206、青い炎
肩周辺の骨や筋肉を損傷したリオンの片腕はぶら下がるだけの肉になった。手の力は失われ、剣が落下する。あふれる血が腕を伝い、指先からぽたりぽたりと血を落とした。衣類が赤く染まってゆく。
それでも、まだ動くもう片方の腕で、腰に佩く剣を抜いた。フェルノから預かった剣で、最期まで護衛として、彼の望むまま動くのだ。
フェルノは青い炎を纏う剣を下方に構える。
頭部を垂れて顎を引く魔神は首元が狙われていると分かっていた。
魔神の間合いに飛び込んだフェルノは剣を突きあげた。青い火が吹き上げ、魔神の顔を包み込む。仰天し、仰け反った魔神は、前足で顔面の炎を払う。
フェルノは突き上げた剣を引き、魔神の首を逃すまいと飛んだ。
魔神の片目がフェルノの動きを捕らえる。
フェルノの剣が首下を狙い半円を描く。
切っ先から逃れようと、身をよじった魔神は側面から地面に落ちる。落ちるや否や、顔を土にこすりつけ、炎を消した。
片足を軸に身を起こす魔神は焼けた顔面を晒し、さっきよりもさらに顎を引き、顔を低くし、フェルノを警戒する。
下から魔神の首元を狙おうとするフェルノも、更に重心を落とした。
喉を鳴らしながら、摺り足で進む魔神とフェルノは睨み合う。
利き手を失ったリオンは、それでも身体能力を駆使して、尾を制していた。呼吸は乱れており、視界も赤みをさしている。さすがのリオンも、持たないかもしれないと弱気になりかけていた。
魔神より小さいフェルノが走りこむ、魔神がどんなに体を低く構えても、地上と顎には隙間ができる。その隙間さえあれば、人間一人入り込むのは容易である。
肘を曲げ身を乗り出す魔神が、先に仕掛けようと顎を地べたに滑らせた。大口を開けて、フェルノに迫る。
急停止したフェルノが膝を曲げて、前後に大きく足を開く。上半身を屈し、柄を両手で握った剣を地面すれすれに構える。
白い牙が陽光に光った。赤い舌が風に煽られ、ぶるぶると震えている。
フェルノは笑んだ。そして、飛んだ。フェルノが消えた立ち位置に滑り込んできた魔神が、そこで口を閉ざす。がちんと牙がかち合う音が響く。
魔神の頭部より高く飛んだフェルノは剣を振り上げた。
魔神は目玉だけ動かし、フェルノの動きを追いかけていた。
フェルノの刀剣が青い炎を爆発させた。刀身は炎によって二回り大きくなる。
魔神は尾をフェルノに差し向ける。
その尾の動きに反応するリオンが、フェルノと尾の間に立ちふさがる。
フェルノは魔神の首へ、刀剣を振り下ろす。
宣言通り、魔神を斬首した。
青い炎の刃が、魔神の胴と首を切り離した。
ジャッジがとぼとぼと歩く世界に青い閃光が走った。眩しくて目を閉じて、頭を抱えて、座りこむ。
(なにがあったの?)
熱気に顔をあげたジャッジは青ざめる。青い炎に取り巻かれ、逃げ場はなかった。
フェルノを狙う尾に反応し、立ちふさがったリオンの動きは鈍かった。剣で防ぎきれなかった尾が、自身の片足と胴を貫通した。血を吐いて、魔神の背に落下する。着地もままならず、柄を握ったまま、手をついた。
痛みをものともせず、空を見上げた。更なる尾がフェルノに迫る。重い片足を引きずれば、魔神の背にぼたぼたと血が落ちた。
刀身が火炎を纏う。放ちたくとも、剣を持ち上げる腕の力がままならない。
空を躍るフェルノが、青い炎を纏う刀剣を振り上げた。
その真横に魔神の尾が鋭角に突っ込んでいく。
(ダメだ! フェルノを守らないと!!)
リオンの体内でドンと魔力が爆ぜた。体内からあふれる魔力が血肉を辿る。筋繊維と血管が傷口から盛り上がった。有象無象の虫が這うように、離れた互いを求めあう。肩を裂いた傷が結合する。胴と足の傷穴が盛り上がった。盛り上がりが静まると、体内で砕かれた骨までも再生していた。
治癒した驚きを感じ入る間はない。魔神の背を蹴って、炎を宿す剣を振り上げた。
フェルノが魔神の首を斬首すると同時に、リオンは空を切ってフェルノに迫る魔神の尾を叩き切っていた。
ジャッジは逃げる。
青い炎が走り、どこもかしこも燃え、焼き尽くさんと迫ってくる。火花が散り、体を焦がす。
「怖い、怖いよ。助けて、助けて」
泣きながら走り続けた。
待っていた家は燃えてしまった。
世界は白く、青い炎に飲み込まれていく。
ジャッジは待っていた。コアをなんで待っていたかも忘れてしまったけど、ただ待っていたのだ。
足がもつれてすっこっろんだ。目の前を青い炎で遮られる。
(もう、ダメだ。逃げられない)
うつむいて、後頭部に両手を当てて、ジャッジはまるまる。
半泣きの目を大きく開らき、過去を深く思い出す。
ジャッジは日の当たる草原でゴロゴロしていた。仲間の羊がのっかってきて、ぎゅうぎゅうとつぶしてくる。昼寝の邪魔はいつものことだった。
人の足が横切って、ジャッジはばっと飛びついた。
(捕まえた)
にやにやしてじゃれる。
首根っこを掴まれて、持ち上げられた。いつものことに、笑いながら、両腕をぐるぐる回す。
『仕事中だ、ジャッジ。お遊びは後』
日に照らされ、生気あふれる黒目が輝く。黒髪をなびかせ、コアは笑う。
(いやだいやだ。遊ぼう、遊ぼう)
ぶんぶん両腕を振り回すと、抱っこされる。
『仕方ないやつ』
喉元をぐりぐりされて、くすぐったくて、笑ってしまう。
『やっぱり、子ども用のモンスターなんだな。子どもの時は、もっと大人にみえたのにな』
耳奥で蘇る張りのある声。うずくまったまま、両目からボロボロとジャッジの目から涙が落ちた。
(どうして、どうして、こうなった。どうして……)
胴から離れた魔神の生首が落ちてゆく。落下しながらも、憤激を湛えた両眼はフェルノを捕らえる。
冷酷な表情を浮かべるフェルノは、首を切り落とされた胴の断面を見据える。赤々しい肉と血に寸断された骨がある。
両手で柄を掴み、白刃を下に構える。真下に剣を振り下ろせば、魔神の胴とつながる首元に突き刺さった。フェルノの全身から青い炎が噴き上げた。その魔力を全力で、白刃を通じ、魔神の体内に容赦なく叩きつけた。
魔神の体内に青い炎として流入させた魔力と入れ替わるように、フェルノの脳裏に映像が刺さりこむ。
白い空間でジャッジが、青い炎に巻かれて、怯えていた。
映像をかき消そうと、フェルノは頭を振った。口元を引き結ぶフェルノの眉が苦渋で歪む。両目を閉じ、開き、すぐさま更なる魔力を込めた。
魔神の首元から、注がれた炎が溢れ、青い火柱が立った。
炎の中でフェルノの身体を細い雷が走る。炎とともに雷撃が体内に落とされると、魔神の肉体が足先から尾の先まで、痺れてビンと張りつめた。
青い炎の狭間でうずくまるジャッジを小さな手が持ち上げた。
ふわりと浮いて、抱き上げられるたジャッジは、瞬いて、両腕でごしごし目をこすった。
「君は?」
「友達だよ」
黒髪の少年は笑う。
ジャッジもつられて笑ってしまう。
「迎えに来たんだ。とても時間がかかったし、たくさんの人に迷惑をかけて、結果として利用……、協力してもらって、助けて、やっとここについた」
目を丸くするばかりのジャッジに黒髪の少年になったコアは苦笑する。
「私のことは忘れたかい、ジャッジ。コアだよ」
「コア? こあ……、コア!」
ジャッジが小首をかしぐ。
「顔が違う。背も低い。声も違う。なんで?」
「体はなくなってしまったから、譲ってもらった」
「その恰好は?」
「私は今は、魔法使いなんだよ。似合うかな。定番の黒いローブ」
「魔法使いってすごいね」
「うん。さしずめジャッジは、魔法使いの使い魔だね」
「面白いね、コア」
「ほうきにのってどこまでも飛んでいけるよ」
「旅ができるの」
「そう、どこにでもいけるし、なんにでもなれる」
「いいね。楽しいことがいっぱいだ」
ごろごろとすり寄ってくるジャッジをコアが抱きしめる。眼球だけ動かし前を見た。
青い稲妻が、ジャッジとコアに向かって迫ってくる。
「やっとだ。やっと、どこにでも行けるし、なんにでもなれる。だって、私たちはもう死んでいるのだから」
青い炎と雷が走り、二人の影を消し去った。




