159,運命を越える時
「この世界は滅びないよ。私はアストラルと交わした約束を果たしに行く。
私の意志で交わした約束は、私の分身だ。約束を守るのは私のためでもある」
「フェルノ、私は誰かを人身御供にして、事を為したいわけではないのです」
「私は犠牲者ではないよ。今もこうして生きているし、あの程度の茶番なら児戯だ」
フェルノは自分がしてきた行い、直近ならリオンにしてきた悪戯を思い出していた。元の世界にいた頃の、作り笑いを振りまいて生きるばかりの無目的な生きざまは、アストラルとは真逆な生き方だ。
アストラルは幼少から、連綿と続く歴史を直視し、語り継がれた伝承を聞き、預言を耳にし、自覚してきた。
フェルノは生まれた時に、世界と遮断された。置かれた背景に歴史があることさえ、無自覚であった。
二人は裏と表の関係性を薄々は勘づいていても、はっきりと言葉に描けるほどに理解はしていなかった。互いに見えているのは、半分の世界の断片であり、それは完全には共有されてはいなかった。
「アストラル。私は君のために犠牲になるのではない。
さっきも言っただろう。約束は私だ。
私は、誰よりも、私自身を大事にするために、私の約束を守りに行くんだ。これは誰のためでもない、私自身のためだ」
アストラルが額に寄せていた手を降ろした。真っ直ぐに直立し、フェルノと向き合う。
「フェルノ……、あなたは自身を孤児だと称した。
その背景を生み出したのは、過去をたどれば、私たちの祖先が、この世界で為した過ちまでさかのぼります。
あなたに孤独を背負わせたのは私たちの祖先です」
「それは私たちの祖先とあなたの祖先が邂逅した頃よりも、更に過去へとさかのぼってしまうね」
フェルノはくすくすと笑った。
フェルノを孤独にした起点を捜そうとしても、数珠つなぎのように過去へ過去へとさかのぼるばかりだ。そこまで時に埋もれたものに、誰の罪か、誰が悪いかなど定めることはできない。
時のなかに、誰が悪いなど、消えてしまうのだ。決断した父、手放した母。その背景につながる人々がつながって、つながって、フェルノの孤独は生まれた。
「それは三百年よりさらに古い、失われた文明の歴史までさかのぼります。
過去に自ら滅びを呼び込んだのは私たち自身ですから」
「やはり、自らこの世界は滅んだのだね」
「はい。祖先は自らこの現状を作りました」
「魔神をこの世に産んだのは……」
「私たちの祖先であり、その技術を含め、携わった人々は三百年前に消えてしまった。私たちは、その末端の生き残りであり、この国はそんな世界の事情など知らない、僅かに残った一般人が寄り集まり、興された国です。
フェルノだけではない。この国の人々も含め、世界をまたいで、私たちが残した傷はじくじくと膿を流しながらうずいているのです」
そんなものだろうなとフェルノは思った。
アストラルの責任の重さも、フェルノの孤独も、生まれた頃から始まったわけではない。生まれる以前に紡がれ培われてきた歴史によって練られた世界の影響を受けている。
アノンも。きっと、ライオットやリオン。出会う人々すべてが、見えない過去を知らずに背負っているのだろう。
誰かのせいにしても、それは長く過去を振り返る旅となり、きっと未来へ歩む道とはつながっていないのだ。
フェルノは結論付けた。
(過去に原因を求めていては、迷宮をさ迷うばかりだ)
猜疑心の塊たる孤独を味わった過去は消えない。過去を責めても、アストラルを恨んでも、満たされることも、報われることもない。
与えらた舞台装置の上に演技者として立っていた頃と、過去のつながりを意識し、今に足場を感じたフェルノは別人だ。
世界をとらえる意識が違う。
フェルノは過去に生きているわけではない。今を生きているのだ。
「アストラルと過ごしたひと時は……」
フェルノは言葉に詰まった。アストラルと過ごした語らいの時間は何だったのだろうと振り返る。たった一瞬で、得られなかった過去を埋めた。
なぜ、そんなに強い印象が残っているのか、フェルノは自覚できなかった。
ただ、アストラルが何かを埋めてくれて、補って、満たしてくれた。
その感触だけが、魂に刻むように、残っていた。
母の愛も知らないフェルノだが、アストラルにとても大事なことを教わっていた。
世界はフェルノに孤独を与えた。
同時に、世界はアストラルを育て、フェルノにぬくもりを与えた。
孤独を知るからこそ、ぬくもりはフェルノに染みた。
二人の小さな世界の、小さな喜びが世界を映す。小さな世界が幾重にも重なりあい大きな世界を成すならば、小さな世界に映し出された、神々しい光は、すなわち時と空間を超える世界へともつながっていくだろう。
フェルノは世界の環の中の一部になり、世界と人と時間のつながりの中で、当然の約束をしただけだった。
与えてくれたアストラルに返すのではなく、彼の望みと自身の望みを掛け合わせた真ん中に、約束は花開いた。
「アストラルと過ごしたひと時が、私は、とても、とても、楽しかった」
気持ちを変換した言葉の、なんと陳腐なことか。
『楽しかった』
たった、それだけ言葉でも、その言葉の根は深くフェルノの芯に絡みつき、脈打ち、弱いフェルノを補強する。
「あの時、フェルノは私に助けを求めた。なのに、それを裏切る行為を行ったことは違いないんだ」
個人的な感情を乗り越えて、アノンと共に陥れることを選択したアストラル。その悔やみをとるにたらないとフェルノは笑む。すでに懺悔はフェルノの中で赦されていた。
「アストラルに助けを求めた時、私は何があっても後悔はしないと決めていた。立場上、意を曲げる決断を強いられることもあるだろう」
「私は……」
言い訳をしようとして、アストラルは言いよどむ。言葉をどんなに重ねようとも、後悔はぬぐえない気がした。
その心をフェルノは飄々と受け流す。
「私は、アストラルの決断を支持するよ」
第一王子として生まれたアストラルは、生まれながらにして公人だ。私人としてあれることは少ない。近い立ち位置で、王太子としての教育を授けられてきたフェルノは、彼の立場を理解している。
「だが、私は、やはり……」
「個人的感情で後悔してくれるのは嬉しいよ。悔いるなら、悔いてくれても構わない。でも、覚えておいてほしい。
私は、アストラルの決断を支持する。アストラルが正しく優先順位を定め、信念を順守したことに、私は心から敬意を抱いている」
迷いのないフェルノの言葉に、アストラルは驚く。
「だから、アストラルは悔やむこともないし、私に謝ることはないよ」
アストラルは頭を左右に振る。
「まるで……、まるで私たちは互いに同じものを別の角度で背負っている。知ることも見ることもできない歴史の残滓に翻弄されて……」
アストラルの声音は切ない。
フェルノは嫋やかに微笑する。
「生まれを恨んでも前には進めない。それさえも含めて、私は私であると言えるようにありたい。不幸を無くせば、幸せが残るかと言われたら違うと思うんだ。
不幸さえも、過去さえも、歴史さえも、それらすべてを受け入れた時に、私はもう一度、きっと、正しく、生きれるのではないかと思うんだ」
フェルノの個として花開いた約束は、世界との繋がりの流れの中で生まれた。
個人を支える約束はまた、世界との繋がりを感じさせる約束でもある。
「アストラル! これから私は約束を果たしに行く!!」
フェルノは高らかと宣言した。




