93,再打ち合わせ
アノンはうつむいたままだった。頭上を飛び交う、ライオットと男たちの会話を聞いていた。手にしていたカップを、力なく降ろし、地面に置いた。
涙が出てきそうだった。
誰も傷つけないで、誰も欠けさせることなく目的地に行ける力は十分に備わっている。ただ、どう伝えて良いか分からない。アノンは、相手に伝える言葉を持っていなかった。
力を力として示す方法しか思いつかないアノンを、ライオットは子どもだと評した。憤慨する気も起きなかった。その通りだとアノンは思った。
頭上で交わされる言葉に堪えきれない気持ちが胸にせりあがってくる。アノンは地面を凝視した。
「誰かを失って目的を果たしても、アノンが傷つくだけなんだ。
力のある自分がいるにもかかわらず、誰かかが傷ついてしまうと、この子が自分を責めてしまう」
ライオットは真っ直ぐな声で、アノンの気持ちを、イルバーたちに代弁する。
アノンの堰は決壊した。まなじりにせりあがってくるものを抑えきれなくなる。
「具体的に俺たちはどうしたらいい」
「アノンの見えるところにいてほしい。狂暴な魔物が現れたら、真っ先に俺かアノンに知らせてくれ。知らせる合図を決めてくれたら、俺たちは終始それに気をつける」
「なんか俺たちが守ってもらっているような状況になってしまうな」
「気にしなくていいよ、ラディ。俺とアノンが護衛役なんだよ」
「立場が逆になってしまうか」
「むしろ道案内の方が重要だ。俺やアノンは、森に詳しくないし、不慣れなんだ。ラディたちのように、地の利を活かして動くことは不可能だ。ラディたちの力がないと行きつけないし、帰れないよ」
頭上で交わされる言葉が耳朶をうつたびに、ぼろりぼろりと涙があふれた。泣いているなんて、誰にも気づかれたくなかった。アノンは唇を噛んで、声を抑えた。
周囲がしいんとなっていることにアノンは気づかなかった。
男たちが、わらわらと元の作業に戻り始める。焚火を一緒に囲んでいた二人も出立の用意を始めた。
ライオットだけ残り、アノンの横で座っていた。膝に肘をおき、空を見上げる。アノンが切り刻み、失った枝の元には、年輪を露にする木肌が露出していた。
「アノンも、元世界にいた時は強がっていられたのに、異世界に来てから仮面がはがれて、ぼろぼろだなあ」
ライオットは、軽い声で語り掛けた。いつもなら、悪態が飛んできそうなセリフにも、漏れ出てきたのはアノンの嗚咽だけだった。空を漂う雲を眺める。気が済むまでアノンは泣いていればいいと思っていた。
(俺も、少しは役目をまっとうできたかな)
自分がここにいる意味をみいだせた気になり、ライオットの心は穏やかだった。準備が整う直前まで、ライオットはアノンの隣にいた。誰もがそれでよしとしていた。
程なく、小道具を片づけ、単車を走らせる準備が整う。その頃には、アノンの嗚咽も聞こえなくなった。
「行けるか」
「うん」
アノンが顔をあげると、目の下が赤らんでいる。声で分かっていたものの、明らかに泣いていた痕をみるとライオットも切なくなる。
「冷やす?」
手のひらに氷の粒が数個浮かび上がた。本来のライオットはその程度しか魔法を形作れない。
アノンは、ライオットの方手のひらを凝視しする。
「いらないか?」
返答がないアノンに手を引っ込めようとした時、アノンが両手でライオットの氷がのった手を握った。
唐突な行動に、ライオットの方がぎょっとする。
手のひらから、氷がおちる。地面にかつんと落ちて、三転して止まった。
アノンはライオットの手のひらをぎゅっと自身の両目に押し当てた。
「アノン!?」
「こっちの方が気持ち良い」
氷を出したばかりのライオットの手のひらはきんきんに冷えていた。瞼を閉じた両目の周囲がひんやりする。
アノンは両目を押し当てたまま、じっとしていた。ライオットは困ったなという顔をしつつも、アノンがするに任せた。
目元が冷えて、アノンが顔をあげる。呆けた表情を浮かべていた。
「ライオット、ありがとう」
殊勝につぶやくアノンに、ライオットは笑んだ。
ライオットとアノンの魔法がラディ達の手札になる。菱形の隊列は変わらず、魔物が出たら、アノンとライオットの単車に寄り知らせることとし、目的地に向かうこととなった。
先頭のアノンはご機嫌だった。過ぎ去っていく景色を楽しみながら、魔物が出てくるのを、わくわくしながら待つ気分だ。
ご機嫌なアノンは、背後のイルバーに明るく話しかける。
「僕がいるから、この旅は、絶対に安全なんだよ」
「そうだな」
イルバーはそれが嘘ではないと理解している。目の前で、軽々と魔物を屠る様を見たのだ。アノンにとって、その自信は誇張でも、偽りでもなく、本気であり、事実なのだ。
「何体出てきても、僕がぜんぶなんとかするからね」
「本当に、心強い魔法使い様だ」
無邪気なアノンに、イルバーは苦笑する。
アノンは足を延ばし、自身が運転しない空の旅を楽しむことにした。
風にあおられながら、単車はどんどん進む。ブルースの背を掴み最後尾から、上下左右に視線を動かし、ライオットは周囲を見回す。
魔物はほとんどみかけなかった。この森に本当に魔物が住んでいるのだろうかと思うほどだ。フェルノとの旅がいかに特殊なものか思い知る。
「ライオットも大変だな」
「なにを突然」
「世間知らずなお姫様のお世話でさ」
「ああ、気にしてないよ。昔からああだ」
つんけんしているのは、慣れていた。異世界に飛ばされて弱くなったアノンの扱いの方がライオットも頭を痛めることが多かった。
「今までは、誰もがアノンは最強の魔法使いだという前提で会話していたから、誰も自分の強さを知らない状況になれなかったんだろう」
「あの子は、そんなに強いのか」
「強いよ。俺の何倍もね」
ライオットはふふっと笑った。
「強くて、強くて。自分の強さを証明する必要もないぐらい、みんな当たり前にアノンを強いと認めていたんだ」
「すげえな」
「そういう子がいきなり見た目通りに見られる状況を打破しようと、自分の力を人に示そうとして間違うのは仕方ないよ」
ライオットは、真剣に崖を崩そうと考えてたであろうアノンの発言を思い出していた。
「ライオットもよくやっているよ」
「護衛だからな。そういう役割なんだよ」
「それだけじゃなくてさ。あんなに献身的に、そうそうできるもんじゃないよな」
んっ? っと、ライオットの脳裏に疑問符がわく。
「いや、俺、ただの仕事だし……」
「いいよ。仕事で、あれだけできないだろう」
清々しいまでに、思いやりある声音を向けられて、ライオットは蒼白になった。
「大事なんだな、アノンのこと……」
その瞬間、おそらくここにいる全員にライオットは誤解されていると直感する。
(俺だけ、誤解されたままかよ!!)
この誤解を解く手助けをしてくれる者は誰もいない。その状況に、ライオットは気が遠くなった。アノンにか関われば関わるほど、いらぬ方向に周囲が誤解していく……。
(俺。一人、不憫だ……)
その時、頭上で影がうねり、ライオットとブルースに禍々しい日陰を落とした。




