192,燃える森
フェルノを叩き落そうと、魔神の片手が伸びてくる。
地面に向けて降下させていた絨毯を水平になおす。
空を遮る魔神の手により、頭上に影が落ちた。
フェルノは絨毯から飛び降りる。
振り下ろされた魔神の前足が、空中に残された絨毯を叩いた。どおおんと絨毯は叩きつけられる。
足裏をすべらせ、着地したフェルノは、眼前に落ちた魔神の片足の大きさを確認し、斜め上にそびえる魔神の顔へちらりと目を向けた。
(大きいねえ)
間近で見上げる魔神の大きさを受け止めながら、周囲を確認する。
草一つないむき出しの地表に、真っ黒く焼け死んだ木々が倒れ、所々に炎が燻っていた。
旅立った初日、山の頂上から見下ろした風景をフェルノは思い出す。
民家が並ぶ街道以外、魔物の国は森におおわれていた。魔神が立つような、むき出しの地面はなかったのだ。
四姉妹が作った魔物の箱内部で、魔王と預言者に抑え込まれた魔神が踏み散らかし、最後にフェルノが雷撃を放った慣れの果ての光景が広がる。
預言者の影も、魔王の躯もない。魔道具師も消えてしまった。
風穴を覗いた時、魔王の身体をフェルノは目撃していた。影が散る隙間に、身を裂かれた魔王が倒れていた。それがなぜ魔王と分かったのか、フェルノもよく分からない。
横たわる裂かれた巨躯、散り散りに漂う影。箱内部に残っているのは魔神だけだと奇妙な確信を得ていた。
はじめから箱内部に魔神しかいなかったのかのようであった。
(魔王様……。始祖と同様、始めから命をかけていらっしゃったか)
過ぎ去る感慨に浸る余裕はない。
魔神が絨毯を踏みつけた前足を横に払う。フェルノを叩こうと、前足が迫りくる。
フェルノは鞘に手をかけた。もう片方の手で柄を握りる。片足を後方に引き、重心を落とした。
周囲で風が舞う。鞘から抜かれる白刃は風をまき散らす。引き抜くと同時に、風刃が魔神の手と腕に放たれた。
魔神の手から、鮮血が吹き上がる。痛みに吠えた魔神が、空に手を逃した。
地面にぼたぼたと魔神の血飛沫が落ちる。
返した剣を脇に納め、フェルノは両手が柄を包む。
直立し、足を片方前に出す。膝を屈し上体を落とす。
空に血を散らす、魔神の前足めがけて、剣を振り上げた。
魔神は仰け反る。白刃から放たれた。大きな風の刃を鼻先すれすれで避ける。風刃は斜めに空を切り裂き、軌道上に漂っていた魔神の尾を数本切り落とした。
リオンの頭上を、放たれた風刃が抜けていく。数本の尾を切り裂き、青空に消えた。同時に、リオンに向いていた魔神の尾が一斉に狙いを変えた。
抜きかけた剣をリオンは納める。
リオンとライオットが、魔神の背に着地した。
顔をあげた二人が、正面で向き合う。視線を交差し、頷き合う。
リオンは頭部に、ライオットは臀部へと走り出した。
暴れる魔神の背は動く。安定しない足場であっても、二人はかまわず、すれ違った。
魔神は顔を傾げ、フェルノをぎろりと睨んだ。
(怒られちゃった)
フェルノはくすりと笑む。
(私は、度真面目な者を茶化すのが好きだよね)
魔神の頭上に、尾がしなる。鞭のような曲線を描く。
尾が落ちてくるかと思った時だった。魔神の頭部から、人影が飛び出した。
黒髪をなびかせ、翻る。剣を一振り空に薙げば、特大の火球が飛び出し、振り下ろされようとしていた尾にめがけ放たれた。
走るライオットの頭上を、尾が弧を描き、伸びていく。
気にする余裕がないライオットは、ゆらゆらと傾く魔神の背上を、転ばないように気をつけながら急いだ。
眼前のフェルノに向け、手を伸ばしながらも、足を取られた巨躯を揺らし、魔神はもがく。
うねる足場に気をつけて走り続けたライオットは、臀部の曲線までたどり着く。見下ろすと魔神の尾の付け根が見えた。
無数の尾が生えているものの、付け根は一か所。とても太く、樹齢数百年以上の幹を連想させた。
ライオットは臀部の斜面目前で足を止めた。槍を持ち直す。付け根から這いのぼる尾を見上げてから、滑るように、足を這わせ、尾の付け根に片足をつける。
両足を開き、膝を曲げる。肚に力を入れて、槍の刃を足元に突き刺した。
尾の付け根にささった槍から血が跳ねて、ライオットの衣類を汚す。数滴が、柄に、手に、頬に、散る。
槍先へ魔力を流す。尾の付け根が凍り付く。流れた血が凍りつき、表皮にレースのような模様が這う。重く白い煙がライオットの足元を包み、尾の付け根がぐるりと凍結した。
柄を尾に向けて傾ける。空に向かって扇のようにせりあがる尾の表皮を薄氷が覆い始める。
リオンは魔神の首元を蹴り上げた。広い歩幅は一歩で、後頭部を越えてゆく。
空中で、柄に手をかけた。再び魔力を剣に流し込む。
頭上では、魔神の尾が降りおろされんとしていた。リオンは、落ちる影模様と大気の揺れをもって、背後の動きを把握する。
魔神の後頭部に片足で着地した。体を捻り、空を向く。同時に剣を抜く。
刀身は炎を纏う。引き抜くだけで、火炎が溢れる。一振りすれば、渦巻く炎が火球へとまとまり、尾をめがけて放たれた。
リオンは、さらに体をねじる。魔神の眼前を落下し、着地した。
火球が放たれた直後、分かれていた尾が結束する。
尾全体が一斉に真横に反りかえる。巻き付き合いながら、一本の太い尾に変わった。軽く後方に退くなり、しなっていた尾が硬化する。
直進してきた火球の側面を、一気に振られた尾が叩いた。
火球が横に逸れ、森に落ちた。暴発による爆風が、フェルノたちを襲う。
テンペストたちも巨大な火球が、魔神の尾に払われる光景が見えていた。
暴発した火球により、楕円に森が燃え始めた。風にあおられ、火の粉が散る。
「白姉様、どうしましょう。森が燃えてしまうわ」
「姉さん、消火に走らないと……」
「ダメだよ。あそこは戦場に近すぎる。近寄っちゃだめだ」
「そうね、アノン。悔しいけど、エムもデイジーも我慢して。私たちが近づいても邪魔なだけなのよ」
巨大な魔神により、広範囲の樹海が更地になった。さらに森が失われる。
魔物の国は、この戦いでたくさんのものを失うのだとテンペストは自覚した。
アノンは森を凝視する。自分の火球なら……、と詮無いことを思いそうになり、頭を振った。
(リオンや、ライオット、フェルノだって、絶対に必死なんだ。これが街道でなく、人間の国でもないことを良かったと思わないと……)
そこまで、思考を巡らせたアノンは気づく。
(だから、魔物の国だったのか。広い樹海のど真ん中に魔神を呼び込むように仕込んでいたんだな。勇者と名付けて魔物の国へ旅立たせたのも、こちらに戻す場を魔物の国の樹海を選んだのも。最初から決まっていたのか。魔人が街道以外に居住していないことも含めて……。
はじめから決戦の地は、樹海に定めていたのか!!)




