210,紛い物
「久しぶり、フェルノ」
「会えてうれしいよ、アノン」
穏やかに笑みを浮かべるフェルノとは対照的に、アノンの表情は複雑だ。
縦に長いローテブルの端にアノンの椅子が置かれている。
ローテーブルに平行に置かれた長椅子の端、アノン側の肘掛けにもたれ、フェルノは座っている。
「おかしくないかな」
「なにが」
「僕の恰好」
長い薄紫の髪は綺麗に梳かれ、跳ね一つない。サイドアップされた髪はプラチナにアメジストが装飾されたバレッタでまとめられている。薄く化粧も施され、折り曲げた口元が淡く色づいていた。
(公爵家の方々の気合のいれようがうかがえるよ)
椅子も芸術性の高い魔術具であり、伯爵家の特注品である。
紫と白を基調とする膝を隠すワンピース。刺繍とレースで裾やそでぐり、襟ぐりもきれいに整えられている。華美ではないが、細部を見ればオーダー品と分かる。
真っ黒なローブに、手櫛で梳いただけの、ほつれた髪をした少年の面影はない。
(女の子の方が似合うよね)
フェルノは膝に置かれたアノンの手を取る。嫌がるかと思えば、反応はなかった。手の甲に軽く唇を落とし、膝に手を戻してあげた。
フェルノの所作に、アノンは呆れる。
「ばっかじゃない」
キスを受けておいて、悪態で返す。アノンらしさが健在で、フェルノはふふっと笑みがこぼれた。
人間の国が選んだ事後処理について、アノンが問い、フェルノが答えた。侍女が語る国民側から見える世界と、フェルノから見える中枢側の世界は違う。相違を埋め、現状を把握する。
ひとしきり聞き終え、アノンは嘆息する。
「ありがとう、フェルノ。ずっともやもやしていたから、やっとすっきりしたよ」
「どういたしまして」
「テンペストやデイジーにとって、魔王が悪者にされるのは悔しいだろうね」
「その点はね、ちょっと切ないよね」
あの戦いでの、功労者を貶めるのだ。胸が透く話ではない。
「人間の国から密書がサッドネスを通して魔王には渡されていた。魔神を魔物の国で屠った場合、そこで倒れたのは魔王とすることを了承させる文章だった。魔王自身も著名。血判まで押していた。連名で預言者の名も記されていた。
あの方々の意志は並々ならないものがあったのだろうね」
「魔人の反発はなかったの」
「それは違うという者もいたようだが、テンペストが高齢になり乱心したためと説明しているらしいよ。四姉妹が魔王を討つことは、家族を手にかけることだから、人間の国に助けを求めたとしたらしい」
「あれ、魔王討伐のために生まれた時から準備されてなかったっけ、王子様」
「それは国民の勝手な噂さ」
「いい加減だなあ」
「いいんじゃない。どんな英雄譚も、語るは自由だよ」
腰を折り、手を伸ばすことができないアノンに、フェルノはティーカップを渡した。アノンは太ももにソーサーを乗せ、カップを持ち上げ、紅茶を飲む。
フェルノが、「お菓子はいるかい」とお皿に乗せたお菓子を、差し出す。アノンはスノーボールを二つソーサーに移し、三つ目を口に入れた。菓子皿をフェルノはテーブルに戻す。
「フェルノ、この世界は紛い物なんだ」
「うん」
二人は視線を落とす。小さな声で、呟くようにアノンが語る。
「始祖はすべてを語っているようで、語り切らずに消えた。遺跡で僕は文字盤を読んでいる話はライオットから聞いている?」
「小耳には挟んでいるよ」
「そっか」
アノンは顔をあげ、遠くを見つめる。
「僕らの世界は仮想現実。異世界、いや、現実世界の都合で作り出された世界だ」
フェルノも顔をあげる。無表情でアノンを見つめる。
「三百年前に残された文字盤にはそれまでの世界の様相が書かれていた。異世界に旅立った始祖に手段が託された。異世界で生み出した対策を現実世界へ送り込むとも書かれていたけど、それは全体のほんの一部だった。
僕らが生きているこの世界は、三百五十年前に、現実世界によって生み出された。文字盤には仮想世界と書かれていたよ。僕らの祖先は、その三百年前に、人工的に現実世界の人間を模して造られた、人形なんだよ」
「私たちが人間だと思って生きている根幹が崩れてしまいそうな話だね」
「この世界は、元々は小国が乱立し戦争を繰り返す世界として作られ、現実世界からやってきた人間が、武器を実装し戦う場所だったんだよ。ここは現実世界の人間が砦を叩いたり、領土を奪いあうような遊び場だったのさ」
「それが現実世界のために作られた世界だったということだね」
「うん。そういう世界の片隅で、魔物の核を採掘する研究が行われた。始祖や文字盤を残した人々はそっち側の研究者だったんだよ。
だけど三百年前、刈り取ろうとしていた魔物の核の採掘に失敗した。その結果、生まれたのが魔神【凶劇 ディアスポラ】だった。あとは環の国や森の民が語る世界が魔神に滅ぼされてという話につながるんだ。
そうそう【凶劇 ディアスポラ】ってさ。元は【死屍累々ジャッジメント】という魔物だったらしいよ」
「【死屍累々ジャッジメント】ね」
ジャッジの姿を思い出し、フェルノは肘をつく。
「僕たちの世界は三百五十年前に作られた。ということはだよ、僕らが当たり前に知っている歴史さえも、紛い物なんだよ。
戦乱期には、いくつもの国があり、その国には歴史があると僕らは習う。でも、文字盤には、『仮想現実に三百五十年前に作られた小国入り乱れる戦乱を模した世界で』と書かれていた。
つまり、人間の国の統一以前にあったとされる国々の歴史がすべて、現実世界で作られた仮想の歴史と文化なんだ」
「私たちがまともに学んでいる歴史がすべて偽物ということなんだね」
「そうだよ、フェルノ。そんな話、誰が信じると思う? 信じてきた歴史がすべて真っ赤な作り物で、人間だと認識して生きている僕らが、元はすべて現実世界で作られた人形だったなんて! 歴史も紛い物、人間としても紛い物なんて、たとえ真実であったって、誰も受け入れやしない!!
そんな話、荒唐無稽すぎて誰も信じやしないよ」
ソーサーを持ち上げ、フェルノは紅茶を飲む。
「環の国の人たちも、森の民で出会った人たちも、人間の国に住んでいる人も、魔物の国に住んでいる人も、私には全員人間に見えたよ」
「僕もだよ」
「過去の人々がどんな意識であっても。私たちがどんな経緯で生まれてきたとしても。私にはすべての人が人間に見える」
「うん」
「過去に縛られることはない。だって、そんな過去を生み出した先人たちは、すでに魔神の手によって滅ぼされているじゃないか」




