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208,母

 アノンが目覚めた時、公爵家は騒然となった。


 数か月意識を欠いていたアノンは、寝かされている部屋がどこの誰の部屋か分からないほどだった。魔力により維持されていた身体は支えが枯渇し動かせない。骨も筋肉も、心肺機能も内臓も、あらゆる体の状態が最悪。どれだけ魔力で体が動いていたか、痛感させられた。


 医療系の魔法使いが出入りし、身体検査が始まる。機能が落ちているため、生命維持のための魔力の一時補給と、魔力なく動けるようになるための身体機能回復に努めるように指示を受ける。身体機能が回復する兆しが見えるごとに、補給する魔力量を減らすことになった。


(今の自分で、自分の身体を動かせるようになることが目標なのか)

 生きているだけでましだと、泣きながら笑い飛ばした。


 何か月も固形物を食べていなかったため、食事も重湯から始め、離乳食のような、どろっとした食べ物へ徐々に変わる。まるで赤ん坊からやり直しを食らっているようだった。


 しゃべれるようになったアノンは、フェルノ、リオン、ライオットのことを訊ねた。彼らは無事であると聞き、アノンは静かに「そう」と呟く。それから、またしばらくしゃべらない日々を過ごした。


 体を起こせるようになった。手すりを支えに、額に汗を滴らせ、立てるようになった。体の不自由さを抱えながら努力することは慣れていた。幼少期のように、熱も出さず、動くだけましだとアノンは歯を食いしばる。


 エクリプスが魔法の絨毯を応用し、地面すれすれに浮遊させて移動できる椅子の魔術具を作った。訓練を継続しつつも、そのおかげで、アノンの行動範囲は格段に広がった。


 使用人にも魔力を使えるものがいるため、アノンは庭に出たり、食事を食堂で家族と共にするなども可能となる。魔力は失われたものの父も母も何も言わなかった。

 ただ、アノンだけは分かっていた。父と母の子はアノンしかいない。


(公爵家の女主人となり、それ相応の魔力を持つ者と結婚しなくてはいけないのだろうな)


 そういうことがぽんと頭に浮かび、それが回避不可能な未来であるとすぐに分かってしまうことがやるせなかった。 

 

 




 

 アノンの訓練が続くなか、魔神の事後処理は進む。


 第一王子の魔王討伐が喧伝され、その知らせを国民は歓喜をもって受け入れた。

 病に伏せっていた第一王子は秘密裏に魔王討伐のため特殊な訓練をされていたのだと噂は勝手に広まった。リオンとライオットは英雄のように語られる。名誉の負傷などとアノンも賞賛された。

 貴族界隈ではアノンは男だと認識されていたが、それは表に出ていないために独り歩きした噂話とされ、始めから女だったのだと意図的に流された話も定着した。


 魔神と魔王はすり替えられる。

 異世界も、始祖も、魔神もすべて伏せられた。


 魔王が独自に狂暴化し暴走。魔物の国から秘密裏に討伐依頼が来ていたと国民向けに話が作られる。姉妹たちは反発したかったが、魔物の国に住まう魔人の安寧のためにやむなく魔王の汚名を受け止めた。

 サッドネスが魔王に持参した書類に、その様な提案が書かれ、魔王自身が生前に署名了承済みであることが決め手となった。


 実生活に影響がない、討伐された魔王のことなど、人々はすぐに忘れ去る。


 





 大方の事後処理が終わり、サッドネスも魔王城から戻り、フェルノに挨拶にきた。労いの後、失礼しますと退室するサッドネスに、悪戯心が湧いたフェルノが問うた。


「塔で捨てろと言った品はどうした」

「捨てました。ご命じのままに」


 フェルノが異世界から持ち帰った唯一の品もつつがなく処分されていたようである。


(異世界の存在は、これで証拠隠滅できたってことでいいのかな)


 女官も文官も従順で、目ぼしいからかう相手もおらず、フェルノは退屈であった。



  

 そんなある日、約束を取り付けた上で、女官長が執務室にやってきた。


「フェルノ様、ご機嫌麗しゅうございます」

「女官長。今日はかしこまって、どうされたのかな」


 深々と礼をする女官長をソファ席に座らせ、フェルノは向き合う。控えていた女官がお茶を用意する。


「今日より、ご家族と食事を共にし、面会なども自由になされることが可能となります。そのご報告に参りました。お待たせして申し訳ございません」


 女官長は深々と頭を垂れた。

 家族と会う。フェルノは今さらどのようにうけとめたらいいかと困ってしまう。


「もっとお早く、家族と面会をと思っておりましたが、療養期間を経て、事後処理に忙殺されている最中は、控えておりました」


(魔寄せの体質影響を観察していたのだろね)


 穏やかであれば、体質は抑えられる。環の国で聞いたことを人間の国も把握しているのだろう。慎重に様子を見ていてもおかしくない。

 訝るのもほどほどにした。


 生まれつきなのか、成育歴のためか、疑い深さは簡単にはぬぐいきれない。しかし、ぬぐう必要もないと思っていた。


「ところで、フェルノ様、これよりお時間はございますか」

「あるよ。女官長の対面時間として、午前は開けてもらった」

「ありがとうございます。恐れ入りますが、ご同行願います」

「出かけるの? かまわないよ」

「ご足労かけ、申し訳ございません」


 女官長の案内でフェルノは別室へ移動する。

 ある扉の前で立ち止まる。フェルノに女官長が待つように指示を出した。

 入室した女官長がしばらくすると顔を出し、扉を大きく開けた。


 フェルノは数歩歩み出て、足を止めた。

 背後で女官長が扉を閉めた。


 白金の長い髪を結いあげた高貴な身なりの女性が立っていた。瞳も灰褐色。白磁のような衣装に若草色の装飾がほどこされている。


(母か……)


 髪色、瞳の色がそっくりで、面立ちはフレイそっくりだった。身長も同じぐらいだろう。フレイと似てて、年配の女性となれば、フェルノは母しか思いつかなかった。


(だから、女官長は時間をとりつけたのだな)


 彼女はフェルノを真っ先に母に会わせたかったのだろう。そうでなければ、今回の連絡は一言で済むような内容だった。


 女性がゆっくりとフェルノに近づく。


 フェルノは無言でその様子を眺めた。どんな言葉を発すべきかわからなかった。


 女性は、フェルノの前に立つ。


「私は【幽閉言語 ヒステリックネオテニー】。フェルノ、あなたの母です」

 

 母の手が伸びて、フェルノの片頬を包む。


「おかえりなさい、フェルノ。よく、無事に戻ってきてくれました」


 目を閉じて、寄せられた母の手にすり寄るフェルノは、母の手に自身の手も重ねた。


「長い長い旅でありました。母上も、ご健勝でなによりです」

「あなたが無事に帰ってきてくれて、この悦びに私は言葉もありません」


 もっとなにか言うことも、言いたいこともあったような気がするが、長旅を終えたフェルノは、穏やかだった。

 

 ちゃんと成長していることは無言のうちに伝わる。


 母はただ、息子の成長をこの手に抱けなかったことだけが物悲しかったが、それを息子に告げる程、愚かではなかった。



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