27. 役立たず
(シグルド様に何があったの!?)
「……っ」
私はミネルヴァ様を無視して、悲鳴の聞こえた方へと走り出す。
ずっと朝から私の中に燻っていた嫌な予感……胸騒ぎはこれだったのかもしれない。
「あ、ちょっと!? 待ちなさいよ!」
背後でミネルヴァ様が叫んでいる。
「ルキア様!?」
でも、今の私にはそれどころじゃない。
何が起きてるのか分からない。
けれど……
(シグルド様! お願い、お願いだから無事でいて!!)
ミネルヴァ様の声は無視してシグルド様の元に走った。
シグルド様の執務室に到着すると、すでに人だかりが出来ていた。
そして何やら異様な空気を感じる。
まず最初に部屋の前で倒れている人達が目についた。
(シグルド様の護衛!?)
ドクン、ドクン……と私の心臓が嫌な音を立てた。
シグルド様を守るはずの人達が倒れている。
それが意味することは……でも、そんなのは考えたくない。
私は必死に最悪の事態の想像を打ち消す。
「どうやら、ここに倒れている者たちは眠らされているようだ……」
そんな声が聞こえて来て、更に胸がドキッとする。
(眠らされている? それって牢屋の看守の時と同じでは?)
つまりシグルド様の護衛を眠らせたのはミネルヴァ様を逃がした人と同一人物?
そんなことを考えながら扉の入口へと近付こうとするけれど、人が多くて全然近付けない。
けれど、早くお医者様を呼んで──そんな声が部屋の中で飛び交っているのは聞こえた。
(……シグルド様は部屋の中にいる)
それも、医者が必要な状態で。
私はたまらず、息を吸って大きな声を上げた。
「お願い、そこの道を開けて!」
私のその声に扉の前に集まっていた人たちが驚いて振り返る。
そして私の姿を認めるとザワッと騒ぎ出す。
「ルキア様!」
「ルキア様だ!」
彼らは慌てて道を開けてくれた。
そして、そのまま急いで部屋へと駆け込んだ私が見たのは──……
「シグルド様!! ……え? それにブラッド様?」
部屋の壁にもたれかかるようにして倒れて血を流してるシグルド様と、扉の入口付近で同じ様に血を流してうつ伏せで倒れているブラッド様の姿だった。
(な、何があったの? どうして二人が……)
そして、二人共かなりの血が流れているのが見て分かる。
「っ! シグルド様! 大丈夫ですか!?」
シグルド様の側に駆け寄るも反応は返って来ない。
息はしているようだけれど意識が無さそうだった。
「───ルキア様、そこを失礼します」
「あ……」
その声で振り返るとそこに居たのはお医者様。
私はシグルド様から離れて診察の様子を静かに見守ることにした。
お医者様がシグルド様の様子を確認していく。
「これは! 深い傷を負っていますな。それも複数箇所……」
「!」
「とにかくまずは止血をしなくてはならん。ああ、ルキア様そこにいるなら手伝ってくれますかな?」
「は、はい!」
「では、私の指示に従って、まずそこの鞄の中から──」
私は涙を堪えながらお医者様の指示に従った。
─────
お医者様の手伝いをしながら私の心の中は悔しくて悔しくて仕方がなかった。
(力が……癒しの力さえ失くしていなければ……!!)
そうしたら、絶対に救えるのに!
どうして?
どうして私はこんな時に無力なの?
───ルキア様って癒しの力持ってなかった?
───力を使えばいいのに。
───どうして使わないのだろう?
───何故だ? まさかこのまま殿下を見殺しにする気なのか?
(~~っ!)
私が力を使えないことを知らない人たちからの私に対する不審の声が聞こえてくる。
言われなくてもそんなのは私自身が一番分かっている。
けれど、魔力が空っぽの今の私にはどうすることも出来ない。
(悔しい……)
油断すると溢れそうになる涙を堪えてギリッと唇を噛み締める。
「───ルキア様」
名前を呼ばれたので、顔を上げるとお医者様が静かに私を見つめていた。
(そうだ……今は今の私に出来ることをするしかない!)
外野の声なんかに惑わされている場合じゃない。
私は表情を引き締めてしっかり前を向いた。
「……分かっています。次は何をすればよろしいでしょうか?」
「では、こちらを……」
今、治療に当たってくれているお医者様は私が高熱を出した時に診察してくれたお医者様。
なので私が魔力を失ったことも力を使えないことも全て知っている。
だから、互いに余計なことは言わずに今出来ることだけをしていく。
その時だった。
「こ───これは、何事だ!?」
(この声は……)
部屋の入口から聞こえてきたその声に慌てて振り返る。
声の主は国王陛下。
騒ぎを聞き付けてやって来たらしい。
陛下の突然の登場に皆が慌てて頭を下げる中、部屋で倒れている二人を見た陛下が叫んだ。
「シグルド!? それにブラッドまで! これは何があったのだ!?」
当然だけど、その声に答えられる者はこの場には誰もいなかった。
シグルド様の護衛は眠っているし、シグルド様とブラッド様もそれぞれ意識を失っている。
この部屋で何があったのかは誰にも分からない。
青白い顔で陛下が叫ぶ。
「は、早く、助けろ! どんなことをしてもシグルドを助けるんだ……!」
「全力を尽くしております」
陛下の焦ったようなその声にお医者様はそう答えることしか出来ない。
そんな中、私と陛下の目が合う。
陛下の目はとても冷たくて“お前が力が使えていればすぐにどうにかなったのでは?”そう言っていた。
(そんなの私だって!!)
今、この場にいて誰よりも悔しいのは役立たずの私。
どうして私は力を失くしてしまったのかと悔やんでも悔やみきれない。
「───え!? や、何これ……」
自分の無力さが悔しくて唇を噛み締めているたらミネルヴァ様の声が聞こえた。
さっき、無視して置いて来たけれど私の後を追いかけてきたらしい。
「殿下! それに、ブラッド様!? え? 何これ、どういうことなの!?」
部屋の様子を見たミネルヴァ様の困惑の声を上げている。
(そうだ! ミネルヴァ様なら───癒しの力が使える!)
この際、その力が私から奪ったものかどうかなんてことはどうでもいい。
ただ、今はシグルド様を助けて欲しい。
私の気持ちはそれだけだった。
振り返った私はミネルヴァ様に向かって叫んだ。
「ミネルヴァ様、お願いします……シグルド様を助けて下さい!」
「え……」
私のその声に癒しの力の使い手が他にもいたことを思い出した皆の顔がパッと明るくなる。
これで殿下も助かるのでは?
部屋の中がそんな期待に溢れた空気になった。
だけど……
「……な、何でよ!? 何なのこれ……」
ミネルヴァ様の様子がおかしい。
青白い顔のままガタガタと震え出した。
「知らない……こんなの知らない! こんなに酷くなるなんて聞いてない!!」
ミネルヴァ様が頭を抱えてそう叫ぶ。
(聞いてないって───どういうこと?)
私はその言葉を不審に思いつつ、ミネルヴァ様に近寄って再度声をかけようとした。
「ミネルヴ……」
「ティティ男爵令嬢! いい所に来た! さぁ、早くそなたの力で二人を救うのだ!」
私の声に被せるようにして国王陛下が天の助けとばかりにミネルヴァ様に駆け寄った。
「……無理、無理よ……こんなの無理」
だけど、ミネルヴァ様は青白い顔で首を横に振るばかり。
「な…………んでよ、」
「ティティ男爵令嬢?」
その様子には陛下も怪訝な顔になる。
私も何かがおかしいと思いながらもミネルヴァ様の肩を掴んで揺すぶった。
「ミネルヴァ様! 何をごちゃごちゃ言っているのですか!? 早くしないと……」
「だから無理よ! 無理だって言ってるでしょ!? こんな酷い怪我の治療なんてしたことないもの!」
「ミネルヴァ様? あなたは何を言っているの……」
ミネルヴァ様は涙目で必死に頭を横に振りながらそう叫ぶとヘナヘナとその場に崩れた。
その腰は完全に抜けていた。
「だって私、こ、こんな酷いことになるなんて聞いてないのよ!」
「……え?」
「ブラッド様は“殿下が少し怪我するだけ”だからって言ってたの! それでボロボロの格好をしている追い詰められた可哀想な私が皆の前で殿下の怪我を癒して治せば私が新しい婚約者としても未来の王妃としても皆に認められるって……」
取り乱したミネルヴァ様が頭を抱えながら叫ぶ。
「でも、こんな血もドバドバで死にそうな酷い怪我……無理、無理よーーーー力なんて使えない!!!!」
(ミネルヴァ様は何を言っているの?)
ブラッド様が言った? 皆の前で怪我を治す? 認められる?
どういうことなの……?
「ティティ男爵令嬢!? いったい、何の話を……」
「とにかく! 私には無理……無理なんだってば……」
ミネルヴァ様のこの様子を陛下を始めとした、集まっている人たちも呆然とした顔で見つめている。
彼女が何を言っているのかはよく分からない。
けれど、“ミネルヴァ様が力はあるのに癒しの力を使えない”ということだけはよく分かった。
(これは……仕組まれていた?)
細かいことは分からないけれど、ミネルヴァ様は何かを仕組んでいた。
そしてその共犯はそこで倒れているブラッド様───
ただ、ブラッド様もかなりの重傷を負って倒れているということは彼にとっても予想外の“何か”があったのかもしれない。
「ミネルヴァ様……!」
私はミネルヴァ様の肩を掴むとグッと手に力を込めた。
「返して!」
「……ひぃっ!?」
「こんな時に出来ないなんて泣きごとを言うだけなら──私から奪ったその力を…………今すぐ返して!!」
青白い顔で悲鳴をあげるミネルヴァ様に向かって私は叫んだ。




