46,本
居間の扉を開けると、サラとイルバーの他にもう一人、穏やかそうな年配の男性がいた。アノンに気づいたサラが「こっち来て」と声をかけてきたので、おずおずと近づく。
「座って、夕食用意するから、お兄ちゃんも早めに食べて。ライオットが来たら交代ね」
四人掛けのテーブル席にて、イルバーの隣にアノンは本を抱いたまま座る。前には年配の男性が座っており、目が合った。優しそうで、顔立ちはイルバーに似ていた。
「はじめまして、イルバーとサラの父【真空尖弓 プラズマアロウ】です」
「はじめまして、僕は【忌避力学 アンノウンクーデター】です。アノンと呼ばれています」
ライオットに任せきりにしてきた自己紹介を、自ら呟き、ぺこりと頭を下げた。
「息子から聞きました。助けていただいたようで、ありがとうございます」
机に額がつくかと思うほど、深く頭を下げられ、アノンは戸惑った。礼を言われるほどのことはしていないつもりだった。
面と向かって向けられる謝辞は慣れていない。
「ほんと、ありがとうアノン」
横から笑顔を向けてくるサラ。アノンの前に彼女が食事を手際よく用意する。
「いや……たいしたことじゃないし……」
小さな声で訥々と答えつつ、アノンはテーブルの端に抱えていた本を置いた。
サラは兄の後ろに回る。
「尚更ちゃんと先に言ってほしかったわよねえ。お兄ちゃん」
妹の嫌味に、兄は肩をすくめた。
イルバーの父が本を凝視する。
「アノンさん、この本は?」
「僕の故郷の本です」
「古そうな本だね」
「これでも新しい方です。何度も書き写されていて、元の本はもっと古いものなんです」
「へえ……、見ても構わないかい」
アノンは少し迷ったが、食事に入れば本を読むわけにもいかないので「いいですよ」と答えた。イルバーの父が本を手前に寄せ、開いた。
食事の用意が整い、アノンは食べ始める。暖かい食べ物を口にすると、ほっとした。お風呂につかったこともよかった。食べて、寝れば、ライオットの言うように気持ちも落ち着き、今後のことも考えられるような気がした。
イルバーの父は、ページをめくる。難しそうな表情に変わり、腕を組んだ。
その本は魔法術の始祖【地裂貫通 グラインドコア】が書いた魔法術の書物である。暗号めいた文字列は一般人の読める代物ではない。ましてや異世界の住民に読解できるわけがないのだ。
アノンはかまわず、胃袋を満たす。
しかし、イルバーの父は真剣に書物に目を通し続ける。
「お父さん、どうしたの」
「……これは、遺跡にある文字盤の文字に似ている……」
難しい表情で本をめくり続けるイルバーの父がぽつりとつぶやく。
アノンはその声音に感応して、顔をイルバーの父に向ける。
「それは始祖の暗号です。僕たちの故郷のもので、こちらの世界にはないと思われます」
「しそ?」
イルバーの父が本を閉じながら顔をあげた。
「僕らの世界には……、特殊な力があり、それを最初に世界にもたらした人が、暗号で書いたものです」
異世界や魔法と言って通じるか戸惑い、苦肉の策で言い換えてみた。
「アノンさんの世界のねえ……。それにしてはあまりにも似ている」
「アノン」とイルバーが横から声をかけてくる。
「父さんは、魔神が封じられていると言われている遺跡について調べているんだ。そこは、さっき首領が言っていた【凶劇 ディアスポラ】が封じられていると言われている場所だよ」
「その遺跡には文字盤があってね。アノンさんの書物の文字と文字盤の文字が本当によく似ているんだ」
イルバーの父は考え込む。アノンは食事の手を止めた。
「その本の暗号文はかれこれ二百年以上昔のものですし、こことは違う場所で記された書物ですよ」
「遺跡の封印は三百年ほど前と言われているからなあ。
残念だ。もう少し前にアノンさんが来てくれていたら、遺跡に行って確かめることもできたろうに……」
アノンは首をかしぐ。不思議そうなアノンにサラが付け加える。
「最近、魔物が狂暴になって、なかなか遺跡に近づけないのよ」
「巨大な魔物のこと?」
「そう。お兄ちゃんたちでも、苦心しているの」
「……ふーん」
(そのぐらいなら、場所が分かれば行けるな)
始祖は謎の多い人物だ。彼がどこからきて、どんな人なのか知られていない。興味はそそられる。アノンは一人で結論を出す気になれなず、ライオットが来るのを待つことにした。
ライオットが居間に入ると、イルバーが席を立った。入れ替わり、風呂に向かう。さっぱりとしたライオットは、イルバーと同じような服に着替えていた。
「食べたか、アノン」
「うん、食べた」
いつもならお節介なのが嫌で、ほっとけと邪険にしてしまうが、今は世話を焼かれている方が安心できた。
サラがイルバーの食器類を片づけ、入れ替わり座ったライオットの前に食事を用意する。ライオットは無言で食べ始める。黙々と食事をすすめる彼はそうとうお腹が減っていたのだろう。
食べ終わったアノンはイルバーの父から返してもらった本を胸に抱いた。
「あの……」
アノンが声を発するとライオットの匙の動きが一時とまった。が、すぐに動き始める。
「遺跡とは何なのでしょうか。あと、まじんとは……」
後でライオットと相談するにしても、彼が隣にいる今、聞けるだけ話は聞いておこうとアノンは考えていた。
「遺跡は基本的には魔神が封じられていると考えられている」
「考えられている?」
はっきりしない物言いにアノンは引っかかる。
「三百年前、魔神に破壊されつくし、生き残った人間も少なく、文明も失われるほどだったので、記録がほとんど残っていないんだよ」
二人の父はすまなそうに笑んだ。
「唯一の手掛かりである遺跡の文字盤も、失われた事柄が多すぎて解読できない。【凶劇 ディアスポラ】にしても謎が多い。
とにかく、今の生活をおくれるようになるにも百年以上時間を要している私たちは、三百年前のように暮らしを失う訳にはいかないんだ。
近年、魔物は狂暴化するし、環の国イドでは復活に備えて、聖女を召喚するなどと動き出しているものだから、いよいよ本当に魔神復活がささやかれているんだよ。
もし本当に魔神が封印されていて復活したら、大変だからね」
アノンは答えに窮した。この地にもいろんな事情があるのだろうと考える。ちらりとライオットを見ると、すでに食事を終えていた。
「ライオット」
アノンが話しかける。ライオットの視線がアノンに向く。
「その文字盤の文字と、僕が持っていた本の文字がすごく似ているんだって言うんだよ。どう思う?」
「どう思うって言われてもなあ」
ライオットが妙な表情になる。聞かれても困ると言いたげだった。
イルバーの父が口をはさむ。
「アノンさんに、文字盤を解読してもらえたら、助かるねって話をしていたんですよ」
ライオットは眉をしかめる。
「うーん。仲間のこともあるし……。遺跡と言ってもなあ。
っで、アノンはどうしたいとかあるのか」
ライオットの問いにうつむくアノンがぽつりとつぶやく。
「わかんない……」
弱り切っているアノンの返答に、ライオットは無言だった。嘆息しても、アノンが傷つくと我慢した。




