16. もう遅い
「は、い?」
お父様の言葉に驚いた私の手から手紙がヒラヒラと床に落ちていく。
だけど、私はそれを拾うことも出来ずにただただ呆然としていた。
(シグルド様の婚約者として王宮に通うのは……今日で最後?)
お父様に言われた言葉の意味が分からなかった。
いえ、多分理解をしたくなかっただけ。
真っ先に私の中に湧き上がった思い。
それは……
(嫌だ……)
そう思ったと同時に頭もズキズキと痛み出す。
痛む頭を押さえながら心の中で聞き間違い、それかお父様の言い間違いだと願う。
「───シグルド殿下との婚約は解消して、ルキアはその手紙の送り主の元に嫁ぐことになる」
しかし、無情にもお父様の口から出た言葉は私の望んだ言葉ではなかった。
ヒュっと息を呑む。
そして、更に頭痛が酷くなる。
何か口にしなくては、そう思っているのに言葉が出ない。
全然出てくれない。
「……っ」
「ルキア、大丈夫?」
私の様子を心配したお母様が私の背中をそっと擦ってくれる。
「あなた……やっぱり、その話どうにかならないの? ルキアが大きなショックを受けているわ」
「……分かっている。これまでは何かと言い訳をして返事を伸ばして来たが、さすがにもうこれ以上は無理だ」
お父様が首を横に振る。
「────それに陛下からも直々に連絡が来てしまった」
私は顔を上げると顔をしかめた。
(陛下? ……何の話?)
この話には国王陛下が絡んでいる?
ズキン、ズキン……頭痛はどんどん酷くなっていくばかり。
お父様は辛そうな表情で説明してくれた。
「ルキアすまない。ずっとお前には言っていなかったが、実はルキアが魔力を失くしたと判明した後に……」
「……」
「陛下は即、シグルド殿下との婚約解消をするべきだと口にされた」
「!」
「だが────シグルド殿下が絶対に首を縦に振ろうとなさらなかった」
「!!」
(……シグルド様!)
シグルド様の顔が頭の中に浮かび、私の胸がキュッとなる。
「それから、陛下と殿下の話し合いはずっと平行線のままだったそうだ」
(ああ……)
どうして陛下は静かなの? と不思議に思っていた。
けれど、黙っていた訳ではなかったんだ……
今更ながらシグルド様に守られていたことに気付く。
「シグルド殿下はルキアに起きたことを必ず解明してみせるから、婚約解消の話には頷かないで欲しいと私に何度も頭を下げて来ていたんだ」
「……」
「何故、そこまでしてルキアのことを? と訊ねてみれば、殿下はたった一言。“ルキアのことを愛しているから”と言うじゃないか」
「!」
シグルド様は王族なのにお父様に頭を下げてまで私との婚約解消を拒んでくれていた……
そう思うだけで胸が苦しくなる。
「殿下がそこまで言うなら──と私も旦那様もシグルド殿下を信じてみようと思ったのよ。それに、あなたもずっと殿下のことをお慕いしていたでしょう?」
お父様からの言葉を引き継いだお母様が私の背中を擦りながらそう語る。
私は無言のまま頷いた。
両親が私たちの気持ちを尊重しようとしてくれていたことが嬉しかった。
「だが、何故か時を置かずしてルキアに求婚の手紙が届いたんだ」
「!?」
「おかしな話だろう? ルキアの魔力喪失については一切公表していないのに、だ」
お父様が顔を曇らせる。
「殿下の婚約者として誰もが知っている“ルキア・エクステンド伯爵令嬢”に求婚の手紙よ? 私たちは目を疑ったわ」
お母様も同じように顔を曇らせた。
「……」
(それがこの手紙の……送り主だというの?)
そこでようやく私は床に落とした手紙をそっと拾う。
でも、中を読む気持ちにはなれない。
「その手紙の送り主である求婚者は公表していないはずのルキアの状態……つまりルキアの魔力喪失のことを知っていた」
「!」
「王家が……いや、陛下が手を回したことはもはや明白だ」
───魔力を失くし、王子から捨てられる役立たずの娘は次の嫁ぎ先など見つからないだろうから、自分が貰ってやろう。
手紙に書かれていたのは、そんな上から目線の内容だったとお父様は言った。
「私たちのルキアにこんな言い方をするような男になんかに……という思いと殿下の願い、そしてルキアの想いもあったから何かと言い訳を使って返事を伸ばして来たんだが……」
チラッとお父様が私の手にしている手紙に視線を向けてため息を吐いた。
(……催促が来た、ということね)
そして先程の口振りからいっておそらく陛下からの圧も───……
(悔しい……)
シグルド様がどんなに私を望んでくれていても、こうなる時が来るかもって思っていた。
だから、先に自分から身を引いてしまおうと思った。
でも、本当は全然、身を引く覚悟なんて出来ていなかった。
ちょっとシグルド様に妨害されただけで何も言えなくなっていたのがその証拠。
(だって、本音は婚約解消なんてしたくなかったから)
こうしてシグルド様の好意に甘えて今日まで私はズルズルと……私はなんてバカなんだろう。
今度は頭がガンガンして来た。
でも、これだけは聞かなくてはと思い口を開く。
「……私への求婚者はどこのどなたなのですか?」
私がようやく口を開いたのでお父様がハッとした顔を私に向ける。
「……グレメンディ侯爵だ」
なんと侯爵家の当主からの申し出。
だから、格下の我が家からはすっぱりと断れなかったのかと納得した。
しかも、おそらくグレメンディ侯爵家には陛下が後ろについている……
(だけど……)
まさか相手がグレメンディ侯爵だったとは……と、私は乾いた笑いを浮かべる。
歳は確か私より三十歳は上のはず。
領地経営は可もなく不可もなく。
特に突出する何かがある人ではない。
それなのに、そんな彼が五十歳目前だというのに一度も結婚せずに今も独身なのは特殊性癖故と言われている……
(中でも彼が特に好んでいると言われているのが女性の───)
私は膝の上でギュッと拳を握りしめた。
同時に自分が選ばれた理由にも思い至る。
「……ルキア。急な話だが明日、侯爵殿が我が家を訪ねて来る。ルキアに会いたいそうだ」
「え? 明日?」
それはまた急な話。
そしてそれだけ向こうは急いでいるということ。
「それで……だ。そのままルキアを侯爵家に連れて行くつもりだと先方は言っている」
「そんな! でも、まだ私はシグルド様と婚約を……」
私たちの婚約はまだ解消されていない。
一応、まだシグルド様の婚約者である私を連れて行く?
さすがにそれは有り得ない。
私が懸命に首を振るも、お父様は私に向かって深く頭を下げた。
「いいや、すまないルキア」
「え……?」
「殿下との婚約解消を受け入れる手紙を本日もう王宮に送ってしまっているんだ。手元に届き次第、明日にも陛下はお前たちの婚約解消の発表をするだろう……」
「お父様!?」
「すまない……」
私もお父様と同じようにガクッと項垂れた。
ここまでが限界だったと頭では分かっている。
力の無い我が家ではこれ以上、侯爵家と王家には逆らえなかった。
そう分かっているけれど、全然気持ちが追いつかない。
おそらく、お相手の侯爵家ではすでに私を迎える準備は万端で、結婚の許可も直ぐに降りることになっているに違いない。
(ダメだ……もう、猶予なんてない)
ズキンッ
頭が、そして心が……痛い。
きっと、こんなにも周りが急いでいるのは、シグルド様に邪魔をされないうちに早く私を他の人と結婚させてしまい、私のことを諦めさせようって魂胆。
(こんなの、仕組まれていたようにしか思えない───)
どこから仕組まれていた?
私が魔力を失くした時から?
それとも、最初からこうするために私の魔力を……?
(ミネルヴァ様……)
私の頭の中にミネルヴァ様の顔が浮かぶ。
ミネルヴァ様は取り調べで何か吐いたのかしら?
だとしても今更、もう遅い……
ミネルヴァ様は捕まっていても今頃、自分の思惑通りに私が追い詰められていっていることにほくそ笑んでいるのかもしれない。
私はこのまま黙ってこれも運命だと全て諦めて受け入れる────……
「…………っ、そんなの、嫌」
唇を噛み締めながら私は小さな声で呟く。
(それなら私は……私のするべきことは───)
ズキズキと痛む頭を手で押さえながら私はこれからのことを懸命に考えた。




