、その時だった。
「嘆かわしいわね、匠。そんな腑抜けたことを言っていると、いつかゲルマンの森で迷って野垂れ死ぬわよ」
キッチンから冷たい麦茶を持って現れたのは、姉の真綾だった。
しかし、その格好はいつもの部屋着ではない。
真紅のストールを、古代ローマの将軍が纏うマントのように肩から豪快に羽織り、右手に長い測量用メジャー、左手にストップウォッチを握りしめている。
「距離を制する者は世界を制する。これは歴史の鉄則よ。机の上で腐っている暇があったら、現場に出なさい!」
「現場って……歴史の鉄則とか言われても、これたかが算数の宿題だよ、姉ちゃん」
「たかが算数? 甘いわね」
真綾は眼鏡の奥の瞳をギラリと光らせ、俺のノートを指差した。
「いい? 古代ローマがなぜ千年も栄え、世界を支配できたか。それは『アッピア街道』をはじめとする完璧な道路網があったからよ! ローマ人はね、街道に一マイルごとに石の標識――マイルストーンを置いたの。測量にセンチ単位の誤差も許さなかったわ」
「はぁ……」
「距離と時間が正確にわかれば、軍隊の到着時間も、運ぶ食料の量も完璧に管理できる。算数ができない皇帝なんて、ただの迷子なのよ! さあ、測量技師になりなさい、匠!」
真綾は窓の外、夕暮れの街を指差してドヤ顔を決めた。
「今日からこの家の玄関は、ローマの中心地に建てられた『黄金の里程標』よ。私たちの『アッピア街道』――ここからコンビニまでの正確な時間を、あなたの足で計測するわよ!」
「ええっ!? 今から行くの!? 外、まだ寒いよ!」
「寒さなど、熱きローマ魂で吹き飛ばすのよ! 行くわよ、きなこ!」
「ワンッ!」
きなこは「散歩だ!」と勘違いして大喜びだ。
俺は有無を言わさず、首根っこを掴まれて玄関へと引きずり出された。
◇
外に出ると、立春を過ぎた名ばかりの春をあざ笑うような冷たい北風がピューピューと吹いていた。
俺は上着のファスナーを首まで上げたが真綾は薄手のニットにストール一枚という軽装で、仁王立ちしている。寒くないのだろうか。
「いい、匠。ここを『黄金の里程標』とする。目的地は1.2km先の『帝国の食料貯蔵庫』目標タイムは、あなたの算数の答え通り『十八分』よ!」
「十八分……でも、時速4kmで歩くって言われても、どれくらいの速さかわかんないよ」
「そう来ると思って、ペースメーカーを用意したわ」
真綾はストップウォッチを掲げ、不敵に笑った。
「時速4kmはローマ歩兵の基本速度。リズムが命よ。私がローマ軍団伝統の行軍歌を歌うから、それに合わせて歩きなさい!」
「え、歌? ここで?」
嫌な予感がした瞬間、真綾は住宅街の真ん中で、手拍子を取りながら高らかに歌い出した。
「♪進め〜っ、パクス・ロマーナ! 右足! 左足!」
「ちょ、姉ちゃん! 声でかいって!」
俺の制止など聞こえないフリをして、真綾はズンズンと歩き出す。
「♪全ての道はローマに通ず〜っ! 我らの汗は〜、帝国の礎〜っ! パンと見世物を求めて〜、踏み出せ凱旋パレードだ〜っ!!」
朗々とした歌声が、夕暮れの空に響き渡る。
近所の家の窓が開く音がした。散歩中の老夫婦が、ギョッとした顔でこちらを見ている。
俺は顔から火が出るほど恥ずかしかった。
「姉ちゃん、お願いだから静かにして! 蛮族に見られてるから!」
「声が小さい! 恥ずかしがるな、胸を張れ! 歩幅を一定に保つのよ!」
真綾は全く動じない。むしろ、観客がいることでさらに調子に乗っている。
俺は「他人です」という顔をしたかったが、きなこが嬉しそうに「ワンワン!」と合いの手を入れるので、逃げることもできない。
結果として。
俺は「一刻も早くこの恥ずかしい行軍を終わらせてコンビニに入りたい」という一心で、姉ちゃんの刻むハイペースなリズムに必死に食らいついた。
◇
「……到着!」
コンビニの自動ドアの前に着いた瞬間、真綾がストップウォッチを止めた。
俺は肩で息をしながら、ガラスに映る自分を見た。恥ずかしさと運動で、体はポカポカだ。
「タイム、十八分〇二秒。誤差は信号待ちの分のみ……完璧よ」
真綾が画面を見せてくる。
俺は目を見開いた。
「えっ、すげぇ……本当についた」
1.2km÷時速4km=0.3時間。
0.3時間×60分=18分。
机の上で計算していただけの数字が、現実の世界とピタリと重なった。
ただの面倒な記号の羅列だと思っていた数式が、まるで未来を予知する魔法のように思えてくる。
「計算って、本当に当たるんだ……」
「ふふん。言ったでしょう? 数学とは神の言語であり、ローマの秩序なのよ」
真綾は満足げに頷くと、「よく耐えたわね、新米兵士」と言って俺の頭をポンと叩いた。
「褒美を与えるわ。ローマ皇帝も愛した(という設定の)、小麦と肉の至宝を買ってあげる」
そう言って真綾がカゴに入れたのは、レジ横の保温器で湯気を上げている『プレミアム極上肉まん』だった。
俺の大好物だ。
「やった! 一番高いやつだ!」
「兵士には十分な給与が必要だからね。……まあ、私が食べたかっただけだけど」
会計を済ませ、ホカホカの肉まんを二つ手にして店を出る。
手の中に伝わる温かさが、幸せそのものだった。
しかし。
自動ドアを出た瞬間、俺たちは「うぅっ」と声を漏らした。
日が落ちて、気温が急激に下がっている。
ビューッ! と冷たい北風が吹き抜け、きなこが「ブルルッ」と身震いをした。
「寒い……行きより寒くなってるよ」
俺が首をすくめると、真綾の表情が険しくなった。彼女は自分の手にある肉まんと、スマホの気温表示(5℃)を交互に見つめる。
「匠、緊急事態よ」
「え?」
「この肉まんは皮が厚いとはいえ、この寒空の下では……計算上、あと『十二分』で『神の熱さ』を失うわ。ただの冷たい小麦粉の塊に成り下がる」
「じ、十二分!? 行きは十八分かかったのに!」
俺は悲鳴を上げた。せっかくのプレミアム肉まんが冷めてしまうなんて、絶望だ。
「だから計算しなさい、匠」
真綾は冷徹な将軍の顔で俺に問うた。
「帰り道は同じ1.2km。熱々のまま持ち帰るために、十二分(0.2時間)で走破するには、時速何kmで歩く必要がある?」
「えっ、ええと……」
寒さに震えながら、俺は頭をフル回転させる。
道のり÷時間=速さ。
1.2割る……0.2は……
小数点をずらして、12割る2!
「ろ、六だ! 時速6km!」
「正解!」
真綾がニヤリと笑った。
「行きの1.5倍の速さよ。これはもはや散歩ではない。総員、強行軍!」
◇
「はぁっ、はぁっ……!」
帰りの道は、まさに戦場だった。
俺たちは競歩のような速さで歩道を突き進んだ。
しかし、敵は距離だけではなかった。
ビューオォォォッ!
向かい風が強すぎる。
袋に入っているとはいえ、風が当たるたびに肉まんの熱が奪われていくのが分かる。
「まずい、風が強すぎる! これじゃ計算より早く冷めちゃうかも!」
俺が焦って叫ぶと、先頭を歩いていた真綾が急に立ち止まった。
「姉ちゃん? どうしたの、急がないと!」
真綾は何も言わず、自分の首に巻いていた真紅のストールに手を掛けた。
それはこの冬に買ったばかりの、お気に入りのカシミヤのストールだ。
「私の首より帝国の糧が優先よ! こいつを包みなさい!」
真綾はバサリとストールを外すと、俺が持っていた肉まんの袋を幾重にもぐるぐる巻きにした。
分厚いカシミヤの層が、冷たい風を完全にシャットアウトする。
「えっ、でも姉ちゃん、それじゃ姉ちゃんが寒いじゃん!」
薄手のニット一枚になった姉ちゃんの首筋が、寒さで白くなっている。
「か、勘違いしないで。私が食べるときに冷めてたら嫌なだけよ! ……っくしゅん!」
豪快にくしゃみを一つすると、真綾は鼻を赤くして叫んだ。
「ほら、行くわよ! 遅れたら極刑よ!」
そう言って再び歩き出した姉の背中は、寒さで少し震えていたけれど、ローマの将軍のように頼もしく――そして、どうしようもなく優しかった。
◇
「……到着!」
玄関を開け、リビングに飛び込んだ俺たちは、ストップウォッチを確認した。
タイムは十一分五十秒。
ギリギリのクリアだ。
「せ、セーフ……!」
俺たちは慌ててストールを解いた。
中から現れた肉まんは、まるで蒸したてのように湯気を上げ、アツアツのままだった。
「やった! 熱いままだ!」
「当然よ。ローマの兵站管理を舐めないで」
俺たちは手を洗い、リビングのテーブルで肉まんを頬張った。
冷え切った体に、肉汁の旨味と生地の甘さが染み渡る。
「うまっ……! 最高だ……」
「んん〜っ! これよ、この熱さこそが正義よ!」
真綾も眼鏡を湯気で曇らせながら、幸せそうにハフハフと食べている。
俺は肉まんを飲み込み、隣の姉ちゃんを見た。
首元はまだ少し赤くて、寒そうだった。
「……ありがとう、姉ちゃん。マフラーのおかげだよ。それに、計算も役に立つんだね」
俺が素直に礼を言うと、真綾は熱いお茶をすすりながら、プイッと顔を背けた。
「ふ、ふん。当然よ。全ての道はローマに通じ、全ての計算は肉まんに通ずるのよ」
そう言って熱いお茶をすすると、真綾は立ち昇る湯気で真っ白に曇った眼鏡を直そうともせず、そのままじっと押し黙ってしまった。
「……姉ちゃん、眼鏡真っ白だよ。前見えてる?」
「……あえて視界を遮断しているのよ。将軍は時には、部下の顔を見ないことで威厳を保つの」
曇ったレンズの奥で、その目が嬉しそうに細められているのを俺は見逃さなかった。
「……あー、それにしても寒い。ローマの風呂に入りたいわね」
真綾はそう呟くと、足元で丸くなっていたきなこをひょいと抱き上げた。
そして、湯たんぽ代わりにするように、ギュッと胸に抱きしめる。
「ワン?」
「じっとしてなさい。貴様は今から『生ける温石』として、将軍の冷えた体を温める任務に就くのよ」
「……姉ちゃん、それただ単に寒いだけでしょ」
きなこの温もりに顔を埋めてとろけている姉ちゃんを見て、俺は苦笑いした。
俺は自分の着ていた半纏を脱いで、姉ちゃんの肩に掛けてやった。
「風邪引いたらローマ帝国が滅びちゃうからね」
「……生意気ね、平民のくせに」
少し照れくさそうに笑う姉弟と一匹のいるリビングは、ローマの浴場のようにポカポカと温かかった。
本作をお読みいただきありがとうございます。
お楽しみ頂けましたら★★★★★評価お願いいたします。
【お知らせ】
2月06日(金)から2月22(日)までの17日間、17時30分に毎日投稿します。
スケジュール
06金曜:武器物語25話
07土曜:うちの姉ちゃん〜コンビニ編
08日曜:うちの姉ちゃん〜テコの原理編
09月曜:武器物語26話
10火曜:うちの姉ちゃん〜洗濯編
11水曜:武器物語27話
12木曜:うちの姉ちゃん〜コンクリート編
13金曜:武器物語28話
14土曜:うちの姉ちゃん〜バレンタイン編
15日曜:うちの姉ちゃん〜ローマのプリン編
16月曜:武器物語29話
17火曜:うちの姉ちゃん〜雪玉編
18水曜:武器物語30話
19木曜:うちの姉ちゃん〜『蜻蛉切』編
20金曜:武器物語31話
21土曜:うちの姉ちゃん〜猫の日前日譚
22日曜:武器物語・特別短編
ぜひ、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
【匠の「その後」の物語はこちら!】
本作で匠が学んだ「無駄すぎる知識」が、異世界で最強の武器になる――!?
匠が古代ローマ風異世界に剣闘士として転生し、姉ちゃんの知識で成り上がる本編、『転生式異世界武器物語』も好評連載中です!
本編では実在した武器の“武器解説”、絵師様による“挿絵”付きの豪華な長編となっています。
ぜひ合わせてチェックしてみてください!
『転生式異世界武器物語』
https://book1.adouzi.eu.org/n3948lb/
※こちらのイラストにはAIを使用して製作しております。




