146,守る炎
改めて肩にのせた狙撃用散弾銃を持ち直したブルースは、居住区の際に立ち、銃口を極限まで下に向けた。照準は定めない。ただ、真下に向かって打ち込むだけでいいと単純に考えた。
アノンの武器は一点を爆破するのではなく、魔物だけ選んで一帯を燃やし尽くす。的は広範囲であり、獲物にあてる必要もない。
(魔法使いと自称するだけはあるよなあ。自分を強いと言い切るだけあるよなあ)
常軌を逸した強さも、過ぎれば現実感が無い。
(異世界から来たって言ってたよなあ。ああ、絶対、そこはおとぎの国だ。どこかの誰かが作ったほら話の世界だろうなあ)
揶揄するように口角が上がった。
(清々しいまでに俺たちを弱いと言い切るだけ、あるよなあ)
戯言を想起しながら、ブルースは引き金を引いた。
チェインは乗り捨てた単車から数歩進んだ地点で足を止めた。居住区の上に茂る枝葉から、大蛇の魔物の氷像が伸びていた。
(居住区の頭上にも魔物が来ているのか)
信じがたくとも、目の前には生々しい凍り付いた大蛇の顔があり、居住区に冷気を充満させている。
引き金を引いたブルースは、際の後ろによろめいた。硝煙が空を泳ぐ。揺らぐ煙に目を奪われたまま、しりもちをついた。
「ブルース! お前がなんでここに!!」
背後から担当者の声が響く。
息をついて、「遅いだろ」と呟いて、髪をかき上げた。額に脂汗が盛り上がっており、思うより緊張していたと気づいた。
担当者に武器を渡し、事情を説明する最中、居住区は炎に飲まれた。
チェインの目には人々がへたれ込んでいるように見えた。恐ろしい形相の大蛇は今にも表面の氷を振り払って、人々に襲い掛かるのではと思わせるほど生々しい。
その時、夕日のように世界が赤く染まった。これから昼に向かおうとしている時間帯にいったい何事だとチェインは見回す。
居住地の人々もなんだなんだとざわつき始める。
半透明な煌々とした赤さは、まるで炎の揺らぎのようだった。それなのに、熱くはない。焼けるような感覚のない炎の赤。
そんな炎は一つしか、チェインは思い描けない。
突如、大蛇が着火した。口元に小さな炎がぼっと燃えたかと思うと、炎は火花を散らしながら、大蛇の胴体を駆け上る。
(間違いない。魔物だけ燃やす、魔法使いの炎だ!)
チェインはほっとした。この炎にいれば、誰も魔物に襲われない。ただ慌てずに炎の中に佇んでいればいいのだ。
しかし、そんな事情を知らない肩を寄せ合う人々の輪から悲鳴があがった。
チェインも、炎の性質を誰も知らないことを思い出した。
炎は瞬く間に大蛇本体を火に包む。しかし、大樹から伸びる枝葉に延焼する気配はない。
チェインは走り出した。
「大丈夫。この炎は人は焼かない。床も木々も焼かないから、安心してくれ」
叫びながら、居住区の住民たちの間に飛び込んだ。
そこここで悲鳴が上がる。喧騒に飲まれチェインの言葉は人々の耳に届かない。報告を後回しにして、チェインはさらに大声で叫んだ。
「魔法使いの炎は、魔物しか燃やさない!!」
恐怖に閉ざされた心は、耳まで遠くなるようだった。それでも、人々の分け入りながらチェインは叫んだ。
「この炎は、人は燃やさない! その場でじっとして、慌てないで!! 立ち上がらないで、逃げないで。この炎が人を燃やすことはない!!」
凍った大蛇が燃えさかる。炎の中に影と消え、その影は細く縮んでいく。
人々がどよめく。自分たちももえるのではないかと恐怖する。チェインは声を張り上げて、人々を説得する。
「誰も燃えていない! この炎は人間には延焼しない!!」
喉が嗄れるほど叫んだ頃に、人々はやっと身の回りの誰一人炎に巻かれていないことに気づき始めた。
大蛇二頭が凍り付いていくなかで、ライオットもまた闇に飲みこまれた。
(影の魔物もやはりきたか)
足元がふわりと浮かぶ。立ち位置が分からなくなる感覚を覚えても、闇がはれれば蛇の胴の上にいると確信する。
程なく闇は払われて、世界は色を取り戻した。闇に閉ざされていたわずかな間に二頭の大蛇は凍り付いて、動かなくなっていた。
ライオットは凍った大蛇の頭部に飛び乗った。更に樹上へと向かおうと顔をあげた。その瞬間、下から炎が吹きあげてきた。冷気にあてられ、悪寒を感じていたライオットをあたたかく包む。髪がなびき、背を押された気がした。
大蛇の頭部を蹴ってさらに上の枝を目指した。新たな枝に飛び乗って、膝を屈して、空いた手を枝に添える。見下ろすと、蛇から炎が立ち上り始めた。
バチバチと火花が散り、肉を焼き払う匂いが漂う。時折、蛇の体内で炎が爆ぜた。核が燃やされ弾けた音だろう。
熱気に煽られる。
(あったけえ……)
アノンが残したぬくもりをしばし堪能する。大蛇以外燃える気配はない。炎がなびく様につられて葉が揺すられるぐらいだった。
(さすがアノン。魔物以外、まったく燃えていないよ)
ライオットはそこでふと気づいてしまう。まどろんでいた目が見開かれる。
(アノンは、いっつもこうやって守っていたのか?
俺たち騎士の荒っぽい魔法が自然や人を傷つけないように。
街道に住まう人々に害がないように。
そして、そこには俺も含まれていたってことか? なあ、アノン)
ぬくぬくと体の芯を温める魔力にライオットは溺れる。
(俺が邪魔だったんじゃなくて、俺さえ、傷つくのが嫌だったのか。アノンを守ろうとして、俺が傷つくのも嫌だったとか……)
片手を額に押し当てた。徹底して守ると宣言し、それがただの戯言ではない示す武器を徹夜で作り出す。矜持を無言で実行していたアノンが、知らぬ間に誰かと協力し有言で成し遂げる。
アノンの姿勢にライオットは痺れた。
(なあ、アノン。お前はなんでそんなに強いんだよ)
ライオットは自らの弁を否定するように、頭を振る。
(強いか? アノンが……。弱いところもたくさんあるだろう)
異世界に飛ばされて、女の子になったアノンは、今までの引きこもりの影響もあり、ライオットの後ろに隠れてばかりいた。強いことを証明する方法も浮かばない対話下手で、強いだけじゃだめだと気づいて泣く、ただの子どもだ。
長らくアノンを守る意味をライオットは受け止められずにいた。最強の魔法使いを守る必要などないと思っていた。
異世界に飛んで、弱さを露見させたアノンにはライオットが必要だった。泣いて露になる傲慢なだけじゃない、強者の矜持。魔物だけを屠る魔力の炎。大樹の中を冷気で満たすナイフ。すべてがアノンの心を反映している。
尊敬の念はライオットのなかで超えていく。そんな強い者の弱さを、異世界に飛んでから補完し続けられたことに胸が熱くなった。
アノンを守護する役割を与えられ、少しでもまっとうできた。誇りに胸が焼ける。
環の国へ去っていくアノンの後ろ姿が脳裏をよぎる。その横には俺じゃない者がいた。ぞわっとライオットは芯から身震いした。
(アノンの隣に立つのは、アノンを支えるのは、俺の役割だ。アノンの横に立つのは俺なんだ)
ライオットの体を炎は優しく包む。炎によって周囲はどことなく赤く映る。魔力はアノンの心を雄弁に語る。どれだけ優しくて、どれだけ大きくて、そして、その力を惜しみなく、人に差し出すか。
(アノンを守るのは俺なんだよ)
ライオットは髪をかき上げ、立ち上がった。ほとばしる魔力が、きらきらと粉雪のように舞い、炎に飲まれて溶けていく。




