17. “変態紳士”との顔合わせ
そして翌日。
私の結婚相手となるらしい、グレメンディ侯爵との顔合わせの日、私は部屋のベッドの上で一人呟く。
「一晩……考えたけれど……」
ベッドから降りた私は机の引き出しを開けて、そこに入っている“ある物”を取り出す。
そしてそれをそっと懐に忍ばせる。
グレメンディ侯爵が私の知っている噂通りの人なら、これを使うしかない。
「……ごめんなさい。シグルド様」
私の決意が固まったからか、もう頭痛はしなかった。
目を瞑って心の中でシグルド様に呼びかける。
───ねぇ、シグルド様。
あなたは、こんなことをしようとしている私をどう思うかしら?
それでも私は───諦めたくない。
****
「ほう。そなたがルキア殿か」
「───初めまして、グレメンディ侯爵様」
グレメンディ侯爵は時間通りに我が家にやって来た。
家族、使用人総出で彼を出迎える。
現れた侯爵は、じろじろと不躾に私を見ながら言った。
「殿下との仲睦まじい様子はパーティーでも遠目からよく見かけておったが……あぁ、思った通りの女性だ」
「……ありがとうございます」
私はにっこり微笑んで頭を下げる。
「おや?」
どうやら、私が素直に頭を下げたのが意外だったらしい。
グレメンディ侯爵は不思議そうな顔を見せた。
「そなたは変わっているのう。父親と歳も変わらぬ儂に嫁ぐ事になって、てっきり泣いて嫌がっているとばかり思っておったが」
「いえ、そんな……」
私が首を横に振ると、侯爵はやれやれ残念とばかりに肩を竦める。
「逆にこれは大人しすぎてつまらんのう」
「……」
(──貴方がそんな風に泣いて嫌がる女性を更にいたぶるのを好きだと知っているからよ!)
私は微笑みを浮かべながら内申で毒づく。
貴方のことを何も知らない小娘とでも思っているのかしら?
(馬鹿にしないで欲しいわ!)
この侯爵が影で“変態紳士”と呼ばれていることを私は知っている。
私は、シグルド様の隣に立った時に恥をかかないようにと主たる貴族のことはみっちり頭に叩き込んで来たんだから!
「だって……」
私はホホホと笑顔を侯爵に向ける。
「グレメンディ侯爵様は王家にも見放されてしまったこのような私に手を差し伸べて下さった素敵な方ですもの。年齢なんて関係ありませんわ」
「ほほう! そうかそうか。まぁ、そういう素直なのも儂は嫌いではないぞ」
(……でしょうね)
侯爵は一気に上機嫌になった。
しかし、噂でしか知らなかったこの方と初めて向き合った私は、“変態”はともかく“紳士”って嘘でしょう? と思う。
いったいどこから来た呼び名なのか。
「これは、色々と楽しみだのう……」
グレメンディ侯爵は鼻の下を伸ばしながらニタリとした笑みを浮かべる。
ちなみに、侯爵のことそこまでをよく知らなかったらしいお父様とお母様は、この様子を見て盛大に顔を引き攣らせていた。
挨拶を終えた後は部屋に案内して、お父様とお母様も一緒にこれからの生活や結婚に関する話をまとめていく。
侯爵はよほどこの婚約が嬉しいのか、かなりの饒舌ぶりだった。
「しかし、ルキア嬢もとんだ災難にあったものよ、可哀想に」
「……」
「しかし、王家はルキア嬢をなんだと思っているのでしょうな。魔力が失くなったからというだけで簡単にお払い箱にするとは血も涙もないではないか!」
「……」
「まあ、そのおかげで儂はこうして可愛い花嫁を手にすることが出来るのだがな、がっはっはっ!」
「……」
「なぁに、ルキア嬢。これからは殿下の代わりに儂が朝から晩までたっぷり可愛がってやるので安心するといい」
「!」
適当に笑顔だけ浮かべて話は受け流していたけれど、最後のその言葉にはさすがに背筋がゾワゾワした。
令嬢失格と言われようとも、出来ることならこのまま張り手の一つでもお見舞いしたい気分だった。
(ダメ。今はまだダメ。我慢……我慢するのよ)
必死に自分に言い聞かせる。
「ルキア……」
油断したら飛んでいきそうな手を抑えていると隣から悲痛な声が聞こえて来た。
チラッと横目でお父様の顔を見たらとても沈んだ顔をしていた。
侯爵がここまでの人とは思ってなかった……そんな顔だった。
(お父様……そんな顔をしないで?)
私は安心して欲しくて無理やり笑顔を浮かべた。
「───さて、伯爵殿。そろそろルキア嬢と二人っきりで話をさせてもらいたいのだが?」
「ふ、二人で……ですか!?」
お父様が大きく動揺している。
ピクッとグレメンディ侯爵の眉が動く。
「おやおやおや~? 何か問題でも? ルキア嬢は儂の花嫁となる身だろう? 別に良いではないか」
「っ……いいえ! まだシグルド殿下との婚約解消が正式に発表されておりません! なので、ルキアはまだ、シグルド殿下の婚約者です」
お父様がそこは譲らないと首を強く横に振る。
グレメンディ侯爵はその指摘にムムっという顔になる。
「発表が遅いではないか……」
私はホッと安堵した。
まだ、“シグルド殿下の婚約者”という状態である今の私に手を出したら不味いことは一応分かってはいるらしい。
それにしても、だ。
もうすぐ時間は正午となるのに、王家……いえ、陛下からの私とシグルド様の婚約解消の発表が未だにないことを不思議に思う。
てっきり手紙の確認が済み次第速やかに発表されるとばかり思っていた。
(何か手間取っているのかしら?)
「仕方がないのう。では、扉は開けておく。それでなら構わぬだろう?」
「……承知しました。ルキアも……それで、構わないか?」
「ええ。ありがとうございます、お父様」
「ルキア……」
お父様の瞳が心配そうに揺れている。
この侯爵と密室で二人になるには抵抗があったため、私としてはそう進言してくれただけでも充分有難い。
だから大丈夫よという思いを込めて微笑んだ。
その後、お父様とお母様が心配そうな顔をしながら部屋から出て行った。
扉が開いてるとはいえ、これでグレメンディ侯爵と私は部屋に二人だけになった。
私は深呼吸する。
(さぁ、私の戦いはここからよ!)
「侯爵様! 実は私、貴方に確認したいことがあるのです」
「確認? おやおやおや~? いったい何の話かな?」
「……」
身体がゾワッとするのを必死で耐えた。
グレメンディ侯爵はこの状態でも良からぬことを考えていたのか、鼻の下を伸ばした締まりのない顔を私に向けた。
「────私の身に起きたことはいつどこで知ったのですか?」
「ぬ? あぁ、そんな話か」
「そんな話じゃありません! 大事な話ですわ。陛下から直接お話があったのですか?」
私の追求にグレメンディ侯爵は、うーんと考えながら答える。
「いいや、陛下からの話がある前に……そうだ、最初は……どこかの令嬢が声をかけて来たんだった、かのう?」
「まあ! ご令嬢が?」
「ほら、あれじゃ。最近、そなたと同じ力を発現したと騒がれている……なんちゃら男爵令嬢!」
「!」
(間違いない! ミネルヴァ様だわ!)
やっぱり彼女は私の魔力喪失の件に関わっている!
「……その方は侯爵様になんてお話されたのですか?」
「んんー……確かどこだったかのパーティーで会ったんだが……“ここだけの話ですけど、王太子殿下の婚約者様が魔力を失ってしまって王家に捨てられてしまうそうですよ”と言われたんだったか……」
「……」
「それで───何故だ? とか、何で君がそんなことを知っていて儂に声をかけたのか? と聞いたな」
侯爵はその時のことはうろ覚えなのか、首を捻りながら答えていく。
「……それで? その方は何とお答えに?」
「理由は教えてくれなかったぞ。だが、“王家に捨てられてしまう可哀想な令嬢を救えるのはあなたの様な素晴らしい方だけですわ、是非、お力になってあげて?” と言っていたな」
「まあ!」
「そうじゃ! それで、そのすぐ後に陛下からも話があったので少し驚いたものだ」
「……!」
「その令嬢のおかげでこうして事前に準備が整えられ早々にルキア嬢、君を早く迎え入れることが出来るというわけだ」
「まあ! そうでしたのね! ありがとうございます」
私はふふっと作り笑顔を浮かべながら考える。
(どういうこと?)
ミネルヴァ様は事前に侯爵と接触し、私の存在をチラつかせて早く準備を進めるよう促していた?
何故、ミネルヴァ様は私とシグルド様を婚約解消させた後に、陛下が私を押し付けようと思っていた相手がグレメンディ侯爵だと知っていたの?
(ダメ、分からない。でも、やっぱり彼女は不気味だわ)
「さて────そんなことより、ルキア嬢」
「……っ!」
そのねっとりした声でハッと我に返る。
しまった!
ミネルヴァ様のことを考えて気を取られていたせいで、侯爵との距離がかなり縮まっていた。
私のすぐ目の前にグレメンディ侯爵の顔がある。
「……グレメンディ侯爵様? 近いですわ」
「ふははは、どうせ、ルキア嬢が儂の花嫁になることはもう決定済みなんだ。少しくらい味見をしても許されると思わないか?」
「味見……」
(阿呆なことを言わないで!)
私の身体がゾワゾワして全力で拒否している。
「まあ! なんてお戯れを……ですが、駄目です。まだ早いですわ」
私はどうにかしてやんわりと逃げようとする。
しかし、さすが相手はあのグレメンディ侯爵。
「大丈夫じゃ、味見だからのう」
ねっとりした視線を向けたまま私を捕まえてこようとする。
(ひぃっ!)
あまりの気持ち悪さに思わず悲鳴が出そうになる。
(……ちょっと早いけど下手にこんな人に触れられるくらいならもうやってやる……!)
私が懐に忍ばせていた物を取り出そうとするのと、顔を近付けて来た侯爵が逃げられないようにと私の腕を掴もうとしたのはほぼ同時だった。
そしてその瞬間、バチンッという強い音がした。
「うわぁぁあぁぁぁぁぁぁあ!?」
(─────えっ!?)
なんと私に触れる寸前だった侯爵が凄い勢いで部屋の隅へと吹き飛んでいった。




