13. 王子様の想い
「────ルキア」
シグルド様に名前を呼ばれたので抱き込まれている胸の中からそっと顔を上げた。
すると、再びシグルド様の顔が近づいて来た。
「え!? シグルド様! ま、またですか!?」
「違う、今度は───」
(違う?)
不思議に思っているとシグルド様は再び、私の唇にそっと触れる。
(あ……)
そして、今度は確かに身体の中に温かいものが流れて来た。
力を注がれていることは分かる。
でも、さっきとは違う。
これは“浄化”ではない。
「ん、んんっ……」
私が苦しそうな声を上げたのと同時にチュッと音を立てて唇が離れていく。
「っは! い、今のは何の力ですか!?」
「私の持っている力の一つ“防御”の力をルキアに送った」
「……え? 防御?」
さすが王子様。
浄化とか防御とか身を守る術に長けている。
「この力がかかっている間は、私より弱い力の者が使う術は効かない。だけど──」
「だけど?」
シグルド様はうーんとバツの悪そうな顔になった。
「?」
「魔力の無い今のルキアには定期的に供給を行わないと長時間の維持は出来ない」
「なるほど、そうなんですね! …………ん? 定期的に?」
「そう、定期的」
「……それって」
だって力の供給方法はキス────
自覚した私の顔がボボンッと一気に赤くなる。
「ははは、ルキアの顔が真っ赤だ、可愛い」
「だ、だ、だだだって!!」
「うん、私としてはルキアも守れて、この甘くて可愛い唇にキスが出来るならこの上なく幸せだけど?」
「!?」
シグルド様の指がそっと私の唇に触れてそのまま撫でる。
心臓がバクバク鳴っていて止まってくれない。
「な、なんてことを言っているのですかっっ!」
私が抗議の声をあげるとシグルド様はやれやれと肩を竦めた。
「ルキア。私は前から君に言っているだろう?」
「はい?」
「本当は力の供給だとかそんなことは関係なく、私は何時だってルキアの唇に触れたい、と」
「───それはっ」
シグルド様が寂しそうに目を伏せる。
「でも最近のルキアはそこに触れる許可を全然くれない」
「~~~っっ」
身を引いて婚約解消することを考えているのに、これまでのようにキスの許可なんて出来ない。
「──ごめん、困らせた。でもね? ルキア」
まだ、寂しそうな表情をしているシグルド様が額をコツンと合わせてくる。
「シグルド様?」
「私は何よりも誰よりもルキアが大切だ。だから、こんな方法でも私に守られてくれると嬉しい」
そう語るシグルド様が真剣な眼差しで私を見つめてくる。
私たちは四六時中一緒にいるわけにはいかない。
見えないところで私に何かあったら不安なのだとシグルド様は言う。
「君は強かったから。今までならここまで心配することも無かったんだけど」
「ずるいです、そんな言い方……」
ここまで言われて嫌ですなんて言えない。
「ははは!」
「笑いごとじゃありません!」
「ごめん、ごめん」
シグルド様は軽く笑ったあと、手を伸ばしてそっと私の頬に触れる。
そして顔を近付けると、念を押すかのようにチュッともう一度私にキスをした。
「隙あり」
「もう! シグルド様!」
「ははは」
シグルド様がもう一度軽く笑ったその時だった。
「あ…………あれ……?」
「ルキア? どうした?」
「分からない、ですけど……急に、何だかとても、眠い…………です」
急な眠気に襲われた。
だんだんと意識が飛んでいく。
「大丈夫だ。このまま眠るといい。頃合いを見て起こしに来るから」
「でも……」
シグルド様は私をベッドに寝かせると優しく頭を撫でた。
「ルキアが寝付くまではそばに着いている」
「シグルド様、は忙しい、のに……それ、に」
(怖い……もしも、また、あんな夢を見たら……)
とにもかくにも眠い。
でも、また悪夢を見たらと思うと怖い。
「ルキア、大丈夫だから。私を信じてくれないか?」
「……」
シグルド様の優しい手と安心出来る声に恐怖心が消えて心がポカポカしてくる。
「今、眠っても今度は絶対に悪夢を見ない」
「ほ、んとう?」
「ああ。そうだなぁ……どうせなら、私にたくさん愛される夢を見るといい」
「!」
シグルド様は胸を張って少しいたずらっ子のような顔でそう言った。
思わず、ふふっと笑ってしまう。
「ふ、ふふ……もう、なん、ですか……それ…………」
でも、さっきの悪夢が上書きされて、本当にそんな夢が見られたのなら幸せだなぁ、とは思う。
「……」
(あ、ダメ。無理、本当に眠い……)
私は静かに瞳を閉じる。
“大丈夫”
あなたのその言葉を信じて─────
「────ルキア、愛してるよ」
そんなシグルド様の甘くて優しい声を最後に私は再び眠りについた。
✣✣✣✣✣
「……」
ルキアがスースーと寝息をたて始めた。
「……眠った、か?」
私は愛しい婚約者、ルキアの顔を覗き込む。
「ごめん、ルキア。少し強引だったかもしれない」
先ほど、ルキアが急な眠気に襲われたのは私が力を使ったからだ。
ルキアにはすまないが少し眠ってもらった。
今はどうしてもルキアを休ませたかったから。
「うん、でも大丈夫そうだな」
今のルキアの顔は穏やかなままで、悪夢に襲われて苦痛で歪んでいた時の顔とは大きく違う。
穏やかな顔をしている理由が本当に私に愛されている夢を見ているのだったらこの上なく幸せだ。
「しかし……こうもスヤスヤ眠られると本当にルキアの魔力が無くなっていると実感する」
私は起こさないようにそっとルキアの頭を撫でた。
サラサラの銀の髪をそっと手にすくう。
「ついこの間までは私の力で無理やりルキアを寝かせることなんて出来なかったからなぁ……」
それくらいルキアの持つ力は強かった。
それなのに、だ。
彼女の力を奪ったあげく呪いまで───
「よくも、ルキアを……」
ギリッと唇を噛む。
こんなことをした人間を私は絶対に許さない。
「……ん」
「はっ、ルキア?」
ルキアがゴロンと寝返りをうった。
その顔は変わらず穏やかでホッと安堵し胸をなでおろした。
「悪夢……か」
呪術の中に悪夢を見せるというものがあったことは記憶している。
今回使われたのはそれだろう。
だが、具体的なことはあんまり覚えていない。
「こんなことならもっとしっかり学んでおくべきだったな」
更に困ったことにルキアは魔力を失ったせいで、自らを防護する力も失くしているようだ。
今までのルキアならこんな呪い簡単に跳ね除けていただろう。
そんなことを思いながらルキアの顔を見つめる。
「ん? 涙の跡?」
私はそっと起こさない様に気を付けながら、ルキアの目元に触れる。
そこには明らかに涙の跡があった。
「……泣いたのか。今のルキアは滅多に泣かないのに」
どれだけ怖い悪夢を見たのだろうか。
私はどうにもやり切れない気持ちになった。
「ルキア……」
静かに愛しい彼女の名前を口にする。
子ともだったせいもあるが、ルキアは私と出会って婚約を結んだ頃はよく泣いていた。
でも、ある時から全く泣かなくなった。
『私、気付きました。メソメソしているだけでは何も変わらないってこと』
『誰に何を言われても、この私がシグルド様をずっとお支えしますから!』
『私のせいであなたがバカにされることのないように……私はその為の努力を惜しみません』
ルキアは“伯爵令嬢”の自分が高位貴族令嬢達を差し置いて私の婚約者になったことをずっと後ろめたく思っていたらしい。
だが、ルキアは後ろを向かなかった。
いつだって、前を見て私に真っ直ぐな目を向けてくれるルキアに惚れない方がどうかしている。
「初めて会った時は、王子さまはどこにいるの? なんて変なことを言う子だと思ったが……」
クスッと当時を思い出し笑ってしまう。
だが、いつしかルキアにあのキラキラした目でいつも見て貰える立派な王子になりたい!
そう思っている自分がいた。
「ルキア。君は分かってないかもしれないが、あの頃から私の原動力は全て君なんだよ?」
光属性の力? 癒しの力?
そんなものはあってもなくても関係ない。
私が欲しいのはルキア。
君なんだ──
しかし……
そんなルキアが何者かの手で魔力を失った。
もちろん怪しい人間は分かっている─────ミネルヴァ・ティティ男爵令嬢、彼女だ。
だが、あの小物感が漂う男爵令嬢に、今回の悪夢の呪いや黒魔術のようなものをルキアにかけるなんて真似が出来るのだろうか?
その方法だって何処で知った?
そもそも黒魔術は禁術だ。
それがどうしても分からない。
「ん……シグ、ルド様……」
「ルキア?」
いけない!
起こしてしまったかと不安になったが、ルキアは寝言だけで目を覚ました様子はない。
むしろ……
「可愛っっ!」
(なんてことだ……!)
「私の名前を呼んだと思ったら、こんなにも可愛い笑顔を無防備に浮かべているだと……!?」
あまりの衝撃に私の身体がプルプル震え始めた。
(なんなんだ!? 可愛すぎるだろう!)
これは私へのご褒美か?
いや、それとも今は思うがままにルキアに触れられないからこれは一種の拷問か!?
なんて私はその場でしばらく悶えた。
ハッと我に返り時計を見上げる。
そして私はハァ……とため息を吐いた。
「……ルキア。君のこの可愛い寝顔をずっとこうして眺めていたいが、そろそろ行かなくては」
これから父上……陛下に呼ばれているので会いに行かなくてはならない。
ルキアが魔力を失ったと判明してからずっと続いている父上との“不毛な争い”は今も解決の糸口が見えないままだ。
それでも──……
「ルキア……」
眠っているルキアに対して卑怯だと思いつつも、軽く彼女の唇に口付ける。
今は父上に負けない為の元気が欲しい。
「行ってくるよ、ルキア」
ルキアの眠る部屋に結界を張って私は父上の元に向かった。
──────
父上の執務室に到着し顔を合わせるなりお小言が飛んで来た。
「──随分と遅かったな。何処で何をしていた?」
「……申し訳こざいません」
(聞かなくても、知っているだろうに)
心の中でそう吐き捨てる。
「まあいい。お前がどこにいたかなんて分かっている。エクステンド伯爵令嬢の所だろう?」
「……」
ほらな。
私が何処で何をしていたかは、やはり全部筒抜けだ。
父上がこれ見よがしに深いため息を吐く。
「シグルド。いい加減に諦めるのだ。どんな経緯があったかは知らぬが魔力を失った娘を王妃には出来ん!」
「いいえ、原因が分かり解決さえすればルキアの魔力も力も絶対に元に戻ります」
私は毅然とした態度で父上に向かってそう伝える。
しかし、父上は首を横に振る。
「お前のその言葉を信じて待ってはみたが、さっぱりではないか! それとも何か魔力が戻る根拠でもあると言うのか!?」
「……お願いします。もう少し待って下さい」
私は頭を下げて懇願する。
(おそらくルキアは……)
「いいや、もう待てぬ! いい加減にエクステンド伯爵令嬢の事は世間に公表し、婚約は解消! お前の新たな婚約者はティティ男爵令嬢とする! ティティ男爵令嬢はこの話に二つ返事で頷いたぞ!」
「お断りします」
父上の言葉に内心で大きく舌打ちする。
(……あの女っ! 既に父上まで!)
あの女……どうりで、王宮内ででかい顔をしていたわけだ。
誰がルキアを陥れた可能性の高い女を婚約者になどするものか!
そんな強い思いで父上を見上げる。
しかし、父上は鼻で笑った。
「そんなにエクステンド伯爵令嬢が良いのなら、側妃にすれば良いだろう。それなら認めてやる」
「なっ……!」
「だが、正妃は駄目だ。力のある令嬢にしなくてはならんからな! それに一応十年間もお前の婚約者だった令嬢だ。魔力が無くても少しくらいは利用価値があるだろう」
「!!」
ふざけるなという父上に対する怒りが込み上げてきて、歯を食いしばり拳を強く握りしめる。
利用価値?
ルキアの十年間を何だと思っているんだ!
私はなるべく冷静にと心を落ち着けながら反論する。
「ルキアを馬鹿にしないでください! それと、私の妃は生涯ただ一人だけです」
「あぁ。だから、それはティティ男爵令嬢を……」
「いいえ、私の妃になるのはルキア・エクステンド伯爵令嬢、ただ一人。彼女だけです。他は誰であろうと要りません」
「シグルド!!」
───父上と私の話はいつまで経っても平行線のままだった。




