15. 目が覚めたら
再び眠りに落ちた私は夢を見た。
────……
『ルキア、手を』
『はい、シグルド様』
差し出されたシグルド様の手にそっと自分の手を重ねている。
(あぁ、この日は…………)
今でも私が一番忘れられない私の社交界デビューの日。
その日のシグルド様は私にドレスを贈ってくれて、初めて公の場で正式に婚約者として彼と踊った。
『ルキア。私の贈ったドレス、とても似合っているね』
『あ、ありがとうございます』
シグルド様の婚約者……私と言う存在はもちろん昔から周知されていた。
けれど、公の場でこうして揃って登場するのは初めてで、すごく注目されていたことを今でも覚えている。
(好奇、親しみ、やっかみ、僻み……)
私に向けられる視線は本当に様々で、シグルド様の隣に立つということがどれだけ重い事なのかを実感させられた夜でもあった。
『大丈夫? 疲れていない?』
『大丈夫です』
『はい、これ。喉が乾いたかと思って』
『ありがとうございます』
踊り終えた私たちは、身体を休めるためにバルコニーに出て涼んでいた。
一旦、私から離れたシグルド様が再び戻って来るとその手には飲み物。
わざわざ持って来てくれたことがとても嬉しかった。
『今日はルキアと初めて踊れて嬉しかった』
シグルド様が嬉しそうにそう言ってくれたので私も笑顔で応える。
『私もです!』
『ルキアもデビューを迎えて正式なお披露目も無事に済んだし、これで少しは私の気持ちも落ち着く。良かったよ』
『良かった?』
シグルド様は何に安堵しているのかしら? と不思議に思いつつも黙って話を聞いていたらシグルド様がクククと苦笑した。
『ルキアは私が何に安堵しているのか全く分かっていないよね?』
『え、ええ。うーんと、あ! 分かりました、初めてのダンス! 私が大きな失敗をしなかったからですね!』
シグルド様が今度は、ははは! と愉快そうに笑う。
『え、違いましたか?』
『違うよ、はぁ、ルキアは本当に可愛いな、もう』
そう言ってシグルド様は微笑むと私をそっと抱き寄せた。
『私が安堵しているのは、こんなにも可愛いルキアが、私の婚約者だと皆にちゃんとお披露目出来たことだよ』
『え?』
『王太子の婚約者に横恋慕する阿呆はそうそういないからね』
言葉の意味が理解出来ず目を丸くしているとシグルド様は言った。
『ルキア、君が好きだよ。君が私の婚約者だからじゃなくて』
『……シグルド様?』
『───ルキア・エクステンド伯爵令嬢という君のことが好きなんだ』
その言葉と共にギュッと抱き込まれる。
抱き込まれた私はグラスどこに置けば……?
と焦る。
いや、それよりも好き、という言葉に心の底から驚いていた。
愛の告白を受けているはずなのに、持っていたグラスをどうしたらいいのか分からずわたわたする私の様子を見ていたシグルド様は笑いながらも、とても愛おしそうな目で私を見つめて──……
『はは、本当に可愛い』
『……!』
『────私のルキア』
そう言って私の顎に手をかけて上を向かせるとそっと、顔を近付けてそっと唇を重ねた。
これが───初めてのキスだった。
そして、それからのシグルド様はかなり積極的に私に迫るようになった。
シグルド様は人目が無くなると、よく私に触れたがった。
たくさん抱きしめてくれて、たくさんキスをして。
甘い甘い時間をたくさん過ごした。
『ルキア、触れていい?』
『!』
『あ、その顔は“いいよ”って、意味だね?』
『っっ~~~!』
大好きな人にそんなことを言われて嫌だと言える人がいる?
私には無理だった。
そんな強引なシグルド様だけど、彼は本当に私が嫌な時はちゃんと見極めている。
そういう時は絶対に迫って来ない。
本当に本当にずるい人だと思う。
でも……
(だから、好き)
昔から私のことをちゃんと見てくれて、強引な時もあるけどきちんと気持ちも推し量ってくれるシグルド様のことが……
私はやっぱり好き─────……
────……
「────ルキア、起きて? そろそろ帰らないといけない時間だ」
「ん……」
シグルド様の声がしたと思ったら、私の身体が優しく揺すられている。
私は寝ぼけた頭でうっすら目を開けた。
「あ、起きた?」
「ん……」
(まだ眠い……)
残念ながら眠気には勝てず、私はそのまま目を閉じる。
「ほらほら、私の可愛い眠り姫、目を覚ますにはやはりキスが必要?」
「ん……」
キス……?
そうね。王子さまがお姫様にキスをしたら、眠っていたお姫様が目を覚ました!
巷にはそんな物語が沢山ある───……
「うーん? その色っぽい声は肯定と捉えて良いのかな? 私の可愛いお姫様」
「……」
(……? 色っぽい? 肯定??)
まだ、寝ぼけている私は頭が回らず、シグルド様の言葉が理解出来ていない。
そのままぼんやりしていたらシグルド様が私に近付いて来る気配がした。
「ルキア……」
パチッ!
私はここで目を開ける。
目を覚ましたら、目の前には爽やかに笑うシグルド様のドアップの美しい顔。
「!?」
驚いて一瞬、呼吸が止まりかけた。
「おはよう! 私の可愛い眠り姫!」
「ひえっ!?」
しかも変な声まで出てしまう。
そんなシグルド様はクスッと笑うとそっと私の頬を撫でる。
「うん、顔色は良くなったかな」
「そう……ですか?」
自分ではよく分からない。
けれど、確かに眠った分、頭はだいぶスッキリしたかもしれない。
「悪夢は見なかったようで安心した。いい夢みれた?」
「っ!」
見ていた夢の内容を思い出してしまい、私の頬がポポポッ熱を持つ。
シグルド様が不思議そうにじっと私を見つめる。
「え!? ルキア、何でそんな急に可愛い顔を……? え? もしかしてそんなに私に襲われたい?」
「襲っ!? ちが、違います! そうではなくて!!」
私は全力で首を横に振る。
悪夢の代わりに本当にシグルド様にたくさん愛される夢を見たなんて……言えない!
しかし、そこは何でもお見通しの鋭いシグルド様。
「ルキア……もしかして、本当に私の夢を見た?」
「!!」
ギクッと身体を震わせる。
そんな私を見てシグルド様は嬉しそうに笑った。
そして、そっと私の手を取りそこに口付けを落とす。
「ルキアは分かりやすいね? でも、そんな所も可愛らしい」
「なっ!?」
「あ、そうだ! 夢の中の私はどんな風に君を愛したかな?」
「!?!?」
(シグルド様ーー!?)
思ってもみない質問に私は更に慌てた。
シグルド様はクスクス笑いながら更に追及してくる。
「だってルキアがそんな可愛いらしい反応をするくらいだ。もしかして夢の中の私は積極的だったのかな?」
「え、いや、そんなこと……は。それに何で愛したって断定……」
(愛されたわ! 愛されていたけれど!!)
そんなこと恥ずかしくて口になんて出来ない。
それなのにシグルド様はきょとんとした様子であっさりと口を開く。
「だって、たとえ夢であっても私がルキアを前にして愛でないはずがないだろう?」
「め、愛で……うぅぅ」
(その自信はどこから来るのーー!?)
「ルキア?」
「……っっ」
観念した私は両手で自分の顔を覆うとおそるおそる口を開いた。
「む、昔の夢を見た……だけです」
「昔?」
「は、い。シグルド様との……その初めての……」
そこまで口にした私は恥ずかしさでますます真っ赤になって続きが言えずに固まる。
でも、シグルド様には伝わったらしい。
「ああ、社交界デビューの日、かな?」
「っっ」
「あの日のルキアも可愛かった」
「も、もう!! シグルド様はいつもそればっかりです!」
「そうかな?」
顔から手を離した私がポカポカとシグルド様の胸を叩く。
でも何故かシグルド様はますます嬉しそうな笑顔を浮かべるだけだった。
──────
私の頬の火照りも落ち着いたので、今度こそ本当に帰宅する為に部屋を出る。
迎えの馬車の所までシグルド様と手を繋いで歩いていると、シグルド様は私が眠っている間に起きたことを話してくれた。
「え? ミネルヴァ様を拘束した?」
「そう。ちょっと強引だったけどね。あまりにも不快で馴れ馴れしかったから」
「えええ!?」
まさか、私が寝ている間にそんな急展開を迎えているなんてと驚く。
「ミネルヴァ様は、何か……語ったのですか?」
「いいや。今はどうして私が捕まるのかってきゃんきゃん騒いでいるだけ」
「きゃんきゃん……」
その姿は容易に想像がついた。
シグルド様は顔を引き締めて私に言う。
「ルキア。私は全部あの女が怪しい、そう思っている」
「!」
「そして、あの女がルキアに何をしたのかが分かればルキアの魔力も戻ると思っているんだ」
「私の魔力が……戻る?」
そんなことが本当に有り得るの?
私が目を瞬かせているとシグルド様が少し悲しげに微笑む。
「ルキア、だから私から逃げないで?」
「え?」
「まぁ、逃がさないけどね」
ドキッとした。
ほら、やっぱりシグルド様には全部見透かされている。
そして今度は真面目な顔で私を見つめた。
「私の花嫁になるのは君だけだ、ルキア」
シグルド様はそれだけは絶対に譲らないという目をしていた。
******
「ただいま、戻りました」
屋敷に戻ると、何だか家の雰囲気が全体的に暗かった。
思わず胸の前で拳を握りしめる。
(……何? 何だか嫌な予感……胸騒ぎがする)
「ルキア、戻ったか」
「はい」
奥からお父様がやって来て私を出迎えた。
その表情は……どこか暗い。
「……帰ってきてすぐですまないが、大事な話がある」
「え?」
(大事な話──?)
ドクンッ
私の心臓が嫌な音を立てた。
だって、お父様がこういう表情をする時は絶対にいい話ではない。
そのままお父様の執務室に入るとすでにお母様もそこに居た。
そして、お母様もあまり顔色が良くない。
「お母様?」
「ルキア、おかえりなさい……」
(本当にこの雰囲気は何なの?)
ドクンッドクンッ
心臓が嫌な音を立てる。
「ルキア、座りなさい」
「は、はい」
お父様に促され私もソファに腰を下ろす。
そして、ようやくお父様が口を開いた。
「ルキア、これを」
お父様が私に一通の手紙を差し出す。
「これは?」
「ルキア宛てだ」
「……私?」
手紙をひっくり返して封蝋を確認するけれど知らないものだった。
(誰から?)
私が首を傾げているとお父様は辛そうな表情で私に言った。
「ルキア、すまない。王宮に殿下の婚約者として通うのは今日で終わりだ」
────と。




