86,例えるなら……
クッションを抱いてフェルノはアストラルを見下ろす。
「寝転がってみては、どうですか」
彼は笑顔で促してくる。
フェルノは柳眉を曲げていた。微笑もうとしても、うまくいかない。
友に恵まれ親に愛されて豊かな幼少期を過ごしてきたアストラルに引け目を感じる。よりどころとなる魔力も剣も失えば、そこには生身のフェルノしかいない。引け目や嫉妬を超えて、敗北感と形容したい感情に飲まれ、打ちひしがれていた。
アストラルは無言でフェルノを見つめている。空っぽなフェルノは誤魔化し、薄笑いを浮かべる余裕さえ残っていない。
フェルノは視線を落とし、片手で首筋を撫でる。
「いかがしました」
「私には、慣れなくて……」
どうしていいか分からない。皆まで口にすることははばかられた。本心から距離を置いて生きてきた。今更、心根を明かすには、どことなく罪悪感を感じた。
(私たちが、もし子どもだったら、こんな罪悪感も感じないだろうに……)
互いに子ども同士で、小さな秘密の空間で過ごす姿を思い描く。並んで、笑って、喧嘩して。それはなんと生き生きとした在り様だろう。
周囲を見渡す。足を投げれば、ギリギリという空間。ここを広く感じたという幼少期はとうの昔に過ぎ去っている。
そこに侍従がやってきた。アストラルが起き上がり、彼が持ってきた品を二人で組み立て始めた。三本の細長い足に支えられた長い筒状の品がテントの入り口に置かれた。
筒の太さはテント側が一番細い。細長い筒状の先端は空に向けられている。
侍従が礼をして去って行った。
再び寝転がったアストラルは肘をつき、フェルノを見上げた。
「これはなんですか」
「望遠鏡です」
「ぼうえんきょう?」
「これはね、遺物の複製なんですよ」
そう告げて、細い筒をアストラルは覗き込んだ。目を離して、手招きする。
フェルノはクッションを胸にあて、アストラルの隣に寝ころんだ。
「覗いてみてください」
細い小さな筒を覗き込むと、光の粒が数個見えて、フェルノは驚いた。
「あれはなに」
「星ですよ。望遠鏡を通すと大きく見えるんです」
もう一度フェルノは覗き込む。
肉眼で見ると、ぽつぽつとした点にしか見えないのに、筒を覗くと、またたく粒が見えた。白い輝きは小粒の真珠のようである。
「昔はこういう道具がたくさんあったんですよ」
フェルノは望遠鏡から目を離し、アストラルを見つめた。
「滅んだ直後はまだ私たちは滅ぶ前の道具が幾ばくか残されていました。王家はそれらの道具を集め保存しています」
「そんな大事なことを、私に話してもいいのですか」
環の国の秘密ではないかとフェルノは焦る。
「かまいませんよ。誰もが知っていることです」
「知っているのですか……」
「はい。滅んだ後、誰かが代表して遺物を保管しなくてはなりません。王族は、生き残った私たちの財産をまとめて預かる役目も背負いました」
「代表して保管しているなら、それは王族の資産とはちがうのですか」
「違いますね。これは、皆の宝です」
フェルノはもう一度、筒を覗いてみた。そこには真珠のような星が光っている。
「確かに、星がこんなに大きく見えるのは面白いですし、楽しいですね」
「私たちは、すべてを破壊されました。壊れて何もないのです。残った遺物をかき集め、残された人々の記憶を手繰り寄せて、まとめました。そのすべてが、私たちの目標点になります」
「目標点とは」
フェルノの問いに、アストラルは楽しそうに語る。
「空は動いています。動いている空の中で、動かない星があります。すべてを壊された私たちにとって、普通であること、当たり前であること、そういうささやかな日常そのものが目指すべき北極星になりました」
「当たり前であることが、目標点ですか」
「はい。それぐらい、私たちは過去、すべてを失いました」
アストラルは穏やかに笑んでいる。
フェルノには、何もかも失ったところから立ち直ってきた者の自信を称えた笑みに見えた。
フェルノ自身も、普通とはかけ離れたところにいた。魔寄せの体質を理由に、母から離され、家族を知らず、教育は受けたが、友はいない。大人に囲まれ、十六年生きた。
壊れていると言えば、フェルノそのものも壊れている。
世界が滅びることと、個人が壊れていることは同等に語れるものだろうか。
この世界に飛ばすことが決められていたと確信はしている。魔法が王族にもたらされた因果が関わるとしたら、フェルノの状況はその頃のつけなのかもしれない。
過去の人間のつけをなぜフェルノは人生で背負わなければいけないのか。
アストラルのように、未来において、誇れるように生きれているのか。
フェルノには何も見えない。
真っ暗闇だ。
フェルノの北極星はどこにあるのだろう。
暗すぎる世界の中で、フェルノは何も見いだせない。
「フェルノ様」
様と呼ばれることに違和感を覚える。今さら他人行儀に語らうには、近くに感じすぎた。
アストラルは太陽だ。
フェルノは闇だ。
闇は闇であれば、無でいられるのに、光を当てられてあたふたしている。
「ねえ、アストラル。私に、様はいらない」
「フェルノ様」
「フェルノでいい。リオンにも誰にも、私のことは、敬称なしで呼ばせている。だから、アストラルも、私のことはフェルノでいい」
ただのフェルノとして、アストラルに向き合う。
「なあ、アストラル。もし、私が、男だったらどうだ」
アストラルがきょとんとする。何を言っているのだろうとその表情は語っている。
「もしもだ。もしも、男だったら」
アストラルは空を見上げる。なにか考えているようであった。
「……そうですね。フェルノと話すのは楽しいので、やっぱり友達でいいのではないかと思いますよ」
「当たり前の答えだね」
「今も、友達ですよね」
「そうだね」
「変わらないですね」
アストラルは笑う。
フェルノも小さく笑った。
「そうか、変わらないか……」
「フェルノ」
アストラルが肩を寄せて、フェルノの肩にぶつかってきた。
「それとも、少し、私のことを意識してくれました」
フェルノはそれこそ、冷ややかな流し目をくれる。
「まさか」
「残念」
「アストラルは、太陽のようだね。友人もいて、両親もいて、人に囲まれて、恵まれて育っているように私には見える」
アストラルは、フェルノの横顔から目をそらさない。
「じゃあ、フェルノは月だね。フェルノは、白いから月がいい」
「ありきたりな例えだね」
「じゃあ、フェルノは自分のことはどう思っているんですか」
「闇かな。真っ暗な闇。アストラルは太陽だから、私は逃げまどうよ」
「逃げたら、追いかけたくなるのに?」
「闇は太陽の元では消えるんだよ」
「やっぱり、フェルノは月が良いですよ。昼間の月は白い、ぴったりです」




