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203,男と女

 アノンが目覚めると、そこは真っ黒い世界だった。横たわっている体を起こす。身体感覚は女性のままである。


(僕は死んだのか)


 アノンは、床を抑える両手で拳を作った。その拳の上に我知らず、雫が落ちる。


(男で生まれて女で死ぬってなんだよ)


 死にたいのに、死にたくない。生きたくもないけど、生きたくもある。命の捉え方が、この期に及んでぶれる。消えたいと思っていた人間の、死の間際に置かれた本心は、結局は、生きたいなのだと悟る。

 自嘲が零れた。


(どんなに勉強したって、頭で分かった気になっただけじゃダメなんだ。頭で考えても、最後の最後は、生きたい力の方が大きいものなんだな。

 リタにごめんなさいも言ってないし、ありがとうも言ってないし、大事なことを何も言ってない。父にも母にも……。ライオットにも)


 アノンは胸元に両手を寄せて拳を重ねた。


「ライオット、大丈夫かな。ちゃんと、治せたろうか」 


 思わずすべての魔力を注いでしまったアノンは、ライオットの傷がちゃんと治っているか見届けるまで意識が保てなかった。


(ライオットが死んだら嫌だった。それだけだったけど……。僕がいなくなったら、ライオットも悲しむのだろうか)


 他者の気持ちは分からない。記憶をたどれば、ライオットに意地悪ばかりしてきた。うつむくと悲しくなる。もっと優しくしておけばよかった、なんて、柄にもない気持ちがせりあがってくる。


「アノン、アノン」


 呼び声に目を見張る。届いた声音に懐かしさを覚え、顔をあげる。

 アノンは目を疑った。向こうから歩いてくるのは、薄紫の髪をゆらし、紫の瞳を輝かせる自分自身だった。

 恐れを感じたアノンは、身を引いた。


「あっ。怖がらないで、あやしい者じゃないよ」

「あやしくないことなんてあるか」


 声変わりも終えた男のアノンが苦笑する。

 涙を流す女のアノンは、座ったまま、後ずさる。


「なんで僕がいるんだ……」

「姿は同じだけど、私だよ」

「私?」


 男のアノンは自らを指さしながら笑んだ。


「【地裂貫通 グラインドコア】さ。アノンなら【贖罪無為 ゴシックペナルティ】の方が馴染むかな」

「うそだ」

「うそじゃないんだな、これが」

「ゴシックが、なんで僕の姿なのさ」


 アノンそっくりなゴシックは、座り込むアノンの前にしゃがんだ。


「私は魔物だ。魔物の核を持っている。その核の粉末を、長らくアノンに飲んでもらっていたんだ」

 

 アノンが悪辣に片口をあげた。


「そうやって、僕を魔力漬けにしたんだろ」

「そういう面もある。でもさ、アノンも分かるだろう。生まれ持った魔力だけだったら、こっちに戻ってこれたかもしれないけど、生きて帰れなかったかもしれないぐらい」


 ふふっと笑うゴシックに、アノンはむっとして喉を詰まらせる。否定はできなかった。


「私は、君に、生きててほしかった。それは、否定しないで欲しい。人間にはいろんな本心がある。本心だと語る裏にも本心がある。色んなことを思って、願って、変わりながら、積み重なって生きているんだ。

 死ぬような運命を背負わせておいてなお、アノンに生きていてほしかった。矛盾しているようで、これが両立することを否定しないで欲しい」


 アノンはゴシックを凝視する。自分と同じ姿をもって、違う人間として話すのは、なんとも言えない違和感がある。


「魔法を受け入れた初代は短命に終わった。その贖罪と受け止めてもらってもいいよ。アノンはその子孫だからか、よく似ているよね。力を限界まで使うし、その力を人のために使う場合は糸目を見ない。自分の命を顧みなさすぎだよ」


 ゴシックは苦笑する。

 

「ライオットは無事だよ、アノン」

「ライオットが……」

「彼は無事だ。安心おし」

「……良かった。本当に」


 アノンの口元が震える。そして、綻ぶ。


「アノン。君は女の子の方がいいよ」

「はっ? 僕の性別を変えたやつがそれいうのか」

「うん。その方が長生きする」

「長生きってなんだよ。男だって普通に生きるだろ。そりゃあ女より少しは短命でもさ」

「違う、違う」


 ゴシックが困り顔で、手を左右に振った。


「アノンの性格は生き急ぎすぎ。そんなに急いで力を使って、命を燃やしていたら、すぐ死んじゃうよ」

「魔力の使い過ぎってこと?」

「それだけじゃないよ。魔力を通り越して、魂まで削いじゃうタイプかな? 最低限の生命維持のために残していた魔力だって、使い切っちゃっうんだから、世話ないだろ。自分で証明してさ」


 ゴシックは、アノンの額をつんと突く。

 バツが悪そうな顔をするアノンは口をすぼめた。


「うるさいな」

「アノン。君は初代と似ている」

「それは、僕の寝物語で、ゴシックがよく話していたからだろう」

「なんだ、覚えてたんだ」


 眉を歪めてゴシックが笑う。

 無言のアノンはさらに面白くなさそうな表情になる。


「それだけじゃなくてさ。やっぱり、似ているんだ。そう思うと、やっぱり贖罪になるかな。もしくは、彼に受けた恩を彼の子孫に返すようなものだろうか。

 彼に助けてもらったのは、人間の国の人々だけでなく、私、ひいては私の故郷で生き延びた人々なのだし……」

「そんなとこまでつながっているの」

「繋がってしまうんだよ」

「途方もなくて、分からないよ」

「私も分からないさ。分からないことばかりだよ」

「なにそれ。自分でやってることが、自分で分からないみたいじゃないか」


 アノンは歪に笑う。

 ゴシックは口元をほころばす。


「アノンは女の子の方がいいよ」

「また、それ。なんでだよ」

「君は愛される方が似合うよ」

「はあ?」


 開いた口がふさがらなくなるアノン。方やゴシックは真面目な顔になる。(真面目にそんなことを言っているのか)とアノンは呆れる。


「人生は長い。三百年も人の生き死にを見ているとね、女性の方が生き上手に見えるんだよ。特に短命で終りそうなアノンは生きにくそうだ。男として短い生涯を終えるより、今度は長い人生を楽しんでほしいだけだよ」

「はあ? それ、僕に行っているの。ゴシックが最初に出会った祖先に言っているの?」

「……両方かも」

「僕と、祖先を重ねないでよ。別人なんだから」

「失敬、アノン」


 ゴシックは立ち上がる。


「そろそろだね。私はもう行くよ」

「どこに」

「行くところがあるんだ。君が僕の核の粉末を飲んでくれていたからたどり着けそうだ」

「だから、どこに」


 ゴシックは答えなかった。頭を振って髪を揺らす。すると、髪色が薄紫から黒に変わった。目を閉じて開くと、瞳も紫から黒に変化する。


「男の子のアノンは、私がもらってゆくよ」

「ゴシック」


 ゴシックが踵を返し、歩き去る。アノンはその背を見送るしかなかった。



 




 長い夢を見て後、アノンは目覚めた。視界はぼんやりとしている。聞こえても、視界にはもやがかかっている。


「アノン、アノン」

「良かった、目が覚めたのね」

 

 聞こえた声で、デイジーとテンペストだと分かった。

 腕も足も動かせない。声を出そうにも、ひゅーひゅーとした息しか漏れない。体が石のように重い。


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