82,喪失の自覚
アストラルといつものように王城へと戻ると、「おかえりなさいませ」と、表門に珍しく迎える人がいた。
「はじめまして、聖女フェルノ様。私は昨日リオン様の案内役を任されました【猟奇理論 サイレントファクター】のレントと申します」
わざわざむかえてくれたレントは、かいつまんでリオンと森の民が出会い、交わした約束についてフェルノに伝えてくれた。
「……では、私がリオン様に森の民の元へ行ってほしいと言えば、すぐに彼が動ける準備が整っているということですか」
なんと早い、とフェルノは仰天する。環の国は何事につけても本当に早い。
「わかりました。わざわざ伝えていただくために出迎えていただきありがとうございました」
軽く頭を下げてフェルノは早足でリオンの元へ向かおうとした時、「フェルノ様」と背後からアストラルの声がかかった。フェルノはとまり、顔半分だけ、アストラルに向ける。
「リオン様がお出かけになったら、お一人になられます。夕食は私といかがですか」
「はい。わかりました。お任せします」
急ぐフェルノは、そう言い捨てて、廊下から階段へと足を運んだ。
階段を駆け上がり、フェルノの部屋とリオンの部屋に通じる扉が並ぶのを目にして、フェルノは足を止めた。
頭を振って、両手で頬を叩く。前を向いて、リオンの部屋に飛び込んだ。
「リオン様、只今もどりました」
昨日と同じように、テーブル席に座ろうとしたところで、リオンが手を伸ばし、フェルノの腕を掴んだ。すぐさま、空間を変化させる。
リオンの行動に、フェルノは何があったと目を丸くする。つかまれた腕を大きな手がつかむ。その力に、男女の違いを感じ、言い知れない震えが芯を駆け上った。
そんな自分にさえも、フェルノは驚愕する。
「アノンとライオットの居場所が分かりました」
「本当か!」
「森の民に拾われ、彼らと共にいます」
「よく突き止めた」
その言葉で、リオンの態度の意味を解すれば、芯を震わせた感情も霧散する。
森の民と接触し、アノンとライオットの居場所を掴んだ上に、学園に行っている間に、森の民との同行を取り付けたとなれば、フェルノの出す答えは一つしかない。
「遺跡の文字盤とアノンの本に書かれていた文字が同じで、二人は遺跡に確認のため向かったそうです」
「遺跡へか!? そうか、そう判断したのか。あの二人なら魔物なんて怖くないからな」
「また、フェルノと同じようにアノンも性別が変わっていると聞きました」
フェルノはふっと吹き出した。
「やっぱりね。アノンなら、さぞ可愛いだろう」
「どうでしょうね……」
リオンの知りえた情報を聞きながら、フェルノは、アノンが好んで読む、魔法術の始祖【地裂貫通 グラインドコア】の記した魔法術の暗号文書の写しを思い浮かべていた。もちろんフェルノも読んだことがあった。
「もう一つ、先日の夜、鏡の部屋に入りました。向こうの時間は動いており、鏡越しに預言者に会いました」
「その予言者とは、人なのか」
リオンが預言者とまで会っていたとは思わず、フェルノの声も震えた。
「おそらく、影のように黒々しく。魔法使いのようないで立ちで……。預言者は、魔王城いると言っていました」
フェルノは天井を仰ぎ見た。
「ここで、魔王城までご登場か」
魔法術の暗号文書と文字盤の文字が同じなら、文字盤が三百年前、グラインドコアが魔法を王族にもたらしたのが二百五十年前。フェルノとアノンの共通点は血統である。
(始祖が我々に魔法をもたらした時代までさかのぼるか)
心臓の鼓動が早くなる。そんな時代から、今を見据えて、何を準備してきたのか。
魔王城にいる預言者が、三日後に魔神が復活すると聞いたフェルノは、苦笑し嘆息した。
「何をしようとしているのか、本当によく分からないね」
「俺は、森の民のところに行こうかと思います。アノンとライオットと合流し、こちらに戻ってきます。魔神が復活してどういう動きをするにしても、結局、魔寄せの体質を持つフェルノに呼びよせられるはずです」
「私は聖女というより生贄みたいだな」
魔法術が始祖よりもたらされ、国は統一された。遺跡の文字盤がその原書と同じ文字なら、まるで統一の代償のようにフェルノとアノンはこの世界に飛ばされてきたようである。
二人が抱える諸事情こそ、数百年前から準備された答えではないのか。
(国を統一するために、祖先は子孫を捧げたのか)
フェルノはもう自嘲するしかなかった。
「笑い事ではないでしょう。女性になったせいで、剣もうまく扱えない、この街にいては魔力も扱えない。ただの女の子になってしまっている。フェルノは魔神に食べられて死ぬつもりですか。そんなつもりは一抹もないでしょう」
「なにが言いたい、リオン」
「俺が行って、本当にいいのかと……」
そんなことを考えるかとフェルノは一瞬驚いた。けしかけているからとはいえ嫌悪を露にする男さえも女と見るのかと思うと、涙が出そうになり両目を瞬かせ、いつものように誤魔化し揶揄するように笑った。
薄笑いを浮かべている方が、フェルノは自分らしいと感じていた。
「惚れたか」
「まさか」
「妹姫に似ているのに、つれないな」
切なそうに眉をひそめて見せた。
「そういうのは結構です」
げんなりするリオンに、それでいい、とフェルノはほくそ笑む。
「あからさまにふるなよ。傷つくな」
「どの口が言う」
「切ないな。私はそんなに魅力ないか」
「手を離しますよ」
「まだ、答えを聞いてないのに」
「どういう意味ですか」
(私には、まだ軽口をたたく余裕ぐらいあるんだ)
強がりでも、そう見せたかった。
フェルノは顔から笑みを消し、リオンを睨み上げた。
「二人と合流せよ」
「……わかりました」
無表情な返事の奥に、ご不満なリオンを垣間見て、フェルノは内心安堵していた。
リオンの部屋から退室し、自室に飛び込んだフェルノは真っ先に剣の傍に駆け寄った。
触れず、見ないようにしていた剣。周囲にも関心がないふりをしてきた。
壁に立て掛けた時の重さをフェルノは覚えている。
未だかつて剣を重いと感じたことはなかった。重いと思ったことのない剣を、この手は重いと感じた。まじまじと手を見れば、細く弱々しい腕とつながっている。
あるはずのものが、ごっそりと抜け落ちた体感。
拳を握りしめた。
周囲を危険視して、緊張に張りつめている時は、それだけで精一杯だった。
余裕が出てきて、周囲がどう見られ、どう期待され、どう扱われているのかが分かるほどに、フェルノは自身のあり様に戸惑うようになった。
生き残る手段で女を演じるのではなく、周囲に期待されているから演じるように変わっていく。生来、合わせてきた性分が裏目に出た。
気づけば、そこで受け入れられているのは女のフェルノだけであり、そこに男のフェルノの居場所はなかった。
喪失感と呼べばいいのだろうか。フェルノの内で、現在と過去が分断された。
剣は、魔法は、力は。男であったフェルノの象徴だ。
だが、環の国では、魔力も魔法も使えない。魔道具は僅かに魔力を通すのみであり、その効力には限りがある。魔道具としての使い道を絶たれた剣を武器としても扱えないならば、その剣はフェルノが持っていても仕方ないのだ。
(三日後に、魔神が復活する)
森の奥にある遺跡から、この世界を滅ぼしたと言われる最悪の魔物が蘇るなら、真っ先にその矢面に立つのは、アノンとライオットと、そして、リオンである。
ここから離れられないフェルノが彼らの一助になる方法は、今、一つしか思いつかなかった。
フェルノは、剣に手を伸ばした。両手でつかんで、持ち上げようとする。重さによろめきそうになりながら持ち上げ、片手で鞘ごと掴もうとして持ち切れず、脇に抱えた。
もう片方の自由な手で柄をつかみ、引き抜こうとして、刃が光ったところで手を止めた。
重心が移ろったことに、体の方がついていかなかった。
フェルノは刃を鞘に納めた。
引き抜くことさえ諦めて、剣を両手で抱えた。
(私の代わりに、彼らの力になってほしい……)
男だった自身を支えた強さの象徴を、リオンに託すことをフェルノは決心した。




