35,警戒
アストラルはフェルノとリオンを交互に見る。フェルノは、ゆっくりと視線をあげ、おそらく上目遣い程度になるであろう角度で、アストラルの反応を伺っていた。
アストラルは、険しい表情を浮かべたように見えた。
リオンから離されたくないフェルノはくぎを刺したかった。
少々痛い部分はあるが、妹姫程度の恋心を演じれば、何とでもなりそうだとたかをくくっていた。黙れと制しておいたリオンのことなど知ったことではない。
「お二人は離れたくないと、そうおっしゃるのですね……」
「はい」
背後のリオンがどんな顔をしているのかは見えない。
黒騎士のことだから、なにも言わず、感情も出さず、フェルノに従うことは目に見えていても、言っていることが言っていることだけに(黙っていれよ)と念じていた。
今はアストラルの反応を読んで応じるだけで、神経を使う。リオンの横やりが入れば、思惑は霧散する。
「……アストラル様が、保護していただけるとおっしゃいましても、私はただただリオン様と一緒にいたい一心で家を飛び出してきました。にもかかわらず、こんな見知らぬ地に飛ばされて、リオン様と離され一人になるなど、張り裂けそうなほど心ぼそうございます」
頭を左右に振って見せて、目を伏せる。涙でも流せば完璧だろうかと考えたが、さすがにそこまでの芸は身についていなかった。
ただ、片手を口元へと寄せる。
「リオン様と離されては耐えられません」
震える声を発しながら、フェルノは視線を斜め下に落とし、二つ三つ間を数えて、顔をあげた。
「せめて、リオン様とずっと一緒にいれる保証だけでもいただきとうございます!」
フェルノは背後に腕を伸ばし、リオンの腕をつかみ、強く引いた。
(見知らぬ世界で、恥も外聞もあったものか!)と、内心叫んでいた。
耐えに耐えていたリオンだが、フェルノに腕を掴まれた瞬間、ぞわっと悪寒が走った。
(いいかげんに、やめてくれ!)
嫌悪と、悪寒と、拒否感に(寄るな! 動くな! 止まれ!!)と激情が突き上げる。
その時、カチッと音もなく世界が停止した。
目の前のアストラルが彫刻のように止まっている。彼側に控えている白いローブの者も同様だ。窓の外を見れば、滑空する黒い影が空中にて停止していた。
青白い霧に覆われたように、視界からは若干色味が薄らいでいる。
「なんだ、これは……」
「止まっているのか」
リオンのつぶやきに応えたのはフェルノだった。
声音は硬い。先ほどまでの女性的なまろやかな声色ではなく、凛とした直線的な物言いだった。
「フェルノ。あなたの魔法ですか」
「まさか、時を止める魔法なんて、私は使えないよ」
二人は自身の思考に落ちる。何が起こっているのかとそれぞれに考えた。
「私が女になったのだ。リオンの身になにか起こってもおかしくないだろう」
「俺ですか?」
「今しがた、何か思ったり、願ったか」
「フェルノに捕まれた時、あまりの気持ち悪さに、やめてくれと内心叫んでましたね」
フェルノはふっと吹き出した。
「気持ち悪いか、それはいい。私の演技もなかなかだな」それよりと続ける。「やめてくれと願ったなら、その感覚はとまれに近いものかな? ならば、止まれと願えば止まると仮定して、動けと願えば、動きだすとしたらどうかな」
「動け、ですか」
リオンはフェルノに言われるがままに、願ってみた。
すると、世界に色味が戻った。フェルノは瞬きをする間に、表情を整える。
フェルノはリオンを見上げる角度で、斜めに傾いだ顔の位置を変えずに、アストラルへと視線を流した。
やわらかくアストラルは嘆息する。
(この王子様に裏がなければ、騙していることになるな)とフェルノは自嘲した。
以前から人を茶化す性格であることは自認していたものの、ここまで演ることになるとは、さすがに思っていなかった。
何も持たないまま得体のしれぬ場にいる以上、何を賭けてでもリオンを手放すわけにはいかない。貶められること、利用されることと、撃ち捨てられること、警戒して損はない。
手を打たず、事が起こり後悔しても遅いはずだと気を引き締める。
「フェルノ様。あなたのご意向は深く理解致しました。決してあなたのお気持ちをないがしろにしないように努めさせていただきます」
フェルノは、そっとリオンの腕から手を引き、ソファーに座りなおす。両手を膝の上に置いた。
「わがままばかりで、申し訳ありません」
頬に手を寄せ、安堵の表情に見えると予想するため息を漏らした。
フェルノの手が離れ、彼が甘い声を発した瞬間、リオンは(時よ止まれ)と、激情にかられてではなく、先ほどの不可思議な空間に思いをはせて、念じてみた。
すると色味の薄らいだ世界へと引き戻されていた。
時が止まったと解釈して良いものか惑う。誰もが硬直しているなかで、リオンの手足は動く。動作に支障はなさそうだった。
身を屈めて、フェルノの横顔を覗き込む。彫像のように動かない。
(本当に固まっているのか……)
リオンはフェルノの肩に手を触れてみる。
途端に、フェルノに意識が戻った。
「試したのか」
振り向いたフェルノが口角をあげる。
手を退けたらまたフェルノが固まってしまうと考えたリオンはその肩に触れたまましゃべることにした。
「時間が止まったと解釈していいものと思います」
「なかなかな能力を授かったな」
「触れていれば、こうやって止まった時の中で、会話もできます」
「女になるよりはずっとマシだな。しかもこの状況だ。隠れて行動しやすい能力はきっと便利だ。密談にも使える」
「密談ですか……」
「おそらく、私とリオンには監視がつく。目的は何か、何に利用されるのか。現段階では見当もつかない」
フェルノは極端に利用されることを恐れているのだと、今になってリオンは理解する。極度の猜疑心は生まれと育ちのせいだと護衛の騎士は看破した。
「私は、わがままで世間知らずな娘でも演じて、極力リオンから離されないよう努めるさ」
疑う気持ちもわからないではないものの、リオンは気が遠くなる。
女性と化したフェルノは妹姫によく似ていた。淡い恋情を向けてくる彼女を想起させる容姿と声で、これからも何を見せつけられるのかと空恐ろしくあった。
「……いったい誰を模しているんですか」
聞くまでもないことをリオンは口にしていた。
「妹姫さ。いっつも、リオンを追っかけてたんだ。あれを真似て、しゃべればいいし、彼女のようにリオンを見つめれば、それっぽく見えるだろう」
「気持ち悪くて、吐きそうだ」
二人だけの空間において、何も隠す必要はないだろうと、リオンはあからさまに顔を歪めた。
フェルノはその顔を見て、ほくそ笑む。
「私の観察眼と演技力もなかなかだろう」
そう言って、再び、アストラルに目をむける。
「警戒しよう。肩透かしを食っても、それはそれだ。身を守れる手段があるなら、とことんまで使い倒すぞ。得体のしれない宗教や王族に召喚されて、ただで済むとは思えない」
低いフェルノの宣誓に、異論を唱えずリオンは手を離した。
再び時は脈打ち始める。




