213,行末
「ライオット、本当に無事でよかった」
ライオットの前髪をかき上げたアノンは泣きそうな顔で笑った。
その表情を見るなり、ライオットが両膝をつき、アノンの顔を覗き込む。
「アノンも、無事でよかった」
「うん」
「生きててよかった」
掴んでいたアノンの手をさらに強く握る。もう片方の腕をライオットはアノンの首周りに回した。アノンの前髪をかいていた手がライオットの肩に添えられる。
ライオットはアノンの額に自分の額をこすり合わせた。胸元に握った手を寄せる。そのままじっと二人は、ぬくもりを共有し、今ここに一緒に生きていることをじわじわと感じ入っていた。
どれくらいそうしていたか分からないなかで、そばにいた御者もまた二人の横にしゃがんで告げた。
「ライオット様。フェルノ殿下と王太子殿下より、アノン様を馬車まで送られたら、ライオット様は終業であるとうかがっております」
「えっ、あの、終業って……」
アノンの額からぴょんと離れ、ライオットは正気に戻る。心臓がばくばくと耳奥で跳ね始めた。
アノンは、しれっとした表情で、嘆息する。
「フェルノの仕業だろ。あいつ、からかうのだけは好きなんだから。手の込んだことするよね」
「王太子殿下も知っていたのか……」
受け取った書類をすぐに脇に避け、追い出す時も『フェルノ殿下の元へ迎えに行け』と将軍は言った。
(ああ、将軍もグルだったのかぁ。リオンだけじゃなくて、俺もしてやられたのか……)
力が抜けたライオットはへなへなとその場に座り込んでしまった。
そんなライオットをアノンは太々しく見下す。
あまりの見慣れた顔に、ライオットは苦笑してしまった。
「僕を送ってよ。ライオットは、僕の護衛なんだよね」
森の民の居住区で浮かんだ表情とあまりに瓜二つで、ライオットはもう笑うしかない。
(アノンって言ったら、この表情しか思いつかなくなっているのかよ)
立ち上がり、ズボンを汚した砂を払う。跪き、片手でアノンの手を握る。
「心のままに。俺はアノンの望むまま、アノンの専属の護衛だよ」
はにかんでから、アノンはライオットの腕を引き、引き寄せた頭部をぎゅっと抱きしめた。
ブラストが息を切らしてフェルノの部屋に飛び込んできた。
「兄上、兄上。うまくいきましたよ」
とびこんできた弟に、フェルノは笑いかける。ソファでくつろいでいたままの姿勢を正し、ブラストも座りなさいと手を返して示した。
兄の目の前にある一人掛けのソファーに座ったブラストは身を乗り出す。喜びに満ちた表情でフェルノを凝視する。
「ライオットが、アノン様を公爵家までお送りするために、公爵家の馬車に乗って出かけました」
ブラストの報告にフェルノは笑む。入室した女官が新しい紅茶を淹れる。
「はい。兄上の提案には驚かされましたが、協力してよかったです。あのままでは、ライオットとアノン様の距離は縮まりませんからね」
「うん。この後、ライオットが公爵家の方々に認められるかは、彼次第だけど。アノンがなんとでもしそうだよ」
「アノン様はそんなに画策がお上手なのですか?」
「私は二度もはめられているんだ」
「兄上を二度も!」
ブラストの驚きにフェルノは笑みではぐらかし、話を変えた。
「フレイの縁談もまとまりそうでなによりだね」
「はい。これで、一安心です。父も母も、女官長も姉上の素行には頭を痛めておりました」
「それは私の元へ来ていたことかい」
言いにくそうに、ブラストは苦笑いする。
「はい。リオン殿が、兄上の護衛に選ばれて、私の指南役から外れた時に私の部屋まで文句を言いに来ました。『ずるい、ずるい、なんでお兄様なの。これでは遠くから見つめることもできないじゃない。ずるわ、お兄様』と連呼し、止める間もなく兄上の屋敷へと飛んでいったのです」
「ブラスト」
「何ですか?」
「ブラストも、フレイの真似がうまいな」
「も、ってなんですか。姉上の小うるささは子どもの頃から耳タコですから。
結局、怒られるのは残されたこっちの方です。割に合いませんよ。姉上は、どんなに女官長が青筋立てて怒っても、三分で忘れるつわものです」
ブラストの不平でも、フェルノは楽し気に耳を傾ける。家族の知らない一面を聞くと、失われた時間を埋めていくようで楽しかった。
「それで、フレイが私の元へやってきた。彼女からしたら、リオンを追っかけてきただけだから、悪気はなかったんだろうね」
ここでブラストは傍に仕える近衛騎士と控えていた女官を下がらせた。
「あとは、ここだけの話ですけど。
姉上は、生来魔力量が多い方です。ですが、魔力の使い方を学ばせてはおりません。宝の持ち腐れではありますが、アノン様のように魔力を失うと命にかかわることもあります。ですので、積極的に魔法の使い方は学んでいない方なのです」
「年齢から見たら、アノンとフレイは、どちらが選ばれてもおかしくなかったのだろうね」
「はい。その結果、自覚ないままに姉上は潜在的に高い魔力を備えています。アノン様の本来の魔力をご存じの兄上なら、それがどういう代物かお判りでしょう」
神妙に問うてくるブラストに、フェルノは笑顔で頷く。
「結果として、姉上の嫁ぎ先に困っていました。嫁がせて、魔力の高い子どもが生まれたら、姉上が魔法を学んでしまったら、国の均衡がくずれてしまうかもしれません」
「そこでリオンなのだね」
「はい。リオンへ子爵を叙勲し、姉上の婿に収まってもらいます。実質、姉上は王家との繋がりを持ちつづけ、もし魔力の強い子どもが生まれたら、その子は公爵として独立させます」
「ブラストは十二歳でありながら、よく考えている」
その点、フェルノは心から感心していた。にこにこと弟の話に耳を傾ける。
「父の考えです。姉上はリオンが大好きで、リオンが武勲をあげた今が好機と動いたのです」
ブラストは、ここで一気に冷めた紅茶を飲み干した。話は続く。
「兄上も、先行きは、あれでよろしいのでしょうか」
「いいもなにも、あれが最良だと私も思うよ。父の申し出は正しい」
「ですが……。いえ、私が寂しいです。こうやって気兼ねなく話せる方は早々いません」
「私がここにいても、余計な火種になる。わかっているだろう」
「はい」
十二歳の少年は肩を落とす。
「なに、私が行くのは魔物の国だ。
魔王を倒し、武勲を立てた第一王子が新しい領地の主となる。それだけのことだよ、ブラスト」
「そうですね。森を越えてすぐのところですね」
「裏山からこっそり最速で飛べばものの数時間でつく。距離だって遠くない。季節の行事は顔を出す努力をしよう」
「はい。兄上と会えることを楽しみにしています」
「余計な画策をしたがる者と私が接触する好機は少ない方がいい。私が乗る気はないが、余計な詮索もされたくはない。わざわざ、魔物の国まで飛んでくる奇特な者は少ないだろう。
私は近いうちに、魔物の国の魔王城へと移り住む。末には、魔物の国は、人間の国に属す辺境領地となし、私は辺境伯として落ち着こう」




