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84,弱さと後悔

 侍従たちが下がり、食事の場が一気に冷え込んだ気がした。ただならない空気に触れて、フェルノの体温が過敏に反応しただけかもしれない。


 物柔らかだった【遍在する惨劇 ヒアゼアエブリウェア】王妃からも微笑が消えていた。

 王の表情もかたい。部屋全体に緊迫感が漂う。

 フェルノも背筋を伸ばす。


「聖女フェルノ様。昨日、神託がおりました」


 リオンが預言者と邂逅し、魔神の復活を聞いたのも昨日だ。

(いよいよ、預言者から示されるのか)

 魔神が復活し、聖女の役割が何か、フェルノはやっと知ることができるのかと息をのむ。


 王は、しっかりとした口調で、フェルノに告げた。

「三日後に宴を開くこととなりました」


「……」

 フェルノは一瞬、王の言葉を理解しかねた。


「各地の区長を招きまして、この王城の大広間で聖女様召喚を高らかと宣言する宴を催すこととなりました」


 フェルノは絶叫しそうになり、唇を噛んだ。

(魔神が復活する当日に宴だって!)

 口元が真一文字に結ばれ、目だけ大きく見開かれる。


 三日後に迫る魔神が復活するにあたって、とうとう聖女の役割が判明すると身構えていただけに、拍子抜けを通り越し、フェルノの内心は穏やかではなくなった。


(宴席に魔神が迫ってきたらどうするのだ。魔王城の預言者はなにを考えているのだ)

 魔神は魔寄せの体質を持つフェルノに呼び寄せられるだろう。冷や汗が溢れてきそうだった。


「フェルノ様、いかがされましたか」

 王妃が心配そうな表情を浮かべる。


「いえ、突然のことに、驚いてしまいまして……」

 嘘はつかないが、驚く方向は真逆だ。


 復活した魔神がまっすぐフェルノの元へと招き寄せられるとしたら、宴席会場が血の海と化すことだって十分に考えうる。


 未だかつて、フェルノは自身の体質で困惑したことはなかった。フェルノ自身、魔法使い並みに魔力を有し、騎士同等の剣技を持って、魔物をねじ伏せることができたからだ。

 加えて、護衛三人は最強である。彼らにかかればフェルノが出る幕もない。

 

 魔物など取るに足らない存在。それが男のフェルノの立ち位置だった。


 しかし、今はどうだ。女のフェルノは、リオンさえも手放し、一人になってしまった。魔法も使えなければ、剣もふるえない。使えないならとリオンに剣を託したのは数時間前である。


 フェルノは身震いした。魔物に恐怖を感じた。

 魔寄せの体質は健在だ。魔物はもれなくフェルノに呼び寄せられる。フェルノが強い弱いなど関係ない。彼らは真っ直ぐに、フェルノに向かって飛んでくる。

 なすすべもなく、蹂躙される光景が脳裏をよぎった。


(環の国にいて、良かった……)

 あふれてくる恐怖をなだめるように、この地が守られていることにフェルノは安堵していた。

 

 フェルノは気づいていないものの、それは一般人の感覚と同じだった。魔物を恐れる人々の心をフェルノは腹の底から感じ入り、肝を冷やし、背を震わせ、鳥肌を立てていた。




 その後、フェルノは終始無言だった。

 放心したように何も語らなくなったフェルノを、アストラルが見つめる。フェルノは気づいてはいなかった。

 王と王妃が先んじて退出する。言葉と礼を尽くし、フェルノは見送った。アストラルと二人部屋に残る。アストラルが侍従に片付けるように示すと、侍従たちは動き始めた。


「フェルノ様、今日はありがとうございます」

「いえ、こちらこそ。お誘いありがとうございました」

「では、私はこれで部屋へ戻らせていただきます」

「フェルノ様、お部屋まで送りますよ」

「いえ、侍従もおりますし、アストラル様も明日がございましょう」


 フェルノは早くこの場を去り、自室で一人静かに状況を精査したかった。それはおそらく一人で思い悩むに近い。弱さをさらすことに慣れていないフェルノは、一刻も早く戻り、この誤魔化しの世界から素の自分に戻りたかった。

 女のフェルノを保ち続ける自信さえ喪失しかけていた。


「送らせてください。フェルノ様」 


 アストラルは笑みを浮かべる。

 フェルノはそんな彼の表情を見て、断りの言葉をやり取りする気力さえないことに気づく。


「では、お願いします……」


 弱っているフェルノは意志を簡単に曲げてしまった。

 侍従を一人伴い、アストラルとフェルノは歩む。廊下を出て、階段をおり、王族の居住空間を後にする。廊下を突き抜ければ、表門と裏門がある。

 両方ともまだ開いていた。


 裏門横の廊下へと進もうとした時だった。


「フェルノ様。星を見ましょう」

「いえ、今は……」

 そんな気分ではないと言いかけて、口をつぐむ。


「少しです。裏門から覗いていましょう。ガラス越しより肉眼で見る方が綺麗ですよ。ねえ、行きましょう」


 アストラルはフェルノの手を取る。柔らかく包まれ、ぬくもりが伝わる手をただフェルノは見た。


 彼は彼女の手を少し引いた。


 いつもなら、誤魔化し断ることも、応じることも意のままなのに、脆弱な肉体がフェルノの脆さを浮かび上がらせる。フェルノはアストラルの動きに合わせ、半歩踏み出してしまった。


「階段までです」


 アストラルはフェルノから手を離し、追ってくること疑わないかのように、裏門の階段へと進んで行く。

 なだらかな裏門の階段に至り、アストラルはフェルノを待つ。


(少しだけだ……)


 おぼつかない足取りで、アストラルの後を追う。


 フェルノは自身を強いと思っていた。母も知らず、周囲の大人達よりもずっと身分が上という環境の中でも、時に従順に、相応の悪戯もしつつ、大人をからかい、応じてきた。家庭教師の眼鏡にかなう賢明さを現した。小さな世界の主はフェルノであり、それだけの能力を有していた。

 魔寄せの体質さえなければ、十分に第一王子として、王太子として、為せただろう。


 歳近いアノンやライオット、リオンと共に過ごし、いくばくかからかう対象が様変わりした。命を狙われても、どうにでもなるという意識があった。彼らより強い自負は強固だ。


 不幸なのは自分だけではないとフェルノに思い知らせたのはアノンだ。

 フェルノの境遇もひどいが、アノンも同様に恵まれてはいない。彼の体は、すぐに魔力を欲し、常に魔力が不足する。幼少期より、重篤な病にかかって生きてきたようなものだ。

 アノンが女になったと聞いて、やっぱりと思うのは当然だった。


 環の国が語る聖女とは、フェルノとアノン、だ。フェルノはその点はすでに確信を持っていた。


 リオンとライオットに与えられた守護せよという文言は、この地での魔神に対すまでなのか、それ以降も意味をなすものなのか。リオンとライオットの意味を単純に考えていいものか、そこはまだ結論を出せずにいた。


 フェルノの護衛はリオンだ。リオンはフェルノを守護する役目がある。


 守ってもらいたいとも、守ってほしいとも、思うことないほど強かった時には考えもしないことばかりめぐり、フェルノは自分の受け止め方に惑うていた。


 フェルノは、心の片隅でリオンを旅出させたことを後悔していた。



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