157,密命の真意
「環境影響と言いましたが」
アストラルは話し続ける。
「最も強く影響を受けるのは、世界を意識する内的な個人の世界観です。
ベースとなる自己の内面に、周囲に対する過剰な危機意識がなくてはなりません」
「アストラル。待ってくれ。
僕らは、この二年間、実行することを求められない密命を与えられていた」
「密命とは……」
「フェルノの暗殺だ!」
しばし沈黙が降りる。
「では、フェルノに、危機意識をもった世界観を育てることこそがあなたの役目だったのですね」
アストラルの声は冷淡だった。
アノンは唇を噛んだ。悔しかった。実行する気も起きない、建前だけのつまらない密命と思い込んでいたことにしてやられた。
机上で拳を握りしめる。軽んじてきたことにしてやられた悔しさに震えた。
「当初、フェルノは私たちに非常に強い警戒心を抱かれました。そこを解きほぐし、私たちの善性を疑わなくなりました。今、フェルノは私たちを信頼しております。
そこで私たちが手のひらを返すのです。
フェルノは、私たちに心を開いたことを後悔するでしょう。自身の猜疑心を捨てたことに悔やみ、憎み、怒れば、彼女の中の危機感が煽られ、魔神が動き出すはずです」
「なんでだ。なんでそこまでする必要があるの!」
食ってかかるアノンをアストラルは静かに受け止める。
「魔神もまたフェルノと同じように、魔物に影響を与える力を持っています。魔神は魔物を狂暴にさせ、人を襲うように働きかけることができるのです。
これは、ご存じなかったでしょう」
敗北感を味わうアノンは奥歯をぎりっと噛んだ。二年前から魔物が狂暴になってきたというイルバー達の声を思い出す。
「フェルノが危機感を抱くと魔物への影響が強くなるように、魔神は穏やかであればあるほど魔物への影響が強くなります。遺跡から復活した魔神はただ動かないだけで影響を与え、周囲の魔物は人々を襲うようになります。
魔神は動かなくても、人間を滅ぼす力を持っているのです」
「待ってくれ。その魔神に操られた魔物たちは……」
アノンは驚愕する。森の民の居住地が脳裏をよぎった。
「フェルノが魔神を呼び寄せるのが先か、森の民の居住地が滅びるのが先か……」
「ふざけるな!」
我慢ならなくなったアノンがアストラルに嚙みついた。
「リオンとライオットが森の民についている。二人なら、どんな魔物だって退けることができる!!」
「リオン殿は森の民の元へ残られたのですね。そして、もう一人、仲間がいらっしゃったのですね」
アノンはちっと舌打ちした。
「そうだよ。僕たちは四人でこっちに飛んできた。リオンとライオットはフェルノと僕の護衛だ。彼らは強い、必ず、森の民の人々を守る」
「それは良かった」
アストラルが笑む。
森の民が襲われると分かっていながら、それを淡々と話し、彼らにも救いがあると知れば笑む。アノンは、この第一王子の人物像を計りかねる。
「アストラルこそ、何を考えているんだ」
アストラルが切なく目を細める。
「フェルノが、環の国の中心地に行きたいとおっしゃられた」
「それは魔神が来るからだね。フェルノだって、魔神が自分に引き寄せられたらどうなるか分かっているもの」
「軟禁されていることを理解している彼女は、現状を変えることができないと分かっているのです。そのなかで、私に援助を求めた。求めても、助けてはもらえないかもしれないとわかっていらっしゃっるようだった」
アストラルが沈む。立場上、彼はフェルノを助けられない。アノンもそれは理解できた。
「だから、リオンか」
「私は環の国の者です。立場上、彼女を助けるわけにはいかないのです。
ですので、リオン殿には断罪後、フェルノ様をその会場から連れ出し、彼女が望む環の国の中心にある聖堂に向かってもらいたかったのです」
「なぜリオンに。頼まれたのはアストラルだろう」
半分分かっていながら、アノンは意地悪に問うた。
「私には合わせる顔がありません」
悲しそうにアストラルが笑む。
「それは、フェルノを騙し、裏切るから」
アノンは嘆息した。腕を組んで、天井を見つめた。
(まさか、フェルノの警戒心の高さ、疑い深さが、体質に作用しているとは思わなかったな)
魔神の性質。フェルノの性質。それがらを効果的に作用させる感情。条件を元に、アノンはフェルノの性格を振り返った。
「たぶんさ。フェルノって、分かっていると思うんだよね」
落ち着いた声音で、アノンは語る。
「アストラルには立場があるって。だから、裏切られてもさ。きっと、ああそうかって思う可能性が高いんだ」
「そうでしょうか。信頼している人間に裏切られたら、心理的痛手は大きいはずです」
「そうだね。信頼している人間に裏切られたら痛いよ。
だからさ、アストラル、僕も一枚かむ。フェルノを陥れるために、僕も協力しよう」
「えっ!?」
アストラルが仰天する。
アノンは組んでいた腕を崩し、顔近くで人差し指を立てる。眼球は斜め上の天井に流される。
「一朝一夕の付き合いの人間が裏切るなんて、生ぬるいよ。フェルノの性格なら、断罪程度ならびくともしない」
「かよわい女性ですよ。断罪だけでも十分に……」
「アストラルはフェルノのずぶとさを知らないんだ。
あいつを、本当に貶めたいなら、断罪に加えて処刑するぐらいの勢いが欲しいよ。それぐらいしないと、あんなやつ動じるわけがないんだ」
「貶めるって。君たちは、仲間ではないのか!!」
ここにきて、アストラルは声を張り上げていた。
「どうだろ。僕らって結構、繋がり薄いんだよね」
今度は、アノンが飄々と答える。
「でもきっと今は仲間だ。フェルノが弱ってアストラルに助けを求め、リオンを待っているなら、僕も十分仲間だよ。
だからこそ、裏切るだけの価値があるんじゃないか」
「……というわけでさ。僕は、フェルノを陥れる側に回ったんだ」
嬉しそうに語るアノンに、フェルノは恨めしい目をむける。
「酷いな、アノンは。あの時は、心底、絶望したよ」
「絶望してくれなくちゃ困るんだよ。早く、魔神をここまでおびき寄せたいしね。
橋の上で三人を裏切った時は、一人だったけど、今回は環の国の人々と協力して、裏切ったんだ。僕もなかなか成長しただろう」
「どういう方向に……」
「ライオットに習って、人と話し合うことを学んだんだ。一人で先走らないで、人と話し合うの。そしたらさ、前よりも上手にフェルノを陥れられたと思うんだよね」
うんうん、とアノンは満足そうに無邪気に笑う。
フェルノは、呆れた目をむける。
ご機嫌な魔法使いと釈然としない勇者は、中心部入り口へと進む自動車に並んで揺られる。
一人は心底嬉しそうな顔であり、もう一人は心底恨めしい顔をしていた。




