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87,欠落感

 アストラルにはかなわない。力を失ったフェルノは言葉をも失う。

 鎧をはぎとられて、まっさらな魂を露にしたフェルノは弱さをさらす。ありのままを浮き彫りに、ほほ笑みかける。それがいかに、麗しく見えるか、フェルノは無自覚だった。


「フェルノ」


 呼ばれたフェルノはアストラルの闇色の瞳を見つめた。


「フェルノ、返事をお願いします」

「返事?」

「しゃべってくれないと、今にもフェルノが消えてしまいそうに見えます。月明かりに消えて、やっぱり月の女神だったなんて夢落ちは嫌です」


 フェルノは眉をゆがめ、何を言っているんだと苦笑する。


「私は実体ある人間ですよ。消えるわけないでしょう」

「あなたの姿は透いて溶けそうな光を帯びていますよ」

「私が男だったら、殴ってしまうセリフですね」

「きっと男性でも雰囲気は変わりません。女性とか男性とか、関係なく、あなたは夕闇に浮かぶ光の粒子と戯れているような人です」


 アストラルは笑みをたたえてフェルノを賞賛する。よどみのない声音に、フェルノは虚しくなる。同じ言葉を紡いでも、きっとフェルノであれば、どこか捻じれている。


 アストラルが評価する理由が、フェルノは分からない。


 幼い頃を辿るような戯れのなかで、隣り合って、何もせずに、語り合う。話すだけでいいのだろうかとフェルノは少し疑問が浮かぶ。記憶を手繰り寄せ、テンペストと茶席を共にした時の楽しさを思い出した。

 口裏合わせのような話し合いになっても、彼女との対話はフェルノにとって楽しい部類に入った。 


「フェルノ。何を考えているの」

「……昔のこと。楽しかったこと、かな……」

「どうして、そんなことを」

「今、アストラルにとって私と話すことは楽しいのかなと疑問に感じていたら、ふっと思い出した」

「私が楽しいのか、気になったんですか」

「そうだね。私となんか話して楽しいのかって思うよ」

「楽しいですよ」

「そう」


 素っ気ない返事を返しながら、フェルノの口元は綻んでいた。アストラルの言葉がじわっと染みわたっていく。

 フェルノは望遠鏡に手を寄せた。筒状の先端に触れて、もう一度身を乗り出して、覗いてみる。


「遺物には逸話があります。望遠鏡の逸話は、逃げてた子どもが抱えていた品です。その子が、咄嗟に家から抱えて出てきてしまったのです」


 フェルノは望遠鏡から目をはなした。


「破滅のなかで逃げるのに、そんなものをと思うような品ですよね。そういう物が、いくつも残されています。私たちは、いつの日にか、そのすべてを再現したい。ただの希望です」

「それが、目標点。例えるなら北極星ですか」


 アストラルはちょっと驚く顔をして笑んだ。

 フェルノはうらやましい。テンペストとの約束以外、自ら打ち立てた目標らしいものは一つもなかった。与えられるばかりで、自ら目標など持った記憶がない。


「私たちも希望がなければ進めなかったのですよ。すがるものがないとうずくまってしまいそうな時期もあったのです。今でこそ、希望は内側にありますが、滅んだ直後は、外に目指すものがなければ進めなかった。そういう時期もあります」

「滅びは、予期しないことだったのですか」


 アストラルの声が沈む。フェルノはその変化を捕らえ、彼を見つめ返した。


「生き残った私たちの大半は、なぜ私たちが滅びたのか、分からないのです」

「滅びは、自然現象ではなかったのですか」

「おそらく」

「私の国でも、歴史上、地震もありますし、噴火も経験があります。そのような自然現象でも、草木は倒れ、家屋は倒壊し、いくばくかの人命は損なわれます。

 津波や、河川の決壊など、水の災害も被害はおおきいですよね。

 そういった、災害とも違うと……」

「ええ」

「それこそ、言えないことなのですね」

「はい」

「秘密ですか」

「はい」

「つらいですね」


 アストラルは何も答えなかった。

 フェルノもまた、王家のつけを身に宿している。二百数十年前に、魔法術の始祖と出会った祖先が未来に対価を支払わせる約束をした可能性は捨てきれない。それを隠匿され、伝えられずに生きていた可能性を考えている。

 アストラルが隠す側なら、フェルノは隠された側である。


「フェルノの方が、つらくないですか」

「なぜ」

「こんなところに突然、召喚されて……」

「どうでしょう。こっちに来た方が……、人を信頼できるようになったし……」


「信頼?」

「私は、今、信じて待っています」

「リオン様ですか」

「リオンも、ですね」

「ほかにも誰かいらっしゃるのですか」

「いますよ。でも、秘密」

「教えてって言っても教えてくれない、秘密ですか」

「そう。アストラルも、秘密があるでしょう。私にもあるんですよ。不確かなこともあるし……」

「お互い、不自由ですね」

「本当に……」


 アストラルは、肘をまげて枕とし、楽にフェルノを見つめていた。

 フェルノも鏡合わせのように、同じ態勢をとった。


「アストラルは、この国が好きかい。この世界は?」

「好き? そうですね。好きかな」

「私に世界はないんだ。国も私には関係ない」

「王位継承権は持たれていたんでしょう」

「持っていたよ。弟が王太子になったから、私はその役はもう回ってこない」

「フェルノは、王位は継がないのですね」

「予備だったからね」

「女性だから」

「ちがう。けど、王位継承に関しては予備だったんだ。王位を継承できる人間なら、もっと大事にされたかと思うこともあった。でも、今、思った。十二で立太子することになった弟もまた、大変なのかもしれないと……。アストラルが秘密を抱えるように、弟にも何か言えないことの一つや二つ、あるかもしれないよね」


 フェルノがほほ笑むと、アストラルは困ったように眉を曲げた。


「私は、アストラルが羨ましかった。私と同じ立ち位置で、私にないものをたくさん持っていると思ていた。

 アストラルは、土台があり、芯がしっかりしていて、強さを感じさせる内面を持ちながら穏やかなんだもの。強さしかよりどころがなかった私は、敗北感を味わったよね」


 フェルノの笑みは自嘲へと変わる。アストラルが評価するようなフェルノはどこにもいないよと言いたかった。


「うらやましくて、一緒にいると苛まれた。嫉妬なんだろうね。同じような名前で同じような立場なのに、ずるいと思ったよ。

 それは逆恨みだし、アストラルが関係することでもないし、悪いことでもないのに……」


 フェルノは身を起こした。敷いていたクッションを膝に乗せて、体にかけていたストールを肩にもう一度かけなおしながら話し続ける。

 

「生まれた時に私は、母と離された。私の底を探っても、そこに根はおそらくない。母も友も、家族もいない境遇だった。

 私には、離されるだけの事情があった。今までは、その体質を苦にしたことなんてないんだ。自分の身は自分で守れたからね。私のせいで誰かが傷つく可能性はあっても、私自身を脅かすことはないと思い込んでいた。

 力があったんだ。身を守る力が……」


 フェルノは手を見つめた。湧き上がる魔力の気配は乏しい。微弱な力は感じても、外に引き出せる体感はない。


「身を守る力があるから、欠陥しかない私自身を誤魔化して生きてこれた」


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