185,始末
長剣の白刃に、始祖の手が触れる。指先が切れて、血が流れる。鮮血は零れることなく、白刃に吸い込まれた。
始祖の手が血を流しながら、剣先に伸びる。流れる血がとめどなく、したたり落ち、柄に触れる前に淡雪のように消える。
手のひらが長剣の先端に触れるいなや、ぐさりと切っ先を突き刺した。
流れる血の量が増えたが、その血は一滴も余すことなく長剣に吸い込まれていく。
同時に、柄を握るフェルノからわずかな魔力を始祖は吸い上げていた。始祖の体内にある核をフェルノの魔力により粉砕し、血と混ぜて剣へと注ぐ。一部はフェルノ自身へも注ぎ入れていた。
吸い上げた倍以上の魔力を、始祖はフェルノに供給する。故にフェルノは、自身の魔力が吸い上げられ、他者の自殺をほう助しているとは気づかない。
始祖は体内の核を、しらみつぶしに潰していった。時間がないことは分かっていた。老いたクリムゾンとアノスでは、魔神相手に長くはもたない。
始祖は笑む。
フェルノとアノンを生み出す過程における最初の生贄が始祖とともに死を選ぶのだ。因果と皮肉を感じてしまう。
力を授けた、アノンの祖先は語った。
『いいだろう。俺の子孫を、お前の思惑に加担させる。その代わり、今まさに蹂躙されようとしている私たちを守る力をくれ。なあに、二百二十年後の話だろ。俺の子孫だ。お前の思惑通りに行くわけがないはずだ』
(そうだな。本当に、その通りだな……)
始祖が旅立たねば、魔神が呼びこまれた世界は滅んでいる。始祖には、仮想世界を守るほどの余力はなかった。
クリムゾンたちの献身。アノンやフェルノたちの祖の決断。侯爵家の抵抗。すべてが、始祖の協力者だ。始祖一人ではできないことを、為してくれる。
(本望とは、こういう時のためにある言葉なのだな)
人間の国で暗躍する人々は、始祖と敵対し、対立しながらも道を開いた。
最期に始祖は、その恩恵に与る。
決して得られないと思っていた意味のある死の享受だ。
フェルノの目の前で始祖の身体が揺らいだ。半目の瞳は、とうに生気を失っていた。注がれる魔力は徐々に弱まっている。
ぐらりと始祖の身体が傾いだ時、横からライオットの腕が伸びて、始祖の身体を支えた。
「どうしますか」
「もう少し支えてくれ、ライオット。彼から注がれる魔力が尽きたら、あの椅子に座らせてほしい」
フェルノは室内に入った時に最初に始祖が座っていた椅子を顎で示した。
「ライオット、剣の鞘は僕が持つよ」
始祖の身体を支えるライオットから、アノンが鞘を受け取り、抱える。
「フェルノ、始祖って魔物だよね。きっと体内の核を破壊して魔力を注いでいるのだと思うよ。肉体だけ、残していくの」
「どうしようかな……」
人型の魔物を屠るのは、まるで殺人のようで気が引けた。フェルノには、自身の魔力を吸い上げられている自覚はなかった。
「剣があれば、俺がやります」
「いいのか、ライオット」
「かまいません。俺は騎士です。フェルノやアノンが手を汚すより先に動くべきです」
「そうか……」
そそがれる魔力がぷつりと切れる。
ライオットの腕に、死体の重みがのしかかった。
始祖の手のひらから剣を抜く。流れた血は吸収され白刃は、蠟燭の橙を照り返し光るだけだった。
ライオットが始祖の遺骸を掲げ上げ、足を引きずりながら、椅子へと運ぶ。
アノンがフェルノに鞘を渡した。
「悲しくない?」
「分かんないよ」
始祖と最も近しい関係であり、幼いころから付き合いがあったアノンをフェルノは気遣う。
呟くアノンが座らされた始祖を見つめる。
「現実感、なさすぎ……」
扉を開けて入ってきたときも、俯いていた。今もただ俯いているだけのように見えた。
「魔神の元にいかないとね」
「アノン、この部屋、先に出る?」
「どうして」
「私は、ライオットに始祖の肉体の処分を頼むよ」
「僕に見せたくないの」
「見たくないかなって思ってさ」
「いいよ。ここにいる」
「そう」
フェルノはアノンから受け取った鞘に剣を納めた。環の国から佩いてきた剣と挿げ替える。
「ライオット。これを使って」
フェルノは細身の長剣をライオットに投げた。
飛んできた剣をライオットが受け取る。
ライオットはアノンをちらりと見る。表情から心情はうかがい知れない。鞘から剣を抜いたライオットは足元に鞘を置いた。
「滅します。よろしいですか」
「かまわない」
魔物の肉体に一つでも核が残っていれば蘇る。
始祖の意向を汲めば、消滅こそが最善とフェルノは判断する。
(魔神は表に出ることはないだろう。始祖の存在だとて、表に出さないことだ)
人間の国は大きくなりすぎた。
数多の国民は魔力は持たなくても、平和を享受し生きている。今さら、魔神だ、始祖だと伝えても、彼らにとって重要なのは日常である。
人間の国が騎士や魔法使いを派遣して、魔神を屠るには国民を説得し、議会を通す必要もある。肥大し、平和を享受する人々に、挙兵の意味を問われても説明しがたいことだ。
(私やアノン、リオンやライオット。それに魔王と、少数の人選で、魔神と挑まざるえなかったのだろうな)
フェルノとアノンの目の前で、剣を握るライオットが、刃で始祖の肩に触れる。冷気が散った。重く白い煙が落ちて、ライオットと始祖の足元を包む。
始祖は肩から凍り付く。足先からつま先まで全身氷に包まれた。
室内の温度も下がる。まるで氷室に閉じ込められたかのようだ。
寒さにアノンは腕をさすった。吐く息も白くなる。
フェルノは温度など気にしていないかのように、ライオットの所業を冷徹な目で見つめていた。
凍り付いた始祖の肉体から片膝が崩れ落ちる。片腕が肩から落ち、空中でさらに割れた。床に落ちて崩れ落ちる。顔半分も崩れ、胴に亀裂が走った。始祖の身体はボロボロと崩れ落ち、原形をとどめないまま、粉々に崩れ去る。
ライオットが剣を払う。床に置いた鞘を掴み上げ、納めた。
冷気はまだ漂っている。わずかに残った凍り付いた始祖の肉体が、椅子から傾ぐ。ライオットが背を向け、フェルノに歩み寄る背後で、残った始祖の肉体が崩れ去った。
重い冷気が散り散りに消え去れば、肉片にも見えないぼろぼろに崩れ去った残骸が、椅子周りに散っていた。
ライオットがフェルノの前に立った。
「ご苦労」
フェルノは労い、ライオットは一礼する。
顔をあげたライオットがアノンに視線を向ける。冷静だった表情にすまなそうな色がつく。
寒さに肩を抱いていたアノンは、眉間に皺を寄せた。
ライオットの口が、ごめん、と動く。
「始祖との対面は終わった。ライオット、塔の最上部に戻り、魔神の元へ急ぎ引きかえそう」
踵を返したフェルノは自ら扉を開く。




