145,闇を払う
ライオットは姿勢を正し、槍を薙ぎ払う。大蛇と槍先をつないでいた氷がぱりんと割れる。氷結魔法の粒子が白刃の動きにあわせて雪のように舞い散った。
居住区の住人がひしめき合う眼前で、大蛇は氷の彫像と化す。
ライオットは再び跳躍する。大蛇の頭部に飛び乗り、その斜めに固まった背を駆けのぼる。あっという間に枝葉のなかに飛び込んだ。
居住区の住人は、素早いライオットを呆然と見送った。
枝葉にからみつく凍り付いた大蛇の胴を駆け上るライオットは、口元を引き結ぶ。
(俺の魔法だけじゃない)
一瞬、大蛇の動きが止まったのは、樹上に絡みつく尾の側から凍ったからだ。幹側に残された胴体部分から別の氷結魔法が作用している。
そんな魔法がどこにあるかなど、考えるより思いつくが早い。
さっき倒した大蛇に刺し残してきたナイフが脳裏に鮮明にうかぶ。アノンの魔力が残されたナイフ以外にこんな現象を引き起こすものなどありえない。
ライオットがナイフを突き立てた蛇の胴体がある枝葉の空間に躍り出た時、そこはまるで氷の世界だった。息を吐きだせば白くなる。二頭の大蛇が幹に体を絡めてもがいていた。体はすでに氷結し、じわじわと頭部に向かって氷を伸張させている。
いらだちに血走った両眼が怒りをたたえて燃えている。半死の大蛇など、ライオットの敵ではない。
ライオットが枝葉の中に飛び込んだ時、サイクルは震えあがって腰を抜かしていた。目の前に真っ黒い煙か雲と例えられる魔物がたなびいて、身を逸らし見下してくる。
魔物に応じる訓練を経験していた親方がいなければ、サイクルなどなんの役にも立たなかっただろう。気持ちだけで、対峙できるほど巨大な魔物は安くはない。
親方は動じない。
(訓練してないやつなら、それが普通だ)
恐れを抱かない無鉄砲なバカよりずっとましだとサイクルを評価しているなど、本人は知る由もないだろう。
怖いから独走しない、恐れるから慎重になる。度胸と無鉄砲の区別もつかないあほにつける薬はない。どでかい魔物を屠っても、それは強さの証明にはならない。生き物の動きと言うのは常違うものだ。経験が役に立つこともあれば、役に立たないこともある。
臆病であることを恥じることはないのだ。
淡々と親方は待つ。戦う側に立っていた時を思い出す。静寂に包まれて、心音だけが耳奥にて響き、応するように呼吸する。
(飲み込まれた時が、チャンスなんだな。ライオット)
易々と一人で魔物と対峙できる者の弁を親方は芯から信頼していた。
【闇黒 イリュージョン】が大きな布地を広げるように、親方とサイクルを頭上を越えて、居住区を闇に飲み込んでいく。サイクルは怯えながら、親方は泰然と闇を受け入れた。
ブルースが床の際に向かおうとした時だった。
居住区が闇に飲まれた。ふわりとした感覚に襲われて、足場が失われた錯覚を覚える。
(いったいなんなんだ)
周囲を見回しても、黒々しい世界だけが広がり、何も見えない。居住区の住民がいる方角さえ、分からなくなってしまった。
親方はかすかな斜光を頼りに引き金に手をかけた。闇に覆いつくされると、足場の感覚が薄れ、体が空に浮いたような気がした。
「一、二、三、四……」
闇がすべてを覆いつくすまで、数を唱える。淡々と数字を追うリズムに呼吸を合わせた。銃口はすでに空に向かって定めている。狙撃用散弾銃の向きも、位置も見えない。ただ、振れる引き金の感触だけを頼りとする。
「……五、六、七、八……」
闇が呑み込み切った世界に視界はなかった。漆黒の世界はまるで無のようである。
「……九、十!」
引き金を引けば、どおんとくぐもった音だけが響き、次いで硝煙の香りが鼻腔を通り抜けた。
放たれた装弾がどこへ向かったかも見えない。
するとバチバチと火花が散った。光った地点に風穴が空く。中央に青空が望む。そこここで火花が散るなり風穴が空いていく。
親方とサイクルはぐるっと空を見渡した。
風穴の縁が赤く燃える。炎は風穴をおしひろげ、隣の風穴とぶつかれば、一気にその穴を広げていく。影の魔物の一部がひらひらと落ちてくる。煤のように舞う魔物の切れ端は、落ち切る前に燃え盛り、炎に飲まれ消えていく。
斑の闇を背景に、燃えながら黒い雪が落ちていく。
「なんて、きれいなんだろう」
サイクルは燃える漆黒の花吹雪に感嘆した。
二人はしっかりと床に立っていた。足は居住区の床にあり、けっして浮いてなどいなかったのだ。
ブルースは闇が払われる様に、瞠目する。
闇に一つ風穴が空いたかと思うと、あっという間に黒々しい背景に、水色のまだら模様が広がった。穴の周囲は赤く燃え、二つの穴がつながれば、より一層大きな穴へと開かれていく。
漆黒の破片は舞い落ちながら、空で着火し、落ち切る前に消えてしまう。
「すげえ」
たった一発で、闇を薙ぎ払う。魔物を屠る武器の威力にブルースは震えた。
再び居住区を床揺れがおそう。下で登れない蜥蜴が、幹に当たり散らしているとしか思えなかった。
闇が居住区を包み、急上昇していざ居住区におり立とうとしていたチェインは目前で急停車した。
(いったい、何がおこったんだ)
根本で蜥蜴が居住区の樹皮を掻き、登れない木の周囲を蜥蜴数体が取り囲む光景を目の当たりにしてきたばかりであった。
黒々しい膜内に飛び込む勇気がわかず、呆然と足止めを食らう。球体の魔物さえ動き出したなら、影の魔物が動き出していてもおかしくはない。そんな結論に至って、チェインはぞっとした。
(居住区の住人はどうなる。喰われてしまったのか)
故郷を失う恐怖に肝が冷えた瞬間、闇の幕にほころびが生じた。
赤い点が闇の幕にぽつぽつと浮かび上がる。点は一気に丸く広がり、風穴を開けた。二つの穴がぶつかれば、穴は大きく広がった。
チェインは単車を走らせた。居住区は中にあるのだ。迷ってはいられない。広がった穴にチェインは突っ込んだ。
球体の魔物さえ動き出したこと、二層目の罠さえ早々に突破されたことを報告するために飛んできたことさえも、今は不要かもしれない。すでに首領なら察知しているか、他の隊の報告者も動いているかもしれない。
刻々と変わる状況では、数分前の状況でさえ役に立たない。
短時間にこれだけの魔物と対峙したことはなかった。こんな多種類の魔物を目撃したこともなかった。
今の自分の行動に意味を見いだせないまま、居住区におり立ったチェインは単車を荒々しく乗り捨てた。




