78,嫉妬
リオンが森の民と環の国を旅立つ朝から見て前々日の夜。フェルノの部屋に時を止めたリオンが現れた。礼拝室の奥へ行くという会話が終わるなり、時間が動き出す。
フェルノはリオンが探索を終えて部屋に戻ったと悟る。リオンに会いに行こうかと一瞬よぎったものの、やめた。
心身が疲れていた。妹姫を模して、女性として振る舞い続けることは骨が折れる。
女性的な言葉がけに対する要人の反応を反芻すれば、自身の演技はなかなか上出来であるという自覚はある。
手のひらを額に当てた。男性であれるのは元を知るリオンと共にいる時だけだ。
男であると思いながら、女を演じる。肉体はすでに女であり、精神だけが異なる。実に気持ちが悪い。リオンに秋波を向け、返される嫌悪こそ、自身の奥に内包する感覚と同質だった。
リオンを鏡として、フェルノは自己を見つめていた。
(お前が私の挙動言動を気持ち悪いと思う以上に、私だとて、そう思わないわけがあるまい)
王族と宗教に召喚され、とっさに女性のふりをすることを決め込んだ。リオンが嫌悪すると分かっていて、嘘もついた。警戒しようと言ったのはフェルノである。
あの時は、フェルノにしては必死だった。のほほんと余裕あるふりをしていられないと、鳥肌が立った。王族と宗教という権力に召喚されたのだ。戦慄しないわけがない。
身内の軟禁を経験していて、見知らぬ国家が目的を持って召喚し自由などあるわけがないと考えた。
警戒したのも、つかの間だった。
(まさか、こんなに親切にされるとは思わなかったよ)
自嘲の笑みが漏れる。見誤ったと言えば見誤っている。
そのおかげで、良くも悪くも引き返せない。彼らはフェルノを完全に女性だと思っている。女性として接し、扱われる。
(参った)
気持ちの余裕があるなかだと、より自身の内面における違和感が浮き出てくる瞬間がある。精神と肉体が分断され、つながりが不確かになる。
手を見れば、とても細い。腕に触れれば想像する筋肉がない。腕を寄せ、体に触れても、まるで自分のものではない。弱々しいことこの上ない。
フェルノはベッドの上で体の向きを変えた。視界に部屋の隅がうつる。そこには、見ないようにしている剣が立て掛けられていた。
(もう剣を握れないかもしれない……)
確認することから逃げてきた。本当はもっと早く確認すべきことだ。
ここで魔法は使えない。剣を魔術具として使うこともできない。その上で、剣さえも使いこなせない。今まで当たり前にできたことが一切できなくなる。現実を直視するのが恐ろしく、剣に触れずに来た。
男であった時は、自由に振るうことができたものだ。それを抜くことも、振ることも出来なければ、いよいよ、実感として、弱さを痛感することになる。
妹姫を模して、女言葉を使う非ではない。それは今まで当たり前にできた自分で自分を守ることができるという自負心を失うことだ。
気だるい中で、フェルノは身を起こす。ベッドの上に座り、剣を見つめる。手に取ろうかと惑い、諦めた。
一日の終わり。疲れ切った夜中に、絶望なんてしたくなかった。
朝日が差し込み、顔に光が当たり、フェルノは「んっ」と声を発した。眉間にしわを寄せ、寝返りを打ち、刺すような光から逃げて、薄目を開ける。
フェルノは毎朝、ここがどこだか分からない。自分が誰だか分からない。
男としての感覚で目覚め、意識がともれば、女だと知る。ずるりと何かを削ぎ落される感覚を覚える。言い知れない不快感に鳥肌が立ち、冴える。
体を起こす。昨日の気疲れは消えていた。窓へと進む。知らない街の風景が広がる。異世界にいるのだと思い知る。横を見れば、剣が立て掛けたまま、何も主張せず佇む。
トントンと扉が叩かれる。侍女がきたのだ。
フェルノは目を閉じる。
瞼の裏に妹姫を思い浮かべる。彼女の言葉、彼女の笑顔、彼女の仕草。今日も模すことを誓う。
「どうぞ」
声を発してから、ゆっくりと目を開けた。
フェルノは侍女が望む女性を察し、演じる。
男としての本心の奥を探れば、自身で着替えたかったし、女性ものの衣装ではなく、せめて男性的な衣装はないかと希望したかった。
背後で楽しそうに髪を梳く侍女を見て、言葉を飲みこむ。ここでは誰も、フェルノを男としては見ていない。鏡を見れば、その理由はありありと映し出される。
朝食はリオンの部屋で二人でと希望し、通っていた。
リオンは変わらない無表情で迎え、周囲に人目がなければ異世界に飛ばされる前と同じ対応をしてくる。たまに、時を止め、自由な会話もできる。その瞬間だけ、フェルノは自分を確認することができた。
妹姫の言葉を模してしゃべれば、嫌そうな雰囲気を醸すものの、その嫌悪を手繰れば、奥底にフェルノが男という印を示された気になれた。
そんなフェルノが隠し通す一面をリオンは知ることはない。昼間のフェルノはそんな自身の心内さえも自分から遠ざけていた。
食事後、アストラルが迎えに来る。
珍しく、リオンからアストラルに話しかけた。そして、リオンはアストラルに一階と庭は自由にであるけることを確認したのだった。
その後、フェルノはアストラルと共に出かけた。
車中にて、ぼんやりと車窓を眺める。学園は楽しい。そしてどこか空しい。そこにはフェルノが知らないことがたくさん転がっていた。
何も知らないのだ。家庭教師がついていて、必要最低限の教養を学んできたとしても、同年代の友達に囲まれてすごすなど、本当に遠い世界の出来事だった。
生身のフェルノでは得られなかった何かを、かりそめのフェルノが手に入れている。
(私はいったい何なんだ……)
まるで過去の自分が、今の自分を嫉妬するような、渦が巻き起こりそうになる。その感覚を抑えて、見ないようにして、紛い物を演じている。
これを虚しいと言わずしてなんと言えばいいのか。
「フェルノ様、フェルノ様」
アストラルの声にフェルノははっとする。
「はい」
上の空で、返事だけ返し、誤魔化すように笑った。
「いかがしましたか。連日、学園にお誘いして、お疲れになっていませんか」
「そんなことはありません。とても楽しく過ごさせていただいております」
「それならいいのですが。もしおつかれでしたら、医務室で休むこともできますので、どうぞ気軽に言ってくださいね」
この環の国の第一王子アストラルが親切だ。
育ちの良さを感じる人の好さ。友人に囲まれ、人を疑うということがまるでない。真に優しい、ということはこういう振る舞いを言うのだと見せつけてくる。
フェルノとは何もかも違いながら、名前と立場が似ている男を見ていると、言い知れない感情が沸き立つ。それはフェルノが今まで感じたことがない、禍々しさを伴っていた。
フェルノは生まれて初めて、嫉妬という感情と出会っていた。




