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178,謝辞

 光に包まれたフェルノは、明るいを通り越した真っ白な世界のなかで、四肢の感覚が曖昧になる。光と肉体の垣根が解けて、意識だけが浮遊しているかのようだった。


 この感覚に覚えがあるとすると、魔王城の橋から異世界へ、飛ばされた時だ。


(また、どこかへ飛ばされるのか。魔神ごと? リオンたちは……)


 周囲に意識を向けても、リオンやライオット、アノンの姿も、巨大な魔神も、どこにいるか分からなかった。時間の感覚も薄れ、永遠とも一瞬とも分からない時のなかにさ迷う。


 刹那、光のベールが剝がされた。

 肉体感覚が蘇り、視覚が解放される。風が吹きすさび、髪を上方に飛ばした。強い風音がごうごうと鳴る。風圧に背が押され、顔が上向く。視界の焦点が合うと、真っ青な空に逆光を受ける魔神が飛んでいた。


 重力に引っ張られて、地に落とされるかと思った矢先、今度は闇に包まれる。目まぐるしい変化に、呆気にとられながら、漆黒の空間に体が浮つく。


 やっとあたりに気を配る意識が戻る。

 隣には少ない光を受け、ぼんやりと浮かぶリオンがいた。互いに大まかな輪郭しかとらえられない。


 ライオットにアノンがしがみついている。今にも崩れ落ちそうな態勢をライオットを支えにかろうじて立っているかのようだ。

「アノン、アノン。アノン、どうした」

 ライオットが名を呼びかける。アノンは何も答えず、がくがくと震えている。


「アノン、ライオット」

 ただならない様子にフェルノは二人の名を呼ぶ。発声に自ら驚くフェルノは、片手を胸に当て、その手を喉まで滑らせた。


(元の声だ)


 隣にいたリオンに目を向ける。瞠目するリオンの双眸と視線は交錯した。


「その声……」

「わかるか、リオン」

「もちろんです」


 フェルノは両手をせわしなく動かし、体の隅々に触れてみる。一通り確認し、腕を下げた。

 触れて、確信する。フェルノは女性から男性に戻っていた。


「どうやら、私は元に戻ったようだね」

 降ろした両手を見て、握ったり開いたりと繰り返す。魔力の感触も、腕に感じる力も、元通りだった。


 くすりといつもの笑みを浮かべ、顔をあげる。

 異世界で最も被害を受けてきたリオンが、ほっとした表情を浮かべた。






 がくがくと震え、しがみつくアノンにライオットは名を呼びかける。今にも体からすべての力が抜けていきそうな程であり、顔面は血の気が引き蒼白だ。


「アノン、アノン」


 生気のないうつろな目でライオットを見上げたアノンが、左右に軽く頭をふる。


「アノン、どうした」


 二人は闇の中に浮かんでいることも、近くにフェルノがいることも気づかない。互いの瞳に、互いの姿だけを映す。

 アノン唇が言葉を紡ごうと戦慄き、今にも泣き出しそうな顔で瞳を潤ませる。


 すがるアノンに、ライオットはいたたまれなくなる。

 片手を持たない方の腕でアノンを抱き、アノンの頭部に頬を寄せて囁いた。


「アノン、どうした」


 アノンは唇を食む。ライオットの衣類をぎゅっと握る。


「僕は……、僕は、もう……」


 かすれた声が漏れた時、四人以外の声がかぶさってきた。





「【鬼神残響 グレネイドインフェルノ】【串刺し多面体 コズミックリベリオン】【凍結劇場 ホワイトライオット】【忌避力学 アンノウンクーデター】」


 四人は一斉に、声の方へ意識が向く。


 アノンは怯え、ライオットは声の主を睨む。

 フェルノが涼しい顔をもたげ、リオンは佩いた剣の柄に手をかけた。


 四人の視線が集まった先には魔王が立っていた。脇に魔法の絨毯を抱え、片手には小さな明滅する球体を握っている。方向感覚を失うはずの闇の中に灯る小さな光。それに照らされていたので、互いの位置を把握できていたのだと四人は理解する。


「わしは、魔王【混濁僭主 クリムゾンディシプリン】」

 

 二百年前の約束を果たした同志の子孫に、魔王は膝を折る。絨毯は膝に乗せた。

 ゆるく肘を曲げた両腕を肩の位置まで持ち上げ、頭を垂れながら、片膝をつく。

 両手を掲げ、敬意を捧げた。


 魔王の行為に四人は瞠目し、言葉を失う。






 光の柱が消失すると同時に、影の魔物と融合しているアノスが、身体を膨張させた。魔王は飛び上がり、赤黒い壁となったアノスの内部へ潜り込む。


 膨張したアノスは落下する勇者一行を飲み込んだ。


 魔神は下から吹きあげてきた赤黒い噴煙を避けようと、体をひねらせる。


 膨張した肉体を平たくおし広げたアノスは身体を屈曲させ、魔神の眼前をすり抜ける。

 身をよじる魔神を飲み込まないように避けたアノスは、さらに身を膨張させた。魔神を脅かすように、前のめりに見下ろした。


 得体のしれない噴煙に驚きながら魔神は地上へ落ちていく。轟音を響かせ魔神が樹海におり立つ。樹海の木々は、魔神の後ろ足により、まるで雑草のように踏みつけられる。

 魔神は空を見上げた。突如吹き上がった赤黒い噴煙を凝視する。


 メカルを乗せてほうきを飛ばすリキッド。スロウを乗せてほうきを飛ばすキャンドル。

 彼女たちは、地に落ちた魔神の後ろ足に向かう。


 木々の頂点すれすれをそれぞれ左右から回り込む。


 左後ろ足にメカル、右後ろ足にスロウが飛びついた。彼らは背面に隠し持っていた鎌を魔神の足に突き立てた。鎖の先は、彼らの胴に巻きついている。


 魔神は両方の足にピリッと痛みを感じた。その痛みはすぐに消える。


 魔道具師が作った鎌である。曲線の刃には麻痺の効果が込められていた。二人はそのまま魔神の足にしがみつく。


 リキッドとキャンドルは、メカルとスロウを送り届けると反転した。魔神の視界に入らないように、再び木々の頂点すれすれを飛行する。飛行速度を緩めることなく、赤黒い預言者の体内へと突入した。


 


 アノスの内部に侵入したクリムゾンはポケットから潜ませていた、明滅する球体を握った。光を放つ魔物は闇全体に光を浸透させる。


 クリムゾンは勇者一行の元へと急ぐ。

 僅かな光を頼りに四人の姿を捕らえる。


 白金の髪を揺らすフェルノと紫の髪を漂わせるアノン。

 クリムゾンの胸に郷愁が溢れる。身震いし、彼らの前に立つ。


「【鬼神残響 グレネイドインフェルノ】【串刺し多面体 コズミックリベリオン】【凍結劇場 ホワイトライオット】【忌避力学 アンノウンクーデター】」


 四人が一斉に、クリムゾンを見た。


 平定した真の覇者の瞳を持つ魔法使い。

 覇者の忠実なる忠臣の魔力を継ぐ白騎士。

 始祖の流れをくむ黒騎士。

 覇者たる兄の遺志を受け継ぐ瞳を持つ勇者。


(この四人がよく集った)

 クリムゾンは畏れ多く、打ち震える。


「わしは、魔王【混濁僭主 クリムゾンディシプリン】」


 魔王は膝を折り、絨毯を膝に乗せた。ゆるく肘を曲げた両腕を肩の位置まで持ち上げ、頭を垂れながら、片膝をつく。両手を掲げ、敬意を捧げた。


「世界を平定に導いた者の子孫たる【忌避力学 アンノウンクーデター】。道半ばで、命潰えた兄の遺志を継ぎいだ者の子孫たる【鬼神残響 グレネイドインフェルノ】。

 よくぞ、魔神を連れて、ご帰還なされた。

 これをもって、始祖との間で交わされた因縁の約束は果たされた。

 人間の国における長い平和と街道の安寧を、二百年にわたり、維持していただいたことに、心より感謝する」


 頭をあげた魔王が、ゆっくりと立ち上がった。


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