151,二人の聖女
扉から進み出たアノンは、王妃とアストラルの前を通り過ぎる。フェルノに一瞥をくれ、人々の目に入る立ち位置に進み出た。
「二人目の聖女、アノン様である」
王自らの紹介に、開場がどよめいた。
アノンはフェルノに背を向けて、階下に軽く挨拶をする。
フェルノはいつの間にか立ち上がっていた。宴前に催される式典の最中であるのに、今にも走り寄りたい衝動に駆られる。
背を向けていた王が、司祭側に体を傾けた。
「前へ進んでください」
隣にいたリュージョン神官が囁く。
フェルノは一歩一歩確かめながら前に進んだ。
王は聖女二人に場を譲るように後へと後退する。
アノンが、フェルノに顔を向ける。
いつもの黒いローブ姿とは違い、すっかり愛らしい女の子に仕上げられていた。
アノンは、片方の口角をあげた。
「久しぶり、フェルノ」
「無事でよかった」
見慣れた仕草のはずなのに、胸にこみ上げるものが大きく、フェルノの声が震えた。
階下から見上げている人々の視界に、薄紫の髪色をした愛らしい少女と、白金の女神のような女性が二人並び立った姿がうつる。
環の国にない色味が、二人が異世界から渡ってきた聖女であると印象付けた。
アノンが両手を広げて見せる。
「これで? 女の子の姿になってどこが無事だと言えるんだよ」
「確かに」
不満そうな表情を向けられ、フェルノは吹き出しそうになる。
アノンもふっと笑んだ。
その雰囲気が会場に伝わると、階下から拍手が自然発生的にわき上がった。
二人の視線が階下へ向き、さらに拍手は大きくなる。
拍手と喝さいを浴びる。人々に歓迎されて立つ。
フェルノは存在をないものとされてきた。学び強くなる過程で、結果は求められても、フェルノそのものが認められる経験は乏しかった。生まれて初めて浴びる好意的な注目に芯から沸き立つあたたかな感情に包まれる。
アノンはフェルノの横にぴたりと近づいた。
人々の拍手音に包まれながら、フェルノは囁く。
「ライオットはどうした」
「リオンと一緒に森の民のところにいる」
「いいのか、彼らはこちらに来なくても」
「森の民には移動手段がある。魔神と並走してこちらへ向かう手筈になっている」
フェルノはほっと安心した。あとはアノンと二人で、聖堂に向かえばいいだけだ。
「アノン、体は大丈夫か。魔法使いとしての能力は……」
「まったく使えないね」
アノンはフェルノの言葉にかぶせてきた。
「リオンの言う通りだった。フェルノもそうだろう」
「同じく私もさっぱりだ」
フェルノは手を見つめた。体に意識を向けても魔力を感じることができない。拳をにぎった。
「アノン、この式典が終わったら、中央の聖堂へ一緒に行こう。芝生まで行けば、魔力が蘇る。アノンの魔法の絨毯で飛べば聖堂まであっという間にたどり着くだろう」
希望が見えたフェルノが、小さいが、明るい声音で囁いた。
その時、ごとごとと場に不似合いな音を立てて、アノンとフェルノの背後に鏡が運ばれてきた。
((……魔王城につながる鏡か……))
振り向き鏡を見た二人は同時に同じことを思った。
鏡には何も映っていない。ただフェルノとアノンを映し出すばかりだった。
アノンは映される自身の姿に嫌気がさす。いまだに少女の姿が見慣れなかった。
周囲の人々の立ち位置が少しずつ変わっていた。
王は司祭と共に、フェルノ達が出てきた扉前までそろりと後退する。
アストラルと王妃は、その反対側の、アノンが出てきた扉前に立った。
文官長がフェルノとアノンの横に進み出て、階下に向かって、鏡を示した。
「この大鏡は、長年、私たちに神託を伝えてきました」
文官長が立った反対側の鏡裏からリュージョン神官が二人の聖女を手招きする。アノンとフェルノは、鏡の横に下がる。
文官長の話は続く。
「昨日をもって、ただの鏡となりました。
広大な砂漠に残された小さな水辺に投げ出された私たちを導いてきた鏡も役目を終えたのです」
階下の人々が、あっと驚いた表情をみせる。
「今後は、王城の中央に飾り、誰もが……」
文官長も階下の人々の表情の変化を読み取った。彼らの意識は鏡へと集中する。
アノンとフェルノの視線も鏡に誘われていく。
周囲を映しているはずの鏡面に黒い渦が巻いていた。
昨日で役目を終えたと言われた鏡が闇を映す。その様に、居合わせた人々は、奇しくも本物の神託の鏡であると確信した。上階にいた人々は、固唾を呑んで鏡の変化を見守る。
渦は中心に吸い込まれ、いくつかの蠟燭のような火が並ぶ真っ暗闇が鏡面に映し出される。
鏡面の中央に黒いローブを身につけた者が立っていた。
フェルノとアノンはその人物が、魔法使いだと看破する。
会場中がどよめく。人々は初めて見る鏡に浮かぶ人の姿に目を奪われる。
アノンが半歩後ろに後退した。その動きに、フェルノは気づかない。
ただ鏡の中にいる黒いローブ姿の男が魔法使いであり、魔物の国と人間の国は確かにつながっていたのだという、真実をフェルノに気づかせる。
ひっそりと動いたアノンが、フェルノの背に手をかけた。
背中に触れた小さな感触は、その背をぐっと前に押し出した。
思わぬ衝撃に、フェルノは前のめりになる。数歩足がすすみ、大衆と鏡の間に進み出ていた。
よろめく姿のまま、フェルノは鏡を見上げた。
真っ黒い空間、ろうそくの揺らぐ炎。円形の絨毯の上に椅子があり、魔法使いはその前に立つ。
(アノンが、私を押した)
不信が頭をもたげ、フェルノの意識に警鐘を鳴らす。
異世界に飛ばされる直前まで、日々感じていた危機感が意識の底から湧き上がってきた。
フェルノの背後には、階下が広がる。
そこには数十人の人々がいる。何が起こっているのかと彼らは上階を見上げていた。
アノンは顔を僅かに傾斜させ、ねめつける。
真顔のアノンの手のひらがフェルノに向けて開かれていた。
「あっ、アノン……」
押されたと瞬時に自覚した、フェルノの心底が凍りつく。
囁き声がフェルノの耳朶を打つ。
「よく逃げ出さなかったね」
どこから聞こえたか。フェルノは周囲を見回す。王と司祭は静観する。鏡を持つ男たちは無表情だ。背後に控える神官二人は見えない。
冷たい表情のアノン。その背後には、目を閉じる王妃と、同じように冷ややかな目をしたアストラルがいた。
驚愕のまま態勢を整えられないフェルノが再び視線を鏡に戻す。鏡の中の魔法使いはいまだしっかりと立っている。
(私は、はめられたのか!!)
足先から背筋を渡り、脳天まで、悪寒が走った。




