28. 微かな希望
「む、無茶を言わないで!? わ、私はブラッド様の言う通りにしていただけなの!」
ミネルヴァ様がブンブンと首を強く横に振る。
私は冷ややかな目で彼女を見下ろす。
「ブラッド様の……?」
「そ、そうよ!! ル、ルキア様の力を自分の物にすれば、もっと、し、幸せになれるからって……」
「幸せ……」
ミネルヴァ様は、とにかく無理無理無理と必死に首を横に振るばかり。
「それに、これも本当の“ストーリー”とは違うの、違うんだから!!」
「……」
本当のストーリー?
よく意味が分からない。
「……っっ」
ミネルヴァ様の肩から手を離し拳を強く握りしめる。
悔しい。
もちろん、力を返せなんて自分でも無茶なことを言っていると分かっている。
それでも言わずにはいられなかった。
ミネルヴァ様は、今の言葉で私の力を奪ったことを自白したようなものだけれど、私の方こそ彼女に問いたい。
────人の力を無理やり奪ってそれであなたは本当に幸せなの? と。
(でも、聞いても無駄ね)
今のミネルヴァ様にそんなことを言ったところで、人のせいにばかりしている彼女にはきっと何も響かない。
私は静かにため息を吐いた。
それでも今、この瞬間に何か奇跡でも起きてミネルヴァ様の力が私の元へと戻って来てくれればいいのに……
「……悔しいけれど、きっとそんな奇跡が起きるのは“物語”の世界でだけの話なのよね」
だから、奇跡なんて起きない。
私の力は今も空っぽのまま。
そっと自分の両手を見つめた。
「───ルキア様」
そこでお医者様から声がかかる。
振り返るとお医者様は静かに首を横に振っていた。
ミネルヴァ様には期待出来ない。諦めろ──目がそう言っている。
確かにこれ以上ミネルヴァ様と話していても時間の無駄だ。
「そうね、私は今の自分にやれることをするしかない」
私がそう呟くと、ミネルヴァ様は開き直ったのか急に態度を変えた。
「な、何よ! さっきから何をブツブツ言っているのよ……! わ、私は悪くないんだから! 全部、全部ブラッド様が悪いのよ!! 文句はブラッド様に言ってよね!」
この人はこんな時でも人のせいにして開き直るだけなのかとただただ悲しい気持ちになった。
それで、未来の王妃だとかよく言えたものだわ。
私はミネルヴァ様を冷たく睨んで告げる。
「もう結構です。ミネルヴァ様……あなたには一切頼りません」
「は? な、何を……なんなのよ! 私をバカにしているの!? だって、こんな光景見たら誰だってーー」
「覚悟も何もかも足りてないあなたなんかに頼ろうとした私が愚かでした」
「なっ……」
ミネルヴァ様はまだ何か喚いていたけれど、私はその声を無視をしてシグルド様の側に戻る。
そして、私がミネルヴァ様の側を離れたと同時に陛下はミネルヴァ様の元に詰め寄り彼女を責め出した。
「ティティ男爵令嬢! 無理、出来ないとはどういうことなんだ!! その力は何の為にあるのだ!!」
「へ、陛下……」
「この力で皆のお役に立ってみせます! と偉そうに豪語していたではないか!!」
「そ、それは、その……」
「それに先程何やら不穏な発言が聞こえた、あれはどういうことだ!」
「え! あ、、えっと……」
陛下に詰め寄られてしどろもどろするミネルヴァ様。
(……勝手にどうぞ)
今はミネルヴァ様を責めるよりシグルド様の命を繋ぎ止めることの方が大事だから。
「持ち場を離れてしまいました、申し訳ございません」
私はお医者様に謝罪し再び処置の手伝いを行う。
シグルド様の負った傷はかなり深くなかなか血が止まってくれない。
(血が流れ過ぎてる……このままじゃ)
そこで、ふとブラッド様はどうなっているのだろう? と思い彼の方に視線を向けてみる。
ブラッド様には別のお医者様が対応しているけれど、あちらも同じ様な状態らしい。
でも、聞こえて来る声を拾う限り、ブラッド様のは血は止まったようなので今はシグルド様の方が危険な状態だ。
「……まるで相打ちしたみたい」
私がそう呟くとその声を拾ったお医者様が頷いた。
「殿下から魔力の痕跡が感じられるので、おそらくその通りでしょうな」
「……!」
「そのせいで、よりかなり危険な状態になっていると言えるのだが……」
倒れているシグルド様ばかりに目がいっていて気付かなかったけれど、言われてみれば部屋の中も荒れていて大きな衝撃を受けた後が感じられる。
なぜこんなことに?
そんな思いばかり浮かんでくるけれど、ミネルヴァ様の言う通りならブラッド様が一連の件の黒幕だったということになる。
(シグルド様はブラッド様が怪しいと薄々思っていたのかもしれない───)
そして、二人は対峙した──その結果が相打ち……
「……シグルド様」
私はそっと彼の名を呼ぶとそっと手を握る。
癒しの力は使えないままだけれど、せめてこうしていたかった。
「殿下にとっての一番の癒しと治療は、ルキア様の存在そのものなのでしょうな」
「先生……?」
「ルキア様。そのまま殿下の手を握っていてあげてくだされ。人の強い想いは時に奇跡をも起こす」
「強い想いが?」
その気持ちだけは負けない気がする。
自分のことを役立たずだと決めつけて勝手に身を引こうとした私だけど、シグルド様を好きな気持ちはどうしても捨てられなかった。
(シグルド様を想う気持ちはだれにも負けない!)
「私の想いが力に変わればいいのに……」
そんなことは有り得ないと分かっていてもそう願わずにはいられない。
私はギュッとシグルド様の手を握りしめた。
(……あれ?)
そこで何か違和感を覚える。
どうしてこんなに手が温かいの?
シグルド様の手? と思ったものの何かが違う。
(これは、私の手が温かい……?)
どういうことかしらと思っていると、お医者様が驚きの声を上げた。
「ああ!! 殿下の顔色が!」
「え?」
お医者様のその言葉に慌ててシグルド様の顔を見ると、さっきまでは青白かった顔色がほんの少し……ほんの少しだったけれど色付いているように見えた。
「ど、どういうこと……?」
私がシグルド様の変化に驚いていると、お医者様がじっと私を見つめてくる。
そして、手を伸ばすとそっと何かを確かめるように私の頭に触れた。
「先生?」
「ルキア様。あなたはあの日、魔力が全て空っぽになっておりましたな?」
「は、はい。先生もあの時にそう確認されたはずですが……?」
私の言葉にお医者様も頷く。
「そうじゃった…………それでは今、あなたの中にある“それ”は何ですかな?」
「え? それ?」
お医者様の口にした“それ”の意味が分からなくて私は首を傾げる。
私の頭から手を離したお医者様はさらに続けて言った。
「ふむ……どうやら、ルキア様はご自分ではお分かりになられていないようですな」
「分かってない?」
「はい。ルキア様、ほんの少しですが今のあなたからは魔力が感じられますぞ?」
「え?」
私の魔力は空っぽになったはずでは?
意味が分からず戸惑う。
「…………どなたから、いや、おそらく殿下なのでしょうが、何らかの力を受け取るようなことをした覚えは?」
「!」
そう言われて思い至るのは、シグルド様の防御の力。
「シ、シグルド様が何度か私に防御の術をかけてくれました」
「それは殿下の特殊な力の一つ……」
「は、はい。かなり効き目も抜群でした」
甘いキスをされながら、何だかんだでたくさん受け取った気がする。
そのせいかとにかく効果は凄かった。
私は勢いよく吹っ飛んでいた侯爵の姿を思い出す。
特にあれは凄い威力だった。
「……」
「先生?」
私のその返答を聞いた先生が何かを考え込むようにして黙り込む。
「ルキア様、どうかそのまま殿下の手を……手をしっかり握っていてくだされ」
「え?」
「今、あなたの中にあるその微かな力が殿下への希望となるかもしれませんぞ?」
「!」
それは僅かだけれど、希望の光が見えたかもしれない瞬間だった。




