20. まだ終わりじゃない
「ルキア……」
とても強い力で抱きしめられた。
私もしっかりと抱きしめ返す。
「シグルド様。えっと、私」
聞きたいことや話したい事こと多すぎて何から口にしたらいいのか分からず戸惑っていたら、シグルド様の方から私を抱きしめた体勢のままポツリポツリと語り出した。
「ありがとう、私を信じてくれて」
「え?」
顔を上げるとシグルド様はどこか切なそうな顔で微笑んでいた。
「婚約解消はしないってルキアが言ってくれた」
「あ……それは」
「嬉しかったよ……だってルキアは身を引こうと思っていただろう?」
シグルド様はそう言ってチュッと私の頬にキスをする。
「それに私がルキアを諦めないと信じてくれていたことも嬉しかった」
「……だって」
だってシグルド様の防御の術で、私に触れようとした侯爵を弾き飛ばしてしまったのよ?
自意識過剰と言われてもそこまでのことをするシグルド様に“私を諦める”なんて選択肢があるとは思えなかった。
「ルキアにかけた“防御”の力の中に込めたのは“ルキアに邪な想いを抱く人を弾く”ものなんだ」
「邪な想い、ですか?」
「そう。ルキアは私のルキアなのだから触れることすら許し難い! なので、相手のルキアへの邪な想いが大きければ大きいほど強く弾かれる」
「……え!」
あの侯爵は部屋の隅まで弾き飛ばされていたわよ?
「……ルキアのその顔。グレメンディ侯爵は相当弾き飛ばされたのかな」
私は無言で頷く。
シグルド様はちょっと苦笑しながら言った。
「我ながらちょっと狭量かな? とも思ったけどこれは正解だったみたいだ」
「シグルド様ったら……」
ははは、と笑ったシグルド様はもう一度私の頬にそっとキスを落とした。
「おいで、立ったまま話すのは疲れるだろう?」
シグルド様の提案で部屋のソファに移動し座って話をする事になった。
しかし……
(どういうこと??)
何故かソファに移動した後、シグルド様はそのまま流れるような動作で私を膝の上に乗せた。
え!? と思った時にはもう遅い。
完全にがっちりと抱き込まれていた。
「……シグルド様? 私にはこの体勢の意味が分かりません」
「どうしてだい?」
私の戸惑う声に対してシグルド様はあっけらかんとしている。
私はドキドキして落ち着かなくなっているというのにどうしていつも余裕綽々なわけ?
「どうしても何も……!」
「あぁ、ルキア! 暴れたら危ないよ? 落ちてしまう!」
「うっ、きゃっ……!」
ほらね、と言いながら体勢を崩してよろめきかけた私をシグルド様が支えてくれる。
「駄目だよ、膝の上で暴れたら。危険だよ?」
「…………はい」
抵抗すべきではないと理解した私は大人しくシグルド様の膝の上に静かに収まった。
「いつかはやってみたいとずっと思っていたんだ、膝抱っこ」
「なっ!」
とんでもない暴露が開始する。
「可愛いルキアは真っ赤になるだろうなと想像してた」
「!!」
図星を指された私の顔が一気に真っ赤になる。
シグルド様はにこにこ上機嫌に私の顔を覗き込んだ。
「───うん、想像より可愛い!」
「~~~!!」
(ああ、この笑顔には……勝てない)
もう、この膝抱っこの体勢を受けいれて話を続けるしかない。
気を取り直してシグルド様に訊ねる。
「シグルド様……昨日お父様が陛下宛てに“シグルド様との婚約解消を受け入れる”という手紙を送ったそうです」
「みたいだね」
「…………その手紙はどうなったのですか?」
陛下とシグルド様の話し合いは平行線だと言っていた。
昨日の今日でそんな簡単に陛下が折れるはずがない。
シグルド様はクスッと笑うと、人差し指を口元に立てる。
これは内緒だよ? のポーズ。
「実は……父上の周りに見張りを付けていたんだ」
「え!?」
私が驚きの声を上げるとシグルド様は笑みを深めた。
「正確には父上付きの者を数人、私の元に引き入れていたという方が正しいのかな?」
「そ、それは、つまり」
「うん。王宮に届いた伯爵からの婚約解消を受け入れる旨が書かれた手紙は、父上の手元に届く前に私が回収した、ということさ!」
「!!」
バッと身体を少し離して、シグルド様の顔をまじまじと見ると彼は悪戯っ子のような顔をして笑っていた。
「へ、陛下からの発表があまりにも遅かったから、シグルド様がどうにかしてくれている……と信じていましたけど……」
「父上はそもそも、まだ手紙を見ていなかった。だって」
「だって?」
「───ここにあるからね!」
シグルド様は懐にしまってある手紙を取り出すと私に見せながら満面の笑みを浮かべる。
確かに、それはどこからどう見ても私のお父様が書いた手紙に間違いなかった。
「話し合いは平行線───業を煮やした父上が取る手段としたら、もう無理やりの命令しかないだろう?」
それは同感。
私も頷く。
「それもエクステンド伯爵側からの申し入れという形にさせてさ。だから、エクステンド伯爵からの手紙が届いたら私に回すように手配していた、それだけだよ」
「……」
(それだけって……)
軽く言っているけどこれはかなりのことをしでかしている。
「ですが! そんなことをして、だ、大丈夫なのですか?」
「もちろん良くはない。バレたら大変だ。なので後で伯爵にも口裏を合わせて貰わないといけない───手紙はまだ書いていなかったんだ、とね」
「シグルド様、あなた……」
(そんな危険な手段を選んでまで私を他の人に渡したくなかったと言うの?)
そう思ったら胸がキュッと締め付けられた。
「何であれ、手紙がここにある今のうちにグレメンディ侯爵が婚約の申し込みを取り下げてくれれば、ルキアがあの男の元に嫁ぐ必要はなくなる。まぁ、侯爵のあの様子なら裏切ることもないだろう」
今、必死に王宮に向かって走っている侯爵にはもちろん監視をつけている。
万が一、裏切ろうものなら……今度こそ侯爵の生命は危うい。
「もう!! あなたって人は!」
私はもう一度、自分からシグルド様に抱き着いた。
「ははは、またルキアが積極的だ。幸せだな~」
「な、何を呑気なことを言っているのですか!」
「どれだけ無茶なことをしたか分かっているんですか!?」
「ははは!」
でも、本音は嬉しい。
私を諦めないでいてくれようとしてくれた───そのことがたまらなく嬉しい。
だから、ここでシグルド様に言うべきことは文句だけじゃない。
「ですが……」
「うん?」
「────ありがとうございます……」
私がお礼を口にするとシグルド様は静かに微笑んだ。
そして優しく私の頭を撫でてくれる。
「私は大丈夫だ。それにルキアこそ……」
「私こそ?」
不思議に思って聞き返すと、シグルド様がそっと身体を離して視線を私の懐に向ける。
(あ……!)
何故かバレていたんだった、と思って私は懐からそっとナイフを取り出す。
そのナイフを見たシグルド様はやれやれとした顔を私に向けた。
「こんな危険な物を懐に忍ばせて……私のお姫様は豪快だな。髪を切ろうとした?」
やっぱり私の意図も見抜かれている。
「はい。侯爵様を脅そうと思いまして」
「…………確かに、目の前でその髪を切られたらあの侯爵ならかなりのダメージ受けそうだなぁ」
シグルド様が苦笑しながらそっと私の髪に触れる。
「長くても短くてもルキアは可愛いから、私はどんな髪型でも構わないけど……」
「けど?」
「この髪の毛一本一本からルキアは私のものだ」
「っっ!」
そんな独占欲の強い発言にドキッとする。
そんな彼の想いに応えるように私も口を開く。
「……どうしても嫌だったんです」
「侯爵と結婚するのが? まあ、」特殊性癖持ちだし」
「いえ! あの方だけではなく…………シグルド様以外の人と結婚するのが、です」
侯爵が三十歳も年上だとか変態紳士と呼ばれてるからとか銀髪フェチだからとか、そんなことは関係無い。
どんなに若くてかっこ良いと言われて変な性癖がなくても……
(シグルド様以外の人は嫌だった)
「ルキア!」
「………………んっ!?」
名前を呼ばれたと同時にそのままシグルド様の顔が私に近づいて来て、そのまま唇を塞がれた。
「あっ……」
「ずるいよ、ルキア。そんな可愛いことを言われると……」
「と?」
「……だ」
キスの合間にシグルド様が何かを言いかける。
でも、チュッ、チュッと音を立ててシグルド様は何度も何度も私にキスをしてくるのでそれところじゃない。
「───もう私以外はルキアに誰も触れられない防御の術をかけたくなる」
「…………は」
ついつい流されて、はい……と言いそうになってハッと気付く。
それは困る!!!!
「そ、それは、ダメです…………んんっ」
「やっぱりダメか。でも、邪な想いを抱く人を弾くのは継続する。これは譲らない」
そう言ってシグルド様は、もう一度私にキスをすると力を流し込んだ。
温かい物が私の身体に流れ込んで来た。
「少し強めに流しておいた」
「ありがとう、ございます」
チュッと音を立ててシグルド様の唇が離れる。
「それから、あの女だけど───」
「ミネルヴァ様?」
「ああ。牢屋の中では魔力が使えないようになってはいるが、あの女のことだから何を企んでいるか分からない」
「……」
そうだ。
彼女のこともどうにかしないといけない。
私の失った魔力の謎や私とシグルド様の婚約解消の話……まだ、終わりじゃないんだ。
(全ての先には、ミネルヴァ様がいるとしか思えないのに───)
なんだか胸騒ぎがする。
「取り調べの答えも相変わらず知らぬ存ぜぬらしい」
「……」
でも、侯爵からミネルヴァ様が怪しい発言をしていたという証言を得られた。
きっとこのまま調べて追求していけば知らぬ存ぜぬを通しているミネルヴァ様にも綻びが出るはずよ!
(だから、大丈夫……!)
─────この時の私はそう思っていた。




