11. 悪夢
とりあえず、いつまでも床に蹲っているわけにはいかない。
「───ルキア!」
痛む足を抑えながら何とか立ち上がろうとしたら、背後からシグルド様の声が聞こえた。
「え?」
「大丈夫か? ルキア」
私が振り返ると、シグルド様は息を切らして私の元に駆け寄って来る。
「シグルド様? ど、どうして、ここに?」
驚いた私が目を丸くして訊ねる。
シグルド様は私の横にしゃがみこみながら言った。
「ルキアがティティ男爵令嬢に絡まれているって、私に連絡があったからだ」
「絡まれている……」
「そんなことより、何があった? どうして床に座り込んでいるんだ?」
「あ……それは」
私はそっと自分の足に視線を向ける。
その視線だけでシグルド様は何があったのか察したらしく、顔を曇らせた。
「足? あの女……まさか、私のルキアに怪我を負わせたのか!?」
「え! ……えっと」
────大変! 目が! シグルド様の目が据わっている!!
しかも、だ。
ミネルヴァ様のことを“あの女”呼ばわりしている。
あまりにもシグルド様らしくなくて戸惑う。
(オ、オーラが……ドス黒い)
「────そうか。私のルキアを傷付けたのか……」
「あの? シグルド、さ────ひゃっ!?」
シグルド様は背筋が凍りそうなほどの真っ黒なオーラを出したまま、よいしょっと私を抱き抱える。
そして苦々しい顔で吐き捨てるように言った。
「……私のルキアを傷付けた罪は重い」
「えっと……」
私が戸惑っているとシグルド様はにっこり笑う。
いや、よく見れば目の奥は笑っていない。
(ひぃぃっ!?)
「あの女の始末は必ずするからルキアは安心していてくれ。何で始末しようか? 抹殺、撲殺、毒殺、刺殺……私は何でも構わないよ?」
「ええ!?」
「ルキアは、好みの殺る方法とかあるかな?」
「!?」
任せてと言わんばかりの顔をするシグルド様。
好みとか以前にそれ全部、死んでる! 死んでるから!
ミネルヴァ様はあんな様子だけど、貴重な属性と力の持ち主。
それなのに、そんな簡単に始末していいはずがない。
私は全力で首を横に振った。
「はぁ…………私としては今すぐ殺りたい所だが、今は大事な大事なルキアの手当の方が先だ」
「えっ」
「そして、手当てが済んだら何があったか話してくれ」
「は、はい……」
そのままシグルド様はどす黒いオーラを撒き散らした笑顔を浮かべながら、私をお医者様の元へと運んだ。
──────
診察の結果は軽く捻っただけで骨に異常などは無いとのことだった。
とりあえず安静にということでベッドに横になっている。
(力が使えていたならこんな怪我、直ぐに治せるのに)
そうは思うもののこの程度の怪我だったら、自然治癒に任せた方が良いのだけど。
ただ、このままだとシグルド様が……
「ルキア、大丈夫か?」
「ルキア、痛みはどうだ?」
「ルキア、変わりはないか?」
「ルキア、移動したい時は私に声をかけてくれ! 抱っこする」
(だ、抱っこ……!?)
お医者様の診察を終えた後からシグルド様はこんな様子で五分毎くらいに私に足の様子を訊ねては、甲斐甲斐しく世話を焼こうとしてくる。
「シグルド様、心配して頂けるのは大変嬉しいのですが、その……さすがに五分毎に訊ねられても変化はそうそう起きません」
「……そうなのか?」
オロオロした顔のシグルド様の顔にキュンとしつつ苦笑する。
「そうですよ、急に悪化したりもしませんから、今はお仕事に戻って下さい」
「だが……」
「帰る前には声をかけますから、ね?」
「ルキア……」
シグルド様の目が、とにかく私のことが心配で心配で堪らない───そう言っている。
私はこれ以上心配かけたくなくて大丈夫と笑顔を浮かべた。
しかし……
「いや、ルキア。私は騙されない」
シグルド様が鋭い目で私を見つめる。
その言葉にギクッと身体が跳ねた。
「……な、何がですか?」
「ルキアが心から笑っている時の笑顔はもっと可愛い」
「え?」
「今の笑顔は無理をしている時に作る笑顔だ」
「!」
そう言いながらシグルド様の手が私の頬に触れる。
私の胸がドキッとする。
「ルキア……」
そのままシグルド様の顔がどんどん近付いて来て私の前髪にそっと触れた。
そして、チュッと私の額に彼の唇が触れる。
「額なら触れても許されるか?」
「…………許すも許さないも、もう触れているじゃないですか」
「ははは、それもそうか。じゃあ、頬も……」
シグルド様は苦笑すると今度は頬にもチュッとキスをする。
「~~~っっっ!」
あまりにも甘い攻撃に一気に私の顔が真っ赤になる。
「すまない。ルキアが可愛くてつい我慢が出来なかった」
「……」
「許してくれ」
シグルド様はそう言いながらそっと私から離れた。
「よし! 私は仕事に戻る」
「は……はい」
(ダメ。寂しいなんて思っては……ダメ!)
私は必死に自分にそう言い聞かせる。
シグルド様は微笑みながら優しく私の頭を撫でた。
「では、また後で様子を見に来る。それまでいい子で待っていてくれ」
「なっ! 子ども扱いはやめてくださいませ!」
「ははは、顔が真っ赤だ。うん、ルキアはやっぱり可愛い」
(~~~もう!)
シグルド様は笑いながら部屋から出て行き、その場には顔を真っ赤にした私だけが残された。
「……静か、ね」
シグルド様が一人で騒がしかったからか居なくなってしまったら部屋の中が一気に静かになった。
「動けないし、人もいないし……暇」
シグルド様は部屋の外に護衛は配置していると言っていた。
けれど、私に気を使ったのか部屋の中には人を置いていかなかった。
もちろん呼べば直ぐに誰か来てくれる。
でも、今ここに誰かを呼びたいと言う気持ちには全くならない。
「……役立たずな今の私は王宮の人達からの人望が無くなってしまったもの」
それなのに、だ。
魔力がなくても癒しの力が使えなくてもシグルド様は私が良いと言ってくれる。
「変なの。なにもかも無くなってしまったのに私の価値って何処にあるのかしら? シグルド様はいったい私のどこを…………んっ……」
私は段々とウトウトしてしまい気が付けば夢の世界へと入り込んでいた。
────────…………
『───ルキア、君との婚約は解消しようと思う』
『!』
無表情のシグルド様が私にそう告げる。
『やはり、魔力の無い君は将来の王太子妃に相応しくない』
『あ……』
『“癒しの力”も使えない君は王家の役に立てないだろう? だから、君の望んだ通り私はもっと私に相応しい人を選ぶ事にする』
───もっと相応しい人。
ズキッ
何故かその言葉に胸が痛んだ。
どうして胸が痛むの? 自分が望んだ展開になったはずなのに。
私は下げていた顔を上げておそるおそる訊ねた。
『……どなたをお選びになるのですか?』
『……』
私の質問にシグルド様はにっこり笑う。
『もちろん、決まっている。ミネルヴァ・ティティ男爵令嬢だ!』
『そう、ですか……』
分かっていた。
分かっていたことなのに……“その時”が来たのだと思うと胸が苦しい。
『最初は不安定そうだった癒しの力も今は使いこなせているそうだし、何より貴重な属性の持ち主だ』
『……』
『残念ながらルキアと違って魔力量は人並みらしいがそれ以外の部分で充分、周りには王太子妃として認められるだろう』
(王太子妃……)
私がなりたかったもの。
そのために努力し続けた十年間が私の頭の中に駆け巡る。
『幸い、王宮の者たちも彼女のことを快く受け入れてくれている』
『そうですか……おめでとうございます』
『ああ』
(私が、ずっとあなたの隣に…………いたかった)
『今までご苦労だった、ルキア』
『──っ!?』
笑みを消したシグルド様に冷たくそう告げられた瞬間、突然頭の中に声が響いて来る。
────ヤクタタズノオマエハイラナイ。
────イッショニイルノハ、ズットクツウダッタ。
────コレデ、ホントウニスキナヒトトシアワセニナレル!
(なに、これ? シグルド様の、声!? ……痛っ……頭が割れるように痛い!)
私は役立たずだからシグルド様には相応しくない。
邪魔だった?
シグルド様には他に好きな人がいて本当は私といるのは苦痛だった?
……ああ。それなら、私にはもう生きている価値なんて──……
「……っ!」
何? 黒い何かに私の気持ちがどんどん引きずられていく!
────イラナイ。オマエハモウ、イラナイ。
(怖い! 何これ、嫌だ……)
「……うっ」
ズキッ!
ズキンズキン……
そして頭痛は更に酷くなる一方。
「……けて」
(苦しい……)
「いや! 誰か助け……」
──“誰か”じゃない。
「助けて! シグルド様ーーーー!!」
「ルキア!!」
「!」
手を伸ばして、シグルド様の名前を叫びながらパチッと目を覚ます。
叫んだと同時に自分の名前を呼ばれて、宙に伸ばした手もしっかり取られていた。
(──え?)
驚いて目を丸くしていると、青白い顔をしたシグルド様の顔が目の前に見えた。
「ルキア、大丈夫か?」
「……シグ、ルド、様……?」
シグルド様はとても心配そうに私のことを見ている。
あの冷たかった眼差しは?
「そうだよ、私だ」
シグルド様がギュッと私の手を握りこむ。
「……」
これは?
私たち婚約を解消……したのよね?
これは夢……? 違う?
(え? え!?)
私の頭の中が大混乱を起こしていた。
「ルキア……」
シグルド様としっかり繋がれている手に視線を向ける。
この温もりが私は昔から安心出来て大好きで……
(夢じゃない。ここに居るのは私の大好きなシグルド様だ)
そう思ったら段々落ち着いて来た。
私は軽く深呼吸する。
「様子を見に来たら、ルキアが酷くうなされていた。大丈夫か?」
「……大丈夫、です。ありがとうございます。ちょっと嫌……な夢を見まして」
「夢?」
「そうなんです。すごく嫌な夢で……気持ちが引きずられそうになっていました」
私が力なく微笑むと、それまでは心配そうだったシグルド様の顔つきがスッと真剣なものに変わった。
「ルキア」
「シグルド様?」
「───すまない、ルキア」
「え?」
謝られた? と思った瞬間、シグルド様の顔が近づいて来て私の唇に柔らかい物が触れた。
「!?」
(───えっ!? 待っ……キス、されてる!?)
突然のキスに驚くと同時に何か温かいものが私の身体の中に流れ込んで来るような感覚があった。




