81,敗北感
アストラルの表情に変化はなかった。フェルノが王位継承権を持つ王族だと言われ、合点がいったというのが彼の本心かもしれない。
真一文字に結ばれた口は一声も発しない。静かな黒い瞳がフェルノを見据える。
「ここは異世界です。故郷にて、私が王族であっても関係はございませんでしょう」
居心地が悪いフェルノはおどけるように笑ってみせた。
アストラルに反応が見られず、フェルノも困る。ボロを出したくないので、黙してカップに視線を落とした。
「フェルノ様は、ご自身の価値をおわかりにならないのですか」
アストラルの発言にフェルノは静かに顔をあげた。
普段の優し気な雰囲気がかき消えているアストラルの、根底から湧き上がる強さを湛えた双眸が光る。
「昨日の王との謁見にて、あなたは堂々と対峙された。その美しさに、横に立つリオン様をうらやましいとさえ思いました。
あのような立ち振る舞い、けっして一朝一夕で身につくものではありません。学園には民間の子女も通っています。日々眺める彼女たちが、あのような場に突如臨んだ時にあのような振る舞いができるでしょうか。
答えは、否です」
フェルノは喉を詰まらせる。
フェルノには基準がなかった。少女と言えば、妹姫ぐらいしか思い出せない。旅途中で出会ったテンペストやドリームもいたが、彼女たちとの触れ合いは微々たるものだ。
日々多様な人と接触してきたアストラルと、小さな屋敷で十八年近く軟禁されてきたフェルノでは出会ってきた人の数と質の差が大きすぎた。
「一般の娘であれば聖女であれたとしても、あの場で堂々と王と王妃に頭を垂れられて平然と応じることなど出来ようはずがありません。
フェルノ様でなければ私も遺跡の文字盤について触れなかったでしょう。
ただの娘なら、これより預言が示す啓示を待ち、下された預言遂行を依頼するのみで十分なのです」
アストラルは瞬きもせずにフェルノの存在を見つめ続ける。
フェルノはうっすらと自らの唇を噛んだ。
「フェルノ様がご自身をどう思っていらっしゃるかまで私にはわかりません。しかし、私から見れば、あなたの内面の底の底に垣間見えるあなたが、気高く美しい存在にしか見えないのです」
フェルノは冷え切ったカップを強く握りしめた。
(怖い……)
内からわきあがってきた感覚を信じがたく味わう。
(……この男には、勝てない)
勝ち負けを求められている場でもない。命をやり取りを求められている場でもない。ただの茶席で、フェルノは打ち負かされたような錯覚を得ていた。
フェルノは自分が欠けている人間だと自覚している。
まっすぐに誰かを直視する双眸を持つアストラルのような強さは持ち得ていなかった。
誤魔化すこと。茶化すこと。揶揄すること。からかうこと。
そういう行為は慣れていた。でもどうだ、その行為の裏にあるものは、なんだ。
フェルノは頭を左右に振った。持たないものが、持つものを恨む。できようもなかった。その行為を逆恨みと呼ぶことぐらい、愚かではないフェルノは分かる。
毒を吐くようにフェルノは呟いていた。
「……アストラル様は、愛されていらっしゃいますよね……」
フェルノは、愛を知らない。幼少期に実母からも離された。生まれたての赤子に乳母をあてがい、城の奥にある屋敷に隠した。それがフェルノの歪みの出発点だ。
記憶の奥底を手繰り寄せたって、そこに母さえいないのだ。フェルノの自意識は語る。
(私は孤児だ)
決定的な奥底が欠けているフェルノが味わうのは、否定と敗北。
闇よりも黒い瞳を輝かすアストラルが、空っぽなフェルノの根底を暴こうとする。
アストラルの手が伸びた。
「泣かないでください、フェルノ様」
その指先がフェルノの目じりに触れた時、フェルノは自身が泣いているのだと初めて気づいた。
アストラルを見返せば、いつもの柔らかい笑みを浮かべていた。
「フェルノ様。私は孤独でした。私の思うことを口にしても、返してくれる者はまだいないのです。
なのに、あなたは、語り掛けた言葉を、弾むように、返してくれた。こうやって、共に、誰かと、胸が透くように語りつくせる気にさせてもらえたことが、たまらなかったのです」
孤独という言葉が胸を打った。
時間と共有する者がいて、なおそこに孤独を見出す痛みが足先から蘇り、フェルノの肌をざわりと這った。
「私の目には、ご友人にも恵まれ、ご両親にも恵まれ、深く愛されてお育ちになった余裕すら感じるアストラル様が孤独ですか?」
未だ嫌味が口を滑り落ちる。耳奥で震える声音は誰のものかも知れない。
「気安い友人でも、言えないことはあります。安らぎは得られても、深い孤独を分かち合えるに至るにはまだ私の友人は若いのです。そして、私は互いに過ごせるそんな時間もまた大切にしたかっただけなのです」
「アストラル様、それは欲張りに聞こえます」
「欲張りですか? そうですね、そんな時間を得ながら、深い孤独を分かち合える女性と語り合える時間を得て、そこに安らぎを見出してしまえば、両方欲しがることは、欲張りかもしれないですね」
フェルノはぞわっとした。
悪寒が背筋を駆け巡った。
(アストラルは、私を女として見ているのか……)
「アストラル様」
(私は男だ!)
そう、言いたくて、言葉にできず、ただ息を吸って、唇がわなないた。
アストラルは深くため息を吐いた。
「分かっております。あなたには、リオン様がいらっしゃると言うのでしょう」
「はっ、えっ……」
まさか、自らついた苦し紛れの大嘘がここで出てくるとは思わず、フェルノは頭が真っ白になる。
「朝はリオン様とお過ごしになられ、学園から戻られれば、真っ先に彼の人の元へと向かわれるのです。夕食も共にされていることも侍女侍従から耳に入っております。
並々ならないご関係であることは、察するに余りあります」
(たっ、助かった)
いつの間にか、フェルノの背は冷たい汗でじっとりと濡れていた。
アストラルは笑んだ。いつもの誠実そうな、柔らかい微笑だった。
「ただ、一緒にいる時だけは、思うままにお話しをしましょう」
「はい」
ほっと胸をなでおろし、フェルノも笑みを返す。
「フェルノ様とお話していると、胸が、いえ心が透くのです。話すだけで……」
「私も、アストラル様とお話しするのは楽しいですわ」
「そうですか、それは良かった」
「では、私たちもまた、良い友人ということですね」
「……友人ですね……」
アストラルの目じりが切なく震えた。フェルノはそんな彼の機微に気づかないふりをした。




