132,宴の朝
宴が開かれる朝、フェルノは日の出前に目が覚めた。窓の向こうの空が群青色から徐々に明るくなっていく。
灰褐色の瞳に、光が差す。色味のない瞳にうっすらと青が滲んだ。
昨日一日、侍女が衣装合わせと食事を運ぶ以外、部屋を出ることなく過ごしていた。忙しかったのかアストラルが顔を出すこともない。珍しい日だったとフェルノは横になりながら振り返る。
寝床から体を起こし、窓辺へ近づく。空は雲一つない。
(魔神の復活日和だね)
環の国は周囲を砂漠に囲まれているだけあり、いつも天気がいい。影の魔物と雲以外、空を横切るものはなかった。
魔神復活に合わせて開かれる宴だ。なにかあることは確定している。どんなことに遭遇しても、驚くまいとフェルノは肝に命じていた。
(リオンはライオットとアノンに無事に会えたろうか)
力を失ったフェルノにとって、一緒に飛んできた三人だけが頼りだった。
(私の体質を知る彼らなら、最善の選択を選んでくれると信じよう)
こそばゆい気持ちが胸を過る。
あの三人を頼りにし、信じようとする日がくるなど思わなかった。暗殺という密命を隠している彼らを信用しきれない二年間が、異世界に飛ばされ、潰えた。
屋敷で暮らしていた時から、暗殺なんて建前をなぜ必要としていたのか。引っかかりはするが、フェルノはいまだ明確な理由は分からないでいた。
侍女が朝食を持って部屋にやってくる。いつもより早い時間だ。
「おはようございます。フェルノ様、今日は素晴らしい日になりますね」
侍女はそう挨拶し、朝食を並べる。
「おはよう。今日はいそがしくなるのかしら」
「もちろんでございます。各地から区長がおみえになりますもの。挨拶だけで大変ですわ」
フェルノは、ほほ笑み、侍女の喜びを眺める。彼女にとっては、数日関わった聖女が国中にお披露目される記念すべき日なのだろう。
「くちょう……、とは、国王以外に地域を治める方ですか」
「はい。環の国では、地域ごとに区分されて、代表者が定められております」
「その代表者の方々が一斉にいらっしゃるのですね」
魔神復活は一般人には知られていない。彼女の反応から、フェルノはそれだけを理解した。アストラルたちが知っているかいないかは定かではない。
侍女が用意した朝食を一人で黙々と食べ終える。
空いた食器が片づけられ、お茶で一息ついている間に、侍女が増えた。
彼女たちの手伝いを得て、身ぎれいにし、衣装を纏う。侍女たちは、この作業が好きらしい。フェルノを楽しそうに着飾っていく。
その間も、フェルノの髪を姿を容貌を、侍女達は褒めるものだから、フェルノはどこか気恥ずかしい。鏡を見て、客観的に美しいとは思うが、人から褒められるとまた違う感じがしてむずがゆかった。
侍女たちは善良で、仕事も苦にしていない。フェルノの世話を光栄とまで思っているかのようだった。そのあたたかな感触はとても心地よく、フェルノの胸にぬくもりを灯す。
ドレスを着て、鏡の前に立つ。昨日と同じ濃艶な立ち姿がうつる。この姿も一人では仕上げられない。侍女たちの丁寧な仕事の結果なのだ。
「いつも、ありがとうございます」
フェルノの口から自然と謝辞がこぼれた。
「もったいない、お言葉です」
答える侍女たちはにこにこしている。この数日、彼女たちの献身もまた、フェルノの警戒心を解いてきた。優しい表情、丁寧な仕事、一つ一つが暖かく、環の国の良さを感じさせてくれた。
侍女が鏡の前に立つフェルノに椅子を運んでくる。運ばれてきた椅子に座ると、背後に立った侍女が髪を梳きはじめた。
魔神復活に加えて、一日中、女性として過ごす。多くの人の前に出ることになれば、より気をつけねばならないだろう。
(さすがに緊張するよね)
鏡に映るフェルノの表情が真顔になる。
魔神の動向は知れない。日は昇った。目覚めるているのか、いないのか。砂漠まで到達したのか、まだ森を徘徊しているのか。王城内にいては気づけない。
背筋を伸ばし、真顔を直視する。侍女は微笑を浮かべながら、フェルノの髪を梳き続ける。
ドレスの刺繍は美しいものの、煌めく宝石は見当たらない。おそらくこの国には宝石がない。軽い白い艶のある石があしらわれた髪飾りなどもあるが、あれは陶器の一種だ。採寸の技術はあっても、染め物の技術は発達していない。
実用的な自動車はあり、上下水道や道路などの整備は行われている。必要な技術は、実生活の豊かさに偏り、まだまだ服飾や宝飾品などの贅沢品にまで伸びていないのだろう。
自動車や道路、高い建物、望遠鏡を鑑みれば、滅びる前の文化水準は高かったはずだ。この国は、ないなかでささやかに工夫を凝らして、文化を保っている。失われる過去を追いかけながら、ここまできて、まだまだ滅びる前の水準には及ばない。これが環の国なのだろう。
(そもそも魔神誕生前に、この世界ではなにがあったんだ)
梳かれた髪は艶を帯びる。何も添えられなくても、白金の髪はそれだけで真珠のような光を放つ。
フェルノの考え事を止めるように扉のノック音が響いた。
「いかがいたしますか、フェルノ様。着替え途中です。遠慮してもらいますか」
「かまいませんわ。もう、終わるでしょう」
フェルノの答えに、別の次女が扉を開いた。
鏡越しに入室してくる神官二人を見る。初日に挨拶した二人だとフェルノは思い出す。
髪を梳き終わった侍女が椅子をひく。フェルノは立ち上がり、くるりと振り向いた。
「おはようございます。聖女フェルノ様」
二人は丁寧に頭を垂れる。
二人とも初日に、フェルノの召喚になにか懸念を感じていた者達だった。今はそのような気配を感じない。とても丁寧な挨拶だ。
「おはようごいます。初日にご挨拶して以来ですわね。神官様方」
フェルノは、無邪気か無垢に見えるだろうと思う微笑を浮かべた。思惑通り、その笑顔に邪気は醸されない。
「お久しゅうございます、聖女フェルノ様。私は神官【浮遊執行官 ホーンテッドフロート】。隣におりますのは神官【推定灰燼 イリュージョンコラプション】です。
私はホーンテッド、こちらはリュージョンとお呼びください。
今日は、私どもがフェルノ様の案内役をさせていただきます。急な宴になります、進行や挨拶にて何事もないようしっかりとフォローさせていただきます」
「ありがとうございます。ホーンテッド神官様、リュージョン神官様。このような場は不慣れなため、ご迷惑をおかけするかもしれません。
どうぞ、よろしくお願いいたします」




