193,猫と遊ぶ
フェルノは身を屈めて、腕で顔を覆った。バチバチと高速で飛んでくる砂粒が当たる。痛みに耐えていると、影が差し、砂粒が当たらなくなった。
薄目を開けて、前を見る。
爆風を背にして、リオンが立っていた。
「ご無事ですか」
「もちろん」
感情を見せない鉄面皮に、フェルノは笑いかける。
「ライオットが尾の付け根を凍らせに行きました。うまくいけば、間もなく動きに影響が出ると思われます」
「なるほど、よく考えたな」
「ライオットの案です」
風が収まり、二人は見上げる。
頭上で、横に振られた尾がしなり、大きく天に向かって円を描いた。真上でピタリと止まる。
風を切る音を響かせ、尾が降り降ろされた。
フェルノとリオンは、互いの後方へと飛んだ。
二人の間に、尾の束が落ちる。
地響きが鳴り、大地がひび割れ、地面がめり込んだ。
(尾を何とかしようとしていたら、日が暮れそうだな)
フェルノは魔神本体に視線を投げる。
ライオットは魔神の尾に突き立てた槍へと魔力を流し、氷結させようと試みていた。尾の付け根から、氷が張っていくものの、途中で剥がれ落ちていく。
(魔神の回復力のせいか。凍ってもすぐに溶けてしまう。魔力が足りない。消耗した上に、効果なしなんて最悪だ。畜生! 役立たずかよ、俺は!!)
魔神の回復する速度は速すぎて、ライオットの氷結魔法では、太刀打ちできない。
はらはらと氷の粒が落ちてくる。
(俺の魔力じゃダメなんだ。魔神の回復速度に劣ってしまう)
悔しくて、唇を噛んだ。
(魔力、絶対的に足りねえ。生まれ持った魔力量がたりないんだ)
生まれつきなんて、どうしようもないじゃないかと投げ出したくなった時だった。
ライオットが閃く。
(拳銃にはアノンの魔力が込められているんだよな……)
今は失われたアノンの魔力が、ライオットの拳銃には残されている。環の国に向かう最中、使ったものの、まだ数発残っている。
ライオットの魔力を注ぎ入れて、感応したナイフが、森の民の居住区上空で、大蛇を数頭凍らせた姿を思い出す。あの氷結魔法によって、サラを襲おうとした大蛇がとまった。
巨木の森に罠を仕掛け、かかった大蜥蜴を燃やし尽くした炎は、樹木や魔物以外の生物に損害を与えなかった。
(なんであんなことができるんだよ)
リオンが放った火球だとて、森を燃やしている。魔物だけを燃やし尽くす特殊な炎。そんな魔法を平然と、しかも何発も用意して、なお当たり前という顔をするアノンだった。
ライオットの手が拳銃に伸びる。
(このままだと俺、『アノンが世界を守りたいなら、俺が代わりにはたしてやる』なんて、言ったことが嘘になるだろ)
息が詰まりそうだった。足元に拳銃を放つことに純粋に、恐怖を覚える。
(ダメだ。このまま、尾を自由にさせていたら、持久戦状態で、こっちが疲弊するだけだ! このままじゃダメなんだ!!)
ライオットは大きく息を吸って、口元を引き結んだ。槍の柄をきつく握りなおす。拳銃を掴む。息を吐いて、奥歯を噛む。
槍を抜いたライオットは、魔神の傷口近くに拳銃の銃口を突きつけ、放った。ドンと響き、傷口に氷のかさぶたが盛り上がる。銃口からのぼる硝煙が立ち消える。
尾の先端にむけて、魔神の尾が凍り始めた。
魔神の尾は切り捨てても、すぐに回復する。消耗するのは人間側ばかりで、魔神の勢いは一向に衰えない。
(環の国が滅びたのも分かる気がするよ)
振り下ろされる魔神の尾に応じ続けるフェルノが、振り上げられた一瞬を見計らい、リオンに近づいた。
背を合わせ、上を見上げる。
「このままでは、回復力の高い魔神に、私たちが消耗するばかりだ」
「はい」
「ライオットも苦戦しているのかもしれないね」
傷ついた尾が、どんどんと回復していく。
「あの回復力を見ているだけで、絶望しそうだね」
フェルノは楽しそうに、ふふっと喉を鳴らした。
「俺が一人で尾を受けますか」
「うん、そうして」
「フェルノはどうするのですか」
「魔神の息の根を止める」
あまりの軽い答えに、リオンは返事に窮する。
「魔神の体内の核を探し出し粉砕する時間だけが欲しい。だから、窒息させる」
「また、それは、大きく出ますね」
「呆れた?」
「いえ……」
「このまま消耗戦を続けても、こちらが不利だ。魔神の体内には、魔物の核がある。力の源が衰えない限り、私たちは、猫に遊ばれている鼠でしかない」
「その通りですね。今の状態は戦っているように見えて、魔神に遊ばれているだけです。三日三晩この状態を続けても、魔神は現状のまま変わらない気がします」
「同感だ、リオン」
回復した魔神の尾が二人の上に落とされる。
フェルノは魔神側に跳ね飛び、走り出す。
リオンは後方に飛び、地面に着地するなり、前に踏み出す。尾に向かって剣を突きたてた。魔力が注がれた剣が燃え、刺された尾もまた燃焼する。
尾の付け根から扇状に広がる尾が凍り付いていく。ライオットは再び槍を突き立てた。僅かな魔力をそそぎながら、尾が凍る様子を見上げる。
一気に駆け上がるように氷結したものの、魔神の回復力に押されて、勢いが弱まる。
その時を見計らい、突き刺した槍の柄を支えに、しゃがむ。銃口を尾の付け根に押し当てたライオットは二発目を放った。
フェルノは魔神の顎下を目指し、走りこむ。
黒い人間が後方に退き、白い人間が前方へ踏み出したことを魔神も見ていた。
見下ろす魔神と目が合い、フェルノは微笑む。
(巨大な猫みたいだな)
のんびりした感想が浮かぶ。
(暴れないでゴロゴロ鳴いてくれたら、ペットにするのにね)
走り迫るフェルノを叩こうと、魔神が片手を振り上げた。真横に払う手のひらに、肉球が見える。
(大きくても柔らかいのかな。それとも、硬いかな)
剣を下げて走るフェルノが、腕を引く。白刃がキラリと光り、風が渦を巻いた。
風刃に切られた痛みを思い出したのか、魔神の手の動きが鈍る。
フェルノはそのまま眼前に柄を構えた。
魔神の顎下方に滑り込む。
静寂が打つ。
落ち着いている鼓動が体内をめぐる。
血液の流れをも感じ取れるのではないかと思うほど、感覚が研ぎ澄まさた。
あたかも、時がとまったかのような狭間にフェルノは堕ちた。
これは命のやり取りである。
魔神を憎くて狩るのではない。無駄な殺生を喜ぶようでは、フェルノの方が命を落とすだろう。
強靭な相手だから昂ることもない。命のやり取りを軽んじては、大けがをするのはフェルノだろう。
フェルノは、守っているのだ。
街道を。人を。国を。命を。自身の約束を。
(アストラル。私が君の判断を支持しうるのは、互いに同じ立場にいる者だからだよ)
敬意をもって、フェルノの眼光は冷徹に光る。




