21. 嫌な予感
「殿下、ルキア様、助けて下さい!」
シグルド様との婚約解消騒動が、一応落ち着いた数日後、シグルド様の執務室に血相を変えた騎士団長が飛び込んで来た。
その顔は青白くて本当に困っている様子に見える。
「助けて? 今更、何の用だ?」
シグルド様が少し不機嫌な様子で答えた。
この騎士団長は私が役目から退いた後、積極的に王宮内で“ルキア様は役立たず、王太子妃失格だ”などと私への悪態を積極的に吹聴していたそうで、シグルド様はそのことを知ってからずっと激怒している。
「うっ……」
シグルド様の冷たい視線が騎士団長を射抜く。
「私だけでなくルキアにまで助けを求めるとはな。ルキアは役立たずなのではかったのか?」
「うっ、うぅ……も、申し訳……申し訳ございません」
騎士団長は額を床に擦り付ける程の勢いで頭を下げて深く謝罪した。
「いくら謝っても、お前たちが積極的に広めたルキアの噂は消えないし、ルキアの傷付いた心も元には戻らない」
「そ、それは……本当になんと申し上げたら……も、申し訳……ございません」
再び頭を下げる騎士団長。
ついに額が床に!
私はその姿がいたたまれなくなり、シグルド様に告げる。
「ええと、シグルド様。とりあえず話は聞いてみませんか?」
「……ルキアは甘いな」
「とりあえず、話を聞くだけです。別に助けるとは言っていませんよ?」
「それでも、だ」
シグルド様は小さく笑うとそっと私の頭を撫でた。
そうは言うけれど、シグルド様だって本当に困って助けを求められているのに放っておくことなんて出来ない性分なことを私は知っている。
ただ、今は騎士団長に自分のしたことを分からせたくて冷たくしているだけ。
「……仕方ないな。何があった?」
やれやれと肩を竦めたシグルド様が騎士団長に問いかける。
「じ、実は……」
騎士団長は頭を床に擦り付けた体勢のまま語り出した。
「────騎士たちの怪我の治りが悪いのです」
彼は辛そうな声でそう語った。
現在、ミネルヴァ様は牢屋にいるため当然ながら、騎士団への訪問は止まっている。
さすがの騎士団長もそのことは説明を受けているはず。
ただ、元々毎日訪問するものでもなかったから、この先はともかく今はまだ訪問が止まっても支障が出るような時期ではない。
それなのに───?
「どういうことだ?」
「そ、そのままの意味です」
シグルド様も私と同じことを思ったようで眉をひそめた。
騎士団長は顔を上げると沈痛な面持ちで口を開く。
「ミネルヴァ様が来られなくなってから、殆どの団員たちは異様に傷や怪我の治りが悪くなり……今はまともな訓練が出来る状態ではありません……」
(……あ!)
間違いなくミネルヴァ様の力二頼りすぎた弊害が起きている。
だから言ったのに! という思いと同時におかしいな? という思いが私の中に生まれた。
「待て……ティティ男爵令嬢の治癒に関してはルキアから話を聞いた後、私がそなたに注意を促したはずだが?」
「は…………はい、その通り、でございます」
あの時、ミネルヴァ様にも責任者でもあるブラッド様に話を聞いて貰えなかった私は、シグルド様に頼ることしか出来す相談をした。
話を聞いたシグルド様は騎士団長にミネルヴァ様が訪ねてきた時にやんわり治療を断るなどして“癒しの力”に頼りすぎない様にしろと伝えていたはず。
(そうよ、それなのに何故───?)
騎士団長はしどろもどろになりながらモニョモニョ言葉を濁す。
「その……ですが、ミネルヴァ様は強引な性格で……そ、それにブラッド様も睨みをきかせておりまして」
「……つまり、強く言えなかったのか」
「申し訳ございません……」
シグルド様が呆れながら問い詰めると騎士団長はガックリと項垂れた。
「自分はその……ルキア様が癒しの力に頼りすぎるのは良くないからと言ってあまり騎士団を訪ねてこられないことに不満がありました」
「……」
「それが、ミネルヴァ様に変わり……彼女の訪問は皆の傷も早く癒えるし悪いことばかりではないじゃないか! ……そう思ってしまいました」
「……」
私はチラッと横目でシグルド様の顔を見る。
シグルド様の顔が怖い。
これは明らかに怒っている。
私としても騎士団長のその発言には色々思うことや言いたいことはある。
けれど、今はそれよりも気になるがことがあった。
「待って下さい。そうだとしても早すぎませんか?」
「早すぎる? どういうことだ、ルキア?」
私の言葉に騎士団長が首を傾げる。
どうやら、ピンッと来ていないようだった。
「自然治癒力の衰えが、です。いくら何でもこうなるのが早すぎます」
癒しの力に頼りすぎたら、自然治癒力が衰えるのは分かっていた。
だとしても、もう? そんな思いがさっきから私の中に生まれていた。
そんな私の疑問に騎士団長は顔を伏せながら説明してくれた。
「ルキア様……申し訳ございません。実はミネルヴァ様は、ほぼ毎日のように騎士団に顔を出していたのです」
「なっ!」
「なんですって!?」
それはシグルド様も知らなかったらしく言葉を失っている。
まさかと私も驚いた。
「つ、つまり、騎士団員の皆様はあらからほぼ毎日ミネルヴァ様の癒しの力の治療を受けていた……ということですか?」
「……そういうことになります」
騎士団長はますます項垂れた。
それは最悪だと私は頭を抱える。
「────ティティ男爵令嬢の所に行く!」
シグルド様が険しい顔で立ち上がるとそのまま部屋を出ていこうとする。
「お、お待ちください、殿下!!」
騎士団長がシグルド様を引き止めようとする。
しかし、シグルド様はその手を払って声を荒らげた。
「騎士団長! これはそなたがルキアと私の忠告を無視した結果だ。重く受け止めろ!」
「も、もちろんでございます……ですが、だ、団員の皆はどうすれば……」
「自然治癒力が回復するのを待つしかない。残念だがルキアにも私にも出来ることは──ない」
「……」
騎士団長が両手で自分の顔を覆ってガクッとその場に膝を着いた。
もしも、これが今、何かしらの交戦の真っ最中だったらと思うとゾッとする。
いったい今、どれだけの団員が動けなくなっているのか。
「騎士団長、そなたの処分は追って伝える。今は騎士団の中の混乱を収めることに全力を尽くせ!」
「……は、はい。申し訳ございませんでした……」
騎士団長はヨロヨロと立ち上がるとおぼつかない足取りで団員の所に戻って行った。
「ルキア?」
「……シグルド様。私、悔しいです」
「悔しい?」
肩を落とした様子の騎士団長の背を見つめながら、私は自分さえ能力を失くしていなければ……そう強く思った。
そうしたら、たとえミネルヴァ様が私と同じ“癒しの力”を発現させて登場していても、絶対にこんなことはさせなかったのに。
「ルキア……」
シグルド様が腕を伸ばしてそっと私を抱き寄せてくれた。
その温もりにホッと安心する。
「ルキア、私はこれからティティ男爵令嬢の所に行くが」
「……私も行きます」
文句の一つでも言ってやらないと私の気がすまなかった。
「それから、ブラッドも呼び出して強く言わないと」
「そうですね」
ブラッド様はミネルヴァ様の味方をして全く私の話を聞こうとしなかった。
今回の件、責任者の彼だって、このままお咎めなしでは済まない。
そう思って私たちはミネルヴァ様の元に行く前に先にブラッド様の元に向かうことにした。
────
「いない?」
「はい。ブラッド様は騎士団の視察に行かれたまま、まだ戻って来ていないですね」
ブラッド様の執務室を訪ねると従者が出て来てそう答えた。
「騎士団の視察? ブラッドの今日の予定はそれだけか?」
「そうですね。本日は騎士団の視察以外の決まった仕事は特にありません」
私とシグルド様は顔を見合わせる。
視察に行ったなら、ブラッド様も騎士団員たちの様子を見たかもしれない。
さすがに何かを感じてくれると良いなと思った。
「仕方がないな……ルキア。とりあえず、ティティ男爵令嬢の元に向かおう。ブラッドは後だ」
「ええ」
そう頷き合って私達はミネルヴァ様の元に向かった。
******
初めて足を踏み入れた牢屋へと向かう通路は暗くてジメッとした陰鬱な場所だった。
(こんな所にずっといたら気分も沈みそう……)
ミネルヴァ様は良く平気で何日もこんな所にいられるわ。
そんなことを思いながら足を進める。
「ルキア、大丈夫か?」
「大丈夫です。思っていたよりも暗い場所で驚いていますが」
「そうだな」
シグルド様がそっと手を取り握ってくれたので、私たちは手を繋いでミネルヴァ様のいる牢屋へと進んでいく。
しかし、牢屋の入口の近くまで来た所で異変に気が付いた。
(あれ? 人が倒れている?)
これは明らかにおかしい。
「シグルド様……」
「ああ」
「行きましょう!」
シグルド様も只事ではないと感じ、私たちは慌てて倒れている人物の元に近付く。
そして、助け起こして状態を確認する。
「……看守だな。外傷はなさそうだ。というより───これは眠っている?」
「え? 眠っている? どういうことでしょうか?」
普通に考えて居眠りなんて有り得ない。
しかもこの看守は床に倒れていた。
(……ということは)
まさか……と、私たちは顔を見合わせる。
そして慌てて牢屋の中に入った。
すると、牢屋の中でまた一人、看守と思われる人が倒れていた。
「っ! シグルド様!」
駆け寄った私たちが看守の様子を確かめる。
「こっちの男は表で倒れていた男とは違って殴られて昏倒しているようだ」
「殴られて? そんな……」
「…………この先の奥にティティ男爵令嬢が居るはずなんだが。ちなみに今、この牢屋に収監されているのは彼女だけだ」
「……」
これはもう、嫌な予感しかしない。
だって、この牢屋。
今、独房の中も含めて私たち以外の人の気配がしない。
それはつまり───
「シグルド様」
「……」
私にも分かるのだから、シグルド様にこのことが分からないはずがない。
私たちは無言で奥へと足を進めてミネルヴァ様がいるはずの独房へと近付く。
そして……嫌な予感は当たってしまった。
「…………やられた」
シグルド様の悲痛な声が虚しく牢屋の中に響く。
そう。
────ミネルヴァ様がいるはずの独房の中には誰もいなかった。




