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66/223

63,放心

 両手で受け取ったカップを抱えて、アノンはあたたかい湯気に息を吹きかける。


「リミナルさん。お菓子、持ってきましたよ」

「ありがとう、リング」

「あら、さっきの子じゃないですか」


 アノンが顔をあげると、顎ぐらいまで黒髪を伸ばし、前髪をあげた女の子が立っていた。

「この子は」

「【陰翳共鳴 ハウリングシャドウ】。リングと呼んで。ここで働いている事務の子よ」

「こんにちは~」

 リミナルの紹介にリングは、ひらひらと手を振る。お菓子を盛りつけたお皿をテーブルの真ん中に置いた。


「さっき、大きな声で言いあいしてたでしょ。下まで聞こえていたわよ~」

「聞こえてたの!」

 笑顔のリングにアノンは真っ青になる。


「言っている内容までは聞き取れないけどね。男の子と痴話げんか?」

 そう言うと、リングはリミナルに座る了解を得て、アノンの前に座った。

「びっくりしたわよ。突然、おっきな声が響くんだもん。ここ、普段静かだから、みんな天井見上げちゃったわ」

 笑いをかみ殺しながら、リングはアノンに食べて食べてとお皿を寄せた。

 

 アノンは片手を伸ばして、白く丸いお菓子を手にした。つまんだ拳をテーブルの際につける。すすめられて手には取ったが、口に入れれる心境ではない。


「ごめんなさい」

 視線を斜めに落とし、気恥ずかしさに漏れた謝罪にさらに小さくなる。昨日から、変わり果てた自分を持て余していた。 


「怒ってはいないのよ。ただ、話しがすすまないの。ライオット君が代表して話してもらう体裁になったのは申し訳ないけど……」

「いいです。僕がいても、余計な事を言ってしまうだけですから」

「まずはお茶飲んで、お菓子食べて、落ち着いてね」

「はい」

 リミナルはアノンをなだめる。しゅんとしおれたまま、アノンはお菓子を口に入れた。

 

 リミナルは席を立ち、リングにアノンの相手を任せて去る。リングもお茶を片手に、お菓子をつまんだ。上司から長い休憩を許可されたリングは嬉しそうだが、自分のことでいっぱいなアノンはそんな彼女の心理には無頓着だった。


「ねえ、アノン。あなたはどこから来たの」

 リングは好奇心から話しかける。

「どこって……」異世界とは言いにくい。「遠いところ……」

 ぼんやりとアノンは答える。大きく感情を動かし、若干放心していた。


「ライオットとはどんな関係なの」

「関係って、彼は騎士で、僕の護衛かな」

 斜めに視線を落とす。


 強い弱いだけならアノンに軍配が上がる。なのに、昨日から続く状況対応は彼の方がうまい。

(魔物を屠る以外にも、いろんなことが必要なんだ……)


 アノンは魔法しか知らない。幼い頃から、圧倒的にあふれる魔力との関わり方を優先して生きてきた。学んできたことに偏りがあることは認めざるを得ない。

 状況に対してだけなら、アノンよりライオットの方がずっと巧みだった。一人で投げ出されていたら、到底彼のようには立ち回れなかっただろう。

 それを弱いとか、強いだけで、すべてを断罪してしまうのは、了見が狭かったと、今さらながらアノンも反省する。


「ライオットはアノンを守るためにいるのね」

「ライオットは不本意なんじゃない。僕みたいなのの護衛って……」

 辞めたいというのは彼の本音だとアノンも分かる。二年間邪険にしてきたことは否めない。


「アノンって、お嬢様なの」

「どうだろう。王族につながる公爵家だけど……」

 王族がなんだとアノンは思う。王族故に魔力も強く、縛られることばかりだった。


「ライオットも貴族。それとも平民?」

「地方男爵家だから、貴族と平民の間ぐらいだよ」

 フェルノの護衛と暗殺、アノンの守護。めちゃくちゃな要望をライオットも突き付けられていたなとアノンは振り返る。邪険にしてきた過去が申し訳なくなってきた。


「ライオットって、優しそうよね」

「優しい?」

 仕事だから仕方なくライオットは一緒にいるのだ。辞めたいという方が絶対に本音だとアノンは確信する。


「仕方ないなって傍にいてくれる感じ?」

「世話焼きなだけだよ。お節介なんだよ」

 中途半端に真面目なだけだろう。アノンの口角があがる、自嘲気味の苦笑が漏れる。

「バカだろ、あいつ。僕なんかの護衛を真面目にやってるんだから……」

 捨てて、一人になった方がライオットにとっては楽なんじゃなかとアノンは思い至った。今までの態度の悪さも脳裏に浮かぶ。

「ずっと意地悪ばっかりしてきたのに……。ここにきて頼ってばっかりなんて、都合よすぎるだろ」


「やっぱりアノンもライオットを頼っているのね」

「んっ?」


 アノンが顔をあげる。両肘をつき頬杖をつくリングがにやにやしていた。


「ライオットってアノンのこと好きそうよね」

「はあ!?」


 この会話で、そんな結論に至る理由が見えないアノンはぽかんと口をあけてしまう。


「見捨てられずにずっと傍にいてくれているんでしょ。アノンも、ライオットのこと、好きよね。昨日も今日も、ずっと傍から離れないものね」


 リンダの奇妙な発言に、アノンは目が点になった。

(なんで、そう見られんの?)


 ライオットの後ろで身を隠すことしか考えてなかったアノンは、周囲からどう見られるかなど気づいてもいなかった。ただ身から出た錆に、理解及ばずげんなりする。


 どやどやと階段が騒がしくなる。

 

「終わったのね」

 リンダが立ち、しきりの出入り口から顔を出す。リンダの横から、リミナルが覗いてきた。


「リング、仕事に戻って。アノンさん、話が終わったみたい、ライオット君も降りてきたわよ」

「お菓子包んであげるね」

 軽やかに丸テーブルに戻ったリングが、お皿に残ったお菓子を紙で包み、その口をねじり締めた。


「後で食べて」

 立ち上がったアノンの手にリングはその包み紙を握らせる。


「ありがとう」

 異世界に来てから、たった二日なのに、いろんな人と接触したなとアノンは思った。そして、ここにいる人は誰もが優しいと気づくのだった。





 階段を降りきったライオットが廊下に立つと、仕切りで区切られた奥からアノンが顔を出した。

 一緒に出てきた親切そうな女の子と別れて、リミナルと共に、通路へと向かってくる。ライオットは廊下で立ち止まった。


「落ち着いたか」

 開口一番、きつい声音でライオットは静かにしかりつける。


「うん」

 アノンはしおらしくなっていた。


 ライオットは嘆息する。

「上でまとまった話をするから、場所を変えるぞ」

「分かった」

 首を傾げ、頬にかかる髪をアノンは耳にかける。大人しくなると逐一仕草が女の子に見えた。


(めんどくせえ)


 イラつくライオットは疲れていた。

 背後を通り過ぎる男たちが、肩や頭部と小突いていく。最後に、脇腹をぐんと押される程度に殴られた。


(アノンは、男だ)

 イルバーさえ信じてくれない事実に、ライオットは悲鳴をあげたい。


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