22. 脱走
もぬけの殻となった独房の中を呆然と見つめる。
ミネルヴァ様が逃げた?
でも、どうやって?
ミネルヴァ様が看守二人を倒して逃走した?
本当に? そんなことが可能なの??
「シグルド様……」
「うん……」
シグルド様が難しい顔をしている。
「……ルキア。おそらく、これは」
シグルド様がそう言いかけた時だった。
「うっわ! 何これ? どういう状態? 外にも人が寝てるんだけど?」
背後からそんな声が聞こえた。
私たちは慌てて後ろを振り向く。
そこで驚きの声をあげていたのは先程、執務室を訪ねた時に会えなかったブラッド様だった。
「ブラッド、何故ここに?」
怪訝そうな顔でシグルド様が訊ねる。
「え、酷いな。用事を終えて執務室に戻ったらシグルドが訪ねて来たと聞いたから追いかけて来たんだけど?」
「……」
「そうしたら、これはこれは……」
ブラッド様は牢屋の中をキョロキョロと見渡す。
そして私たちが見ていた独房を指さした。
「確か、そこにミネルヴァ嬢がいたと聞いているけど、今は誰もいないね」
「……」
「へぇ……逃げられたんだ? シグルドにしては珍しい失態だ」
半笑いのブラッド様はシグルド様の肩に手を置こうとした。
けれど、シグルド様の顔を見てやれやれと言った様子で手を引っ込めた。
「で? これから、どうするんだい?」
「どうするも何も見つけ出してもう一度捕まえるだけだが?」
「ふーん……最近のシグルドの周囲は騒がしいことばっかりだ」
チラッとブラッド様は私の方に顔を向けて意味深な視線を送ってくる。
「でもまぁ、もともとミネルヴァ嬢は大した罪ではなかったんだろう? 遅かれ早かれ釈放になっていたんじゃないの?」
罪の重さはさておき、“牢屋にいたはずの罪人”が脱走しているという事態なのにブラッド様はそれを大したことのないようだと言った。
シグルド様がはぁ、とため息を吐く。
「……ブラッド。ちょうど良かった。聞きたいことがある」
「何だい?」
「先程、騎士団長が私とルキアの元に直談判にやって来た」
「直談判?」
ブラッド様は不思議そうな声を上げた。
「……ブラッドは今日、騎士団の視察に行ったんだろう? 何か異変は感じなかったのか?」
「異変? 別に特にいつもと変わった様子はなかったけど?」
不思議そうに首を傾げるブラッド様。
「それは本当か?」
うーん、と考え込むブラッド様。
この反応、まさか本当に異様さを感じなかったというの!?
「あ! 強いて言えば、怪我をしていて動けない団員が多かったかな」
ブラッド様がポンッと手を叩いた。
「やっぱりミネルヴァ嬢が訪問出来ていないのが影響してるのだろうなぁ、と思ったくらいかな」
(ダメだわ)
ブラッド様はやっぱり全然分かっていない!
あまりの悔しさにギリッと唇を噛む。
シグルド様も小さくため息を吐いた。
「ブラッド。騎士団長によると、ミネルヴァ嬢は毎日騎士団を訪ねていたようだが?」
「そうなんだ? 確かに頻繁に行きたがっていたから僕が同行出来なくても訪ねられるようにはしたけど、まさか毎日! へぇー、びっくり」
ブラッド様が目を丸くして驚いている。
まさか、ブラッド様はミネルヴァ様のしていることを全然把握していなかった?
何それ……と怒りの声を上げそうになったところで、シグルド様が私を庇うように前に出る。
その表情はかなり険しい。
「お前……それが何を引き起こしたか分かるか?」
「えー?」
さぁ? とブラッド様は首を傾げた。
これにはシグルド様も呆れて今度は大きなため息を吐いた。
「───ブラッド。お前から騎士団の責任者の任を解く」
「え? 何で? せっかく父上から引き継いだのに」
「話にならない。文句があるならもっと勉強してくれ」
「勉強……? なんの?」
ブラッド様はそれでも不思議そうな顔をしてキョトンとしていた。
「───もういい。今はお前と話しても無駄な様だ。その話はまた後でする。とりあえず今は……」
ミネルヴァ様がどうやってここから逃げ出したか、よね。
私はキョロキョロと牢屋の中、全体を見回す。
(いったい、どうやって……?)
この牢屋の中では魔力は使えない。
それなのに抜け出すなんて。
そしてこのタイミング……
「シグルド様。これは」
「ああ、そうだな。私もそう思う」
私たちは互いに顔を見合わせて頷き合った。
「なぁ、ルキア。これも計算のうちなのだろうか?」
「分かりません。でも……」
「今、捜索の手をのばしたくても、残念ながら圧倒的に人が足りない」
そう。
騎士団の多くの人たちは今、まともに動けない状態。
ミネルヴァ様の捜索をしたくてもなかなか厳しい……
(まさか、こうなることを分かっていて逃げたのだとしたら……?)
ブルっと身体が震えた。
そんな私をシグルド様が優しく包み込む。
「すまない。怯えさせた」
「いえ……大丈夫です」
「とりあえず、人を呼んでまずは倒れている二人を医者に見せよう。目が覚めたら何か語るかもしれない」
「……そうですね」
ブラッド様は私たちのやり取りを不思議そうに聞いている。
何もかもがピンと来ていない様子。
牢屋には別の見張りの人物を置いて私たちは牢屋を後にした。
****
何を考え、そして何を狙ってるのかが不気味で分からないままのミネルヴァ様が脱走した。
そのせいでシグルド様は警戒心を強めた。
「なんてこと……シグルド様が全力で過保護だわ」
ふぅ、と息を吐く。
「まさか、王宮に留まることになろうとは……」
呪いや黒魔術の力を使っているかもしれないミネルヴァ様を警戒したシグルド様は、このまま私にしばらく王宮に留まるようにと言った。
『───私の防御の魔法があるといっても心配なんだ……』
そう口にしていた時のシグルド様のワンコみたいな顔を思い出す。
「くっ! あの顔でそれを言うのは──ずるいわ」
おかげで私の胸がキュンキュンして大変だった。
「でも……確かに権力のない我が伯爵家の警備体制は緩いもの、ね」
結局、あの後も王宮内を捜索したもののミネルヴァ様は見つからなかった。
まず、何時から脱走したのかも不明。
その謎を解く鍵となる倒れていた看守二人も命に別状はないと言うけれどまだ目を覚まさないまま。
ミネルヴァ様はいったいどこへ消えてしまったのか。
「ますます不気味……」
分かったことは一つ。
シグルド様も思っていることだけど、ミネルヴァ様には確実に協力者がいる。
それだけはほぼ確信している。
(……牢屋の外の看守を眠らせたのはミネルヴァ様ではなく、おそらく協力者)
だって牢屋の外で魔術を使える。
だから、眠らせることだって可能。
しかし、牢屋の中の看守には魔術が使えないから物理的に倒した───
ちょうどそこまで、考えた時だった。
コンコンと部屋の扉がノックされる。
(誰……?)
警戒心を強めた私の代わりに部屋の隅に控えていた侍女が応対してくれる。
すると、侍女はくるりとこちらに振り返った。
「ルキア様、シグルド殿下がいらっしゃいました!」
「え!」
私は慌てて時計を見る。
なぜ、こんな時間に!? もう就寝前よ……?
「も、もう夜遅い、わよね?」
「はい。ですが少しだけ話がしたい、と。誓って変なことはしないと言っておりますよ?」
侍女が苦笑しながらそう伝えて来る。
「へ、変なこと!!」
侯爵が約束通り婚約の申し込みを取り下げてくれたので、婚約解消の話は一旦保留になっている。
だから、私たちは婚約者同士のまま。
けれど、陛下に反対されている関係なのは変わらない。
なので、まだそういう関係になるわけには──……
「……って、そういうことじゃなくて! コホンッ…………い、入れて頂戴」
妄想が捗りすぎた私は我に返って軽く咳払いをし冷静になる。
「承知しました」
そしてシグルド様が部屋に入って来る。
「ルキア!」
「ひゃっ!?」
そして、入って来るなり真っ先に抱きしめられた。
「シグルド様!」
「ははは、すまない。ルキアがいると思ったらつい……」
「つい、じゃないですよ」
(なんて……)
口ではそう言いながら私も内心では顔を見れて嬉しいなんて思ってしまっているのだから実は全然説得力がない。
「ルキア、くれぐれも気を付けてくれ」
「はい、分かっています」
私は微笑み返したけれど、シグルド様はあまり納得がいっていない様子。
「それと……ルキアが悪夢を見ないように……」
そう言いながらシグルド様の顔がそっと近付いてくる。
(そうね、またあんな悪夢を見るのはもうごめ───……ん?)
「シグルド様!」
「ルキア!?」
私たちの唇が触れる直前で私がパッと顔あげる。
キスをし損ねたシグルド様はとても、渋い顔をしていた。
それよりも……
「夢です!」
「夢?」
シグルド様は眉をひそめて不思議そうな顔をして聞き返してくる。
そうよ、夢……
「夢を……夢を操るような力を持った人って誰かいませんか?」
「え?」
「───その人が、ミネルヴァ様の協力者かもしれません」




