14. 不愉快な女(シグルド視点)
「ハァ……」
結局、今日も何一つ交わることのなかった父上との話を終えて謁見室から外に出た。
思わず深いため息が漏れる。
(父上のあの考え方……反吐が出る)
魔力や力さえあれば誰でもいいと言わんばかりのあの考え方。
ルキアと出会わせてくれたことだけは感謝しているが、それ以外に感謝したことなど一度も無い。
そもそも、父上があんなに“魔力や力”にこだわっているのは、自分のコンプレックスが原因だ。
(父上の魔力量は人並み……いや、下手するとそれ以下)
それに比べて叔父……弟のハーワード公爵は父上なんかとは比べ物にならない程の魔力と力を持っている。詳しくは知らないが、そのせいで王位継承でも一悶着あったらしい。
だから未だに父上の中では今も燻っているものがあるのだと思う。
結局は、父上が魔力の強かった母上を娶ったことで無事に即位したと聞いている。
コンプレックスの塊な父上が選んだ自分の妃の条件こそが、魔力量が多くて強い力を持っている女性。
身分は二の次。
実際私の母上は元、男爵令嬢だった。
(そんな始まりだからか、今、父上と母上の仲は完全に仮面夫婦だ……)
そうして生まれた私の力は決して弱くない。
それなのに何故、息子の私にまでそれを押し付ける──?
「とにかく、今はルキアの所に戻って様子を……」
そう思いながら廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「あら? 王太子殿下ではありませんか?」
(……この声は)
その声に眉をひそめてピタッと足を止める。
そしてゆっくりと振り返った。
甘ったるい声を出しながら私の方へと駆け寄って来ようとするのは、思った通りミネルヴァ・ティティ男爵令嬢だ。
「お会い出来て嬉しいですわ」
「……」
「何故か王宮に通っていても殿下のことは中々お見かけしないので」
こんな時にと内心で舌打ちする。
こっちは早くルキアが心配で早く顔が見たくて見たくてたまらないというのに。
この女の顔を見ると腹立たしいという気持ちにしかならない。
そんなティティ男爵令嬢は、わざとらしく辺りを見回した。
「あら? ルキア様はいらっしゃらないのですか? 珍しいですわね?」
「……」
私が答えずにいるとティティ男爵令嬢はクスッと笑った。
「まぁ、もうルキア様はいてもしょうがない方ですものね」
「何が言いたい?」
苛立った私が冷ややかな目線と冷たい声で答えるも、この女は堪える様子すら見せない。
更にえへっと笑った顔で話を続けてくる。
「嫌ですわ、殿下ったら……あ、もしかしてこれは照れ隠しですの?」
この女の笑い方にさらに苛立ちが募る。
「もう陛下からお聞きになっていますかしら? 役立たずとなられてしまったルキア様の代わりに私がこれからの殿下をお支えすると言うお話なのですけど?」
「……」
(この女は私をイライラさせる天才だな)
「ルキア様には大変お気の毒な話ですけれど……こうなることは必然でしたので仕方ありませんわ」
必然だと?
何故かこの女は強調した。
そして、大きな声で何やらブツブツと語り出した。
「ルキア様はただの役立たずなので政略結婚の駒にもなれず、それならばと唯一手を差し伸べた変態紳士の元に嫁がされてしまうのですわ。これからは変態に調教される日々……ふふ、お可哀想……」
(……非常に腹の立つ妄想話だな)
こんな女の語る不愉快な話にこれ以上は付き合ってなどいられない!
「ティティ男爵令嬢!」
「まあ、殿下ったら! どうぞ、私のことは“ミネルヴァ”とお呼びくださいませ」
ティティ男爵令嬢が甘ったるい笑顔を浮かべて名前で呼んで欲しいと懇願してくる。
図々しいにも程がある。
私はわざとらしくため息を吐いた。
「……ティティ男爵令嬢、邪魔だ」
「え」
ティティ男爵令嬢の顔が分かりやすくピシッと凍りついた。
「え、なん……で?」
「私は愛しい婚約者のルキアの元に向かうので失礼する」
「……なっ!」
彼女を無視して私はそのまま歩きだそうとした……が、焦った様子のティティ男爵令嬢が慌てて引き止めてきた。
「王太子殿下! お待ちになって下さい! 私は陛下の命を受けておりますのよ!? そんな私を無下にするなんて───」
必死な形相のティティ男爵令嬢が私に向かって手を伸ばそうとしたその時だった。
───バシンッ
「きゃっ!?」
ティティ男爵令嬢の伸ばした手が私に触れようとした寸前で弾かれる。
「な、何!? 何なの? 今、何かに……弾かれ、た?」
よろけたティティ男爵令嬢が目を白黒させながら手を擦っている。
自分の身に今、何が起きたのかよく分かっていないのだろう。
(やっぱりこうなったか)
想定通り過ぎて私は内心で大きく納得する。
ルキアがこの女に怪我をさせられたと知ってから、遅かれ早かれ私の元にこの女は近付いて来るだろうという予感があった。
だから、私は自分自身に防御の術を掛けた。
それもただの防御ではない。
────ルキアに害を与えようと企てている者を弾く。
というかなり限定的な条件付きの防御の術だ。
そして今、この女は確かに弾かれていた。
それも、かなり思いっ切り。
つまり、このミネルヴァ・ティティ男爵令嬢。
この女は……
ルキアの敵! すなわち、私の敵だ!!
そして術が発動したということは、この女の力は私より弱い!
「なに……何なの……?」
混乱中のティティ男爵令嬢。
一連のルキアの魔力喪失の件が本当にこの力の弱い女の手で? と思わなくもないがそれはこれから明らかにさせるしかない。
「……あの、王太子殿下? 今のはいったい何ですの?」
私は冷たく言い放つ。
「そなたに私に触れる資格は無い、ということだな」
「なんですって!?」
冷たくそう返すだけの私に男爵令嬢は本気で驚いているようだった。
「どうしてですの? 私はルキア様の代わりにあなたの妃となる存在ですわよ!?」
「……君が私の妃になることはない」
「ど、どうして殿下は私に向かってそんな顔をするのです?」
「……分からないなら君の頭の中はよほどめでたいのだろうな」
私の嫌味にティティ男爵令嬢の顔がカッと赤くなる。
「だ! だいたいおかしすぎますわ! 殿下は子供の頃に“ただ、魔力量が多い”という理由だけで選ばれた婚約者を疎ましく思っているはずですわ」
その聞き捨てならない言葉にピクッと私の眉が反応する。
私がルキアを疎ましく思うだと?
あのどこから見ても何をしていても、存在そのものが“可愛い”しかないルキアを?
「殿下は、表向きではルキア様のことを愛しているように振舞っているだけで、内心は……そろそろ、不満が爆発する頃のはずですわ!」
ありもしないことを口にするこの女。
(いったい、どんな目をして見ていたらそんな風に思えるんだ?)
今の発言は今も私の近くで控えている護衛たちを酷く動揺させていた。
彼らは昔から私がルキアしか見ていないことをよーーく知っている。
おかげでルキアと私がいい雰囲気になると、完全に空気になれるという特技をこの数年で身に付けているくらいだ。
今のこの女の発言はそんな護衛たちが驚く程有り得ない話だった。
「殿下……」
私が黙っていることを肯定と受け止め気を良くしたのかティティ男爵令嬢がにっこりと笑いかけてくる。
「そろそろ自分を偽るのもお疲れでしょう?」
(偽ってないが?)
「ある日、突然、貴重な属性と力を発現した私に興味を抱きましたわよね?」
(怪しいという意味でなら)
「そんな中、殿下のお役に立とうと日々頑張っている私に今まで芽生えたことのない気持ちを感じているはずですわ?」
(そうだな───“殺意”が芽生えた)
「ですから、早く私を選んで下さい。一緒に役立たずなルキア様を完全に排除しましょう? ここまでは順調に来ましたもの! 残っている最後の仕上げをするのは勿論、殿下ですわ」
“最後の仕上げ”という意味が分からない言葉が飛び出した。
何を言いたいのかよく分からないが、何かこの女が重要なことをペラペラ喋っていることだけは分かった。
「あら? なぜそんなに驚いた顔をするのですか?」
ティティ男爵令嬢は不思議そうに首を傾げる。
「私の幸せを邪魔をする邪魔者を懲らしめるのは、殿下の役目ですもの!」
(ヒロ……? あくや……? ヒー……なんだって?)
聞きなれない意味不明のことを口走ったティティ男爵令嬢は、今度は私に向かって抱きつこうと腕を伸ばし───
「きゃあぁぁぁ!?!?!?」
バッシーーーーーンと大きな音と共に弾かれて盛大に吹き飛ばされていく。
威力凄すぎないか? と、若干引きかけたがそれよりもと思い直す。
今がチャンスだ!
「今だ! ティティ男爵令嬢を拘束しろ!」
「え? どこから!? や……な、何で? どうしてですの!?」
私の声で護衛たちがティティ男爵令嬢を確保しようと一斉に飛び出した。
彼らの存在に気付いていなかったティティ男爵令嬢は起き上がると悲鳴を上げる。
そして拘束しようとしてくる護衛立ちに向かって声を張り上げる。
「ちょっと、離しなさい! 私は王太子妃になる身ですわよ! 未来の王妃よ!? こんなことをしてただて済むと思っているの!?」
「いいえ。殿下の防御術が働いて盛大に弾かれたあなたは単なる危険人物です!」
「大人しくしろ!」
「は、はぁあ!? 私が危険人物ですって!? 離しなさ……」
ティティ男爵令嬢は突然の事態に暴れて抵抗しているが、王太子の護衛の力に適うはずがない。
最後はあっさりと拘束された。
(何が王太子妃になる身だ!)
だが、その図々しい考えと馴れ馴れしい行動のおかげでとりあえずこの女を確保することは出来た。
捕まえる為の罪の理由なんか何でもいい。
今は大した罪には問えないかもしれないが、取り調べを進めていくうちにルキアの件も含めて判明していくはずだ。
(だが……この女は父上だけでなく、王宮の者たちもだいぶ手なずけている様子)
時間をかけ過ぎると、あちらこちらで反発が起きる可能性は高い。
特に父上が動き出すと厄介なことになるのは目に見えている。
「急がないといけないな……」
涙目で離してぇぇと叫んでる不愉快な女を横目に私は小さな声でそう呟いた。




