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89,遺跡へ

 風に打たれ、薄紫の髪がばさばさとなびく。アノンは頬を叩いた髪を耳にかけた。巨木の幹がどんどんと後ろへ消えていく。

 同じ風景がぐるぐると回っていると錯覚する速度で、単車は前進し続ける。


 アノンは、森の民の面々とともに遺跡に向かっていた。

 

 誰かに乗せてもらって、空を切るのは久しぶりだった。一人でのれるようになってからは、誰かの絨毯に相乗りさせてもらうことはなくなった。

 幼少期に【四重円舞 ソリタリーチルドレン】にねだって、なんども絨毯に乗せてもらった思い出がよみがえる。


 イルバーの体を椅子の背のようにして、懐かしい思い出と共にアノンは人任せの空の旅を楽しんでいた。


「気持ちいいね」


 空を切って単車を走らせる運転手から、聞こえていないわけではないだろうが、返事はなかった。

 

 イルバーを先頭に、上下左右にそれぞれの単車を飛ばす。彼の脇から、腰をひねって背後を見ると、遠い真後ろにブルースがいた。立体的な菱形の隊列を組んでいる。最後部にライオットがいることはアノンを安心させた。

 ここにいる最も信頼置ける人間がしんがりにいることが、心強い。


 巨木の間を抜けていく。森全体は静かだった。水の音、風の音、揺する葉の音。そういう自然音の間に、単車の走行音だけが重なり響く。


「ねえ、イルバー」


 アノンは背後に語り掛ける。


「遺跡に到着するまでに、魔物とはどれぐらい遭遇する可能性がある」

「数体か、十体が。両手で数えるほどぐらいだな」

「片道で、十体。それとも、往復」

「残念だが、片道だ」


 振り向き、斜め上を見上げて、アノンはイルバーの顔を下方から見上げた。


「大半は逃げ切る予定だよね」

「ああ、ただ浮遊しているだけの魔物なら、隠れるか、迂回するか……」


 そんな話をしていると木々の隙間から、白い影がちらつく。アノンは身を乗り出し、流れていく木の幹の背後に迫る白い球体を見た。


「懐かしいね。【眼球 サイコ】だ。あれが迫ってきたらどうするの」


 イルバーはちらりと魔物を確認し、再び前を見る。


「これ以上近づいたら、距離をとるな」


「屠らないの」

「あれは大人しいから、襲ってこない」

「無駄な戦いはしないよね。なら、どういう魔物が危ないの」


「基本的には【切断 ウロボロス】と【叫喚 フェスティバル】だ。この二種だけは、何もしなくても、襲ってくる」

「【薄闇 ゴーストブルー】はいないの」

 

「そんな魔物まで、よく知っているな」

「影の魔物は実体がない、イルバー達の武器だと狩りにくくない」

「どこまで、分かってるんだ」

「影の魔物が三種類いることぐらいは知っているさ」


「影の魔物は森にはいない。あれは砂漠を飛ぶ魔物だ」

「僕たちは、蜥蜴と大蛇に気をつけていればいいのか。じゃあ、【水銀羊 ジャンクション】や【歌う羊 スプーキートラウマ】は?」


「んっ?」と、イルバーはアノンを見た。

 そんな魔物の名前までと言いたかったのかもしれない。影の魔物を知っているんだ、当たり前だろうとアノンも目で答える。運転中のためイルバーの視線はすぐに前をむいた。今さら、何も言う気はないようだ。


「羊は、岩肌に生息している。こちらとは違う方向に、鋼の元となる鉱石を採掘する岩場がある。その岸壁に生息し、狩るよりも、その羊毛をいただくことが多いな」

「どうやって?」

「大人しいからか、懐いてくる数体がいて、夏場になると暑いらしく、毛を刈れとばかりに催促してくる」

 

 アノンの脳内に、愛らしいぬいぐるみ仕様の羊たちが浮かぶ。

 アノンが覚えている【水銀羊 ジャンクション】や【歌う羊 スプーキートラウマ】は、膝に抱えて抱ける程度の大きさだった。あれがあのまま大きくなる姿は、ちょっと恐ろしいなと思った。


「やっぱり大きいの」

「【切断 ウロボロス】より一回り小さいぐらいだが、人間よりはずっとでかいな」


「三頭身ぐらいで、もさっとしてて、ふわふわしてて……」アノンは手ぶりで、ぬいぐるみ仕様の羊の形をなぞる。「ぬいぐるみみたいな感じなの?」


「なんだそれは……」

「僕の知っている、羊たちだよ。僕らの世界の羊は、抱っこできるぐらい小さいんだ。二足歩行で、ものすごい怖がり。ちょっとびっくりすると怯えてかたまって、ぶるぶる震えるんだよ」

「サイズが違うというか、まるで違う生き物だな。こっちでは、四足歩行をして、細い足に強い蹄を持っている。岩肌を駆け上がり、雄々しく立つ姿は勇壮だ」


「あのくりくりの目をした、柔らかくて、怖がり羊が!」

「それは違う生き物じゃないのか……」


「僕らの世界と魔物のサイズが違うよ。僕らは滅多に巨大な魔物は目にしない。ここの魔物はすべて巨大なの」

「ああ、小さい魔物なんて見たこともない」

「【眼球 サイコ】も岩の塊みたいだよね」


 ふいっと横をむくと、いつの間にか【眼球 サイコ】は消えていた。


「いなくなったね」

 出番はなかったな、という認識程度で、ぽつりとアノンは呟く。


「僕らの世界では、あれも手にのるぐらいのサイズなんだよ。僕らの世界でも巨大なのも出没するけど、ものすごく稀だ」

 それこそ、フェルノと一緒にいなければ、お目にかかることもなかった。


 太い木々が連なり、かき分けるようにイルバー達がすすむ。風を切り、森の香りがながれていく。果実の芳香がまだらに混じり、通り過ぎる大ぶりな枝を見れば、真っ赤に熟れた大粒の果物がぶら下がっていた。つやっとした赤に日光のあたらない部分がまだ黄色い。


 そんな果実を垂らす木がちらほらあるものの、ほとんどの大樹は細長い葉か巨人の手をひらいたかのような葉を茂らせている。

 

 幹は太く、日光があたりにくい、下方は黒々とした土がむき出しになり、僅かな光で生息できる苔が根元や土の上に薄く広がっていた。


 大人しい魔物が数体、旅をするアノンたちを眺めて去っていった。十体遭遇するとして、五体ぐらいはもう通り過ぎたろうか。


 背の高い樹木に太陽は遮られている。出立してから、そうとうな時間が経過している。

 昨日の話し合いの場を中途で退席することになってしまったため、ルートや時間配分などきけていないと今更ながら、アノンも気づく。

 差し当たって休憩なしで突き進むとも考えにくい。どこかで休憩をとる際に、詳細を聞いてみよう。アノンはのんびりと風を楽しみながら、そんなことを思っていた。


 巨木の幹が連なるカーテンを抜けきった。

 抜けるような青空に、筋状の光が差す。広がる湖面がエメラルドグリーンの光沢を放つ。崖があり、葉が茂る。合間に白い筋状の滝が無数に落ちている。


 白んだ滝が無数に流れる湖のほとりで一行は最初の休憩をとるため、降り立った。


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