201,寂しい者
ライオットは魔神の背に四つん這いで着地した。魔神の背から振り落とされないように、手にしていた槍に魔力を込め、魔神の背に突き立てる。凍結された傷口から血は漏れない。代わりに、足裏まで広がった氷が、ピキッと音を立てて、ライオットのくるぶしまで凍らせた。
片手で槍を掴み、浮いたもう片方の手で魔神の背に触れる。
(見たい)
ライオットの視界は魔神の体内を覗く。
体は、動く魔神にゆすぶられる。ライオットは歯を食いしばって、魔神内部に意識を集中した。
リオンは尾を切り落とし、魔神の背面に着地した。
ずり落ちた尾が地面に落ちる。翻ったリオンは、落下した尾に、火炎を纏う剣を突きさした。
無数に分かれる尾を、炎が駆け上る。尾の先端まで燃やし尽くす。逃れようと青空に炎に燻される尾が躍る。
あっという間に爛れた尾は、真っ黒になり、地上に叩きつけられた。
燃えカスの塵が空に混ざる。喉や目に痛みが走った。胴から切り離された尾は地上に散乱し、残り火に包まれる。
魔神の尾は再生する。出血が止まった尾の付け根から、数本の突起物が伸びて、ゆらゆらと揺らぎ始める。再生の速さは織り込み済みだ。
魔神が向きを変えた。
尾を切り離し、燃やした犯人。こみ上げる怒りを抑えた眼光は、底暗く光り、喉奥を低く鳴らせば、むき出した牙の隙間から泡が飛ぶ。
魔神の前足が、地をかいた。
魔神を逃がさない、ライオットを狙わせない。そのために、リオンは魔神に近接戦を挑む。
ライオットの視界は、魔神の体内へと潜り込む。皮下を透かし、筋肉、内臓、骨と、内部構造が剥がされていく。体中くまなく視察する。内臓内部や周辺に人間らしき影はなかった。
(フェルノ、どこにいる。魔神の体内のどこに……)
筋肉にも内臓にも骨にも、黒々しい筋が張り巡らされていた。骨の内部にまでその筋は紛れ込んでいる。
(これが魔力の源に通じるなら、その先にフェルノがいるのかもしれない)
ライオットは筋の源に向かって、奥へと辿っていく。
リオンは自ら魔神の眼前に走り出した。
剣を払えば、よける。前足と牙で応戦する。退き遅れたリオンの横腹に魔神の片手が迫る。
体内にフェルノが取り込まれ、背にはライオットがいる。枷をつけられているかのように、リオンの動きは制限されていた。
片足をあげた。魔神の片手を踏み越えて、宙を躍る。地に振り下ろされた手で踏ん張り、交差させた頭部に光る牙がリオンに向かう。
剣に即席で炎を宿らせる。むき出しの白い歯に向けて、リオンは小さな火球を放つ。
魔神の口内に飛び込んだ火球が爆ぜた。口角、牙の隙間から、黒い煙が立ち上った。
ライオットは黒い筋を辿り、奥へと進む。すり抜けるように、落ちていく感覚は、遺跡内部を覗いた経験を彷彿とさせた。
遺跡内部で魔神が潜む異空間を見たように、魔神の中に潜む異空間を探す。
遺跡の時と同じように潜っていく。
暗がりに落ちた。闇に溺れて、底に抜けるように落ちた先は真っ白な空間。
上も下もない。右も左もない。視界が浮つき、酔いそうだった。
(ここにもいない。まだ奥にいるのか。それともここが終着点か)
白い空間で溺れるように落ちて行った。
風が吹いた。視界が緑に覆われる。
森。草原。屋敷。
広がる樹海を望んだ時、ライオットの記憶がまた違う過去とつながった。
(ここは、あの時の景色だ。昼と夜の違いはあるが、この景色は、リオンを追いかけて、アノンと二人で絨毯に乗っていた時の景色だ!)
見下ろすと、屋敷がある。
(あれは、魔王城の別邸!? なんで、魔神の深部に、魔王城の別邸があるんだ!!)
ジャッジが立ち上がる。
「フェルノ。僕の家、誰もいないんだ。本当は、もっと、たくさん一緒にいたのに。誰もいなくなっちゃった」
ちょんちょんと小さく両足で跳ねながら、家へ向かう。
フェルノも立ち上がり、ジャッジの後を追う。
「みんなでここに住んでいたんだよ。一緒にご飯を食べて、遊んでたんだ」
「家族?」
「ちょっと違うかな」
「寂しいの」
「今は寂しい。心が通う誰かがいないのって、とっても寂しいよね」
フェルノはちょっとだけ切なくなる。ジャッジの、寂しい、はフェルノの幼少期に抱いた感情に近い気がした。
「そうだね、それはとても寂しいよ……」
二人はぴたりと止まった。
フェルノは見下ろし、ジャッジは見上げた。
「フェルノはゆっくりしていける」
「ごめんね。それは出来ないんだ」
「どうして」
「待っている人がいるんだ」
「僕みたいな人がいるんだね。僕も待っている。でも、誰も帰ってこない。フェルノに待っている人がいるなら、やっぱり帰らないとね。僕も待たされているのは、寂しいもの」
悲しみをこらえてジャッジが笑うものだから、フェルノも寂しくなってしまう。
(魔神は屠るしかないのだろうか)
フェルノは惑う。
(他に道はないのか。もし、魔神の本体がジャッジのような猫だったら、飼うことだってできる。殺さなくていいし、街道も守られて、人間の国も平和だ……。
異世界を滅ぼした見境なく暴れる魔神であるから、屠らねばならない……)
フェルノは膝まづいた。
「ジャッジ、君はどうしてここにいる」
ジャッジは首をかしぐ。
「ここは僕の家だよ」
「家で、家族を待っているのかい」
「そうだね」
「家族の名前は?」
「【地裂貫通 グラインドコア】。コアって呼ぶんだ」
始祖の名を聞き、やっぱりとフェルノは悲し気に笑む。
「ここにね、家族が迎えに来るのは難しいよ」
「なんで」
死んでいるから、とはフェルノも言えなかった。
「いつまでも待って、ここに、誰も、来なくても、ジャッジは待つの?」
「どうしよう? そこまで考えないや」
ジャッジは腕を組んで体を曲げる。眉間に皺を寄せて、困っているのか、悩んでいるのか、口を山のような形に変えて、口下の皮膚に縦の皺を刻む意味不明な面白い顔をする。
「今まで、誰も迎えに来なかったんだろう」
「うん」
「今日、ここに、私が来た」
「そうだね」
「私と一緒に、ここをでないか?」
ライオットの視界は徐々に下がる。まるで、リオンを見つけて、絨毯を下降した時とうり二つの景色だった。
(家の手前の芝生でリオンを見つけたんだよな)
その芝生の上に、白金の髪をした人間を見つけた。
(いた)
フェルノを発見した瞬間、ライオットは魔神から手を離した。
視界が逆回転し、肉体の視界へと返り咲く。
ジャッジが身体を横に折り曲げた。
同じ方向にフェルノも首を傾ける。
「フェルノと一緒に、ここを? どうやって」
「どうやってまでは、まだ考えてないんだけどね」
誘っておいて、深くは考えていなかった。
凶暴さがなく、巨躯であっても、愛嬌があって、面白ければ、魔物の国の一角に飼える。『魔神をペットにできるのに』。魔神と戦いながらふざけて考えた思い付きが現実化するだけなのだ。
「ここから出て、旅をしないか」
「旅。いいね。僕は、子どもと一緒に旅をするんだ」
「私は、まだとても大人とは言えないから、ちょうどいいかもね」
「おっきいけど、大人じゃないの?」
「そうだね。いろんなことが欠けたまま、体だけ大きくなってしまった。体が大きくなるだけじゃ大人になれないみたいだよ」
フェルノは視線を横に流す。
ジャッジがフェルノに抱き着いた。
「フェルノと旅するの楽しそうだね」
「旅をすると成長するよ。私は旅をしてちょっとだけ成長したと思っている。ジャッジと一緒に旅ができたら、とても楽しいだろうね」
「本当?」
「うん、きっとみんなびっくりしてくれると思う。私は人を驚かすのが好きなんだ」
「僕も、好きだ。そういう、悪戯って楽しいよね」
ジャッジがフェルノの耳もとで笑う。
フェルノの手がジャッジの背を撫でた。
フェルノはジャッジに幼少期の自分を重ねていた。とても寂しい子どもだった。その背を撫でながら、フェルノは内なる子どもに語り掛ける。
(大丈夫だよ。今は寂しくても、その寂しさは未来に必ず、埋まるから……。君の未来を生きる私は、そんなに寂しくはないんだ)




