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123、些細な誤算

「アノン、もうすぐ、環の国の渡し場につくぞ」


 イルバーの声に、アノンは目を覚ます。

 その場で瞬きし、ふわっとあくびが出た。手足にぐっと力を入れて、ピンと伸ばしてから緩める。それから、体を起こした。


 薄らぼんやりする意識を覚醒させるために、頭部を振った。硬くなった体をほぐすために、腕を上に伸ばし、身を少し逸らした。だらんと腕を勢いよく降ろして、前を向く。


 車両はただひたすら砂地を走っている。前方にあるはずの森は、太い地平線として黒く沈んでいた。右を見て、左を見る。砂地と空の境界線が細い。彼方まで砂だけが広がっているのだと物語る。

 あくびをかみ殺しながら、訊ねた。


「もう到着するの」

「ああ、そろそろ、旋回するから気をつけろよ」

「旋回?」

 

 アノンがオウム返しすると同時に、車両が振れた。アノンはバランスを崩し、両手を荷台につけて、体を支える。

 車両は砂を跳ね上げて、向きを変えていく。地平線に太く滲んだ森が見えなくなり、砂と空を分ける細い線が横切っていった。

 

 アノンの視界の端に環の国が見えた。からし色の砂に草地が混ざる。環の国と砂漠の境界線は想像していたよりくっきりしていた。


 ぐんと車両が止まり、僅かに前進する。その勢いに揺さぶられて、アノンは目をつぶった。つづいて、ゆっくりと車両が動き始める。

 今まで動いていた方向とは違う動きに驚き、アノンは恐る恐る目を開いた。


 環の国側に備えられた渡し場が見えた。建物と木の板を敷き詰めた外床があり、そこから細く長い木の通路が伸びている。木の板で組まれた細道に沿って、車両は後ろに進む。


 渡し場には窓が大きい、二階建ての建物が併設されていた。

 窓が開き、人が出てくる。家の中に向かって呼び掛ける動作後、木の板が引かれた外床に年配の男性が出てきて、腕を組んだ。話に聞いているマートムさんだとアノンも気づく。


 渡し場に車両が止まった瞬間、アノンの体から力が抜けた。がくんと体が重くなる。思わず、顔が苦悶で歪む。

 荷台に両手をついていて助かった。なければ、車両の停車の弾みさえ支えきれず、体のバランスを崩し、横転していたかもしれない。


 重い体は動くことを億劫に感じさせた。重々しさに、とても走ることなどできない。

 体の芯を保つ支柱を失い、身体的な自由が失われた。

 自嘲の笑みが浮かぶ。


「ここまでだとは思わなかったな……」


 リオンから聞いていたため、自覚はしていても、この違和感は、さすがに体感しなくては理解できなかった。


(フェルノはよく、この状態をすぐに受け入れたよ)


 騎士のように体を鍛えていたとはいえ、魔法使い並みに魔力を保有するフェルノも、身体保持に魔力を利用していたはずだ。当たり前にできたことが突然できなくなる。

 フェルノだとて、そんな状況に、悩まないとは思えなかった。


 イルバーとデザイアが、荷台から通路に軽やかにおり立った。運転席から、運転手のドミックと見習いのコラックも降りてくる。


 アノンも二人にならい、荷台の端まで進んだ。いつもなら、軽く降りられる高さだ。なのに、アノンはその高さに恐怖を覚える。


 体が動かなかった。

 魔力を使えるアノンなら、難なく飛び降りられる、なのに今は、飛び降りるな、と体が警告を出す。

 アノンは荷台の上で拳を握った。


「イルバー」


 不本意など言っていられない。

 声をかけられ、イルバーが振り向いた。遺跡を軽やかに登りきったアノンなら、こんな高さすぐに降りると踏んでいたのだろう。アノンを見て、不思議そうな表情を浮かべた。


「僕は降りれない。悪いけど、降ろしてほしい」


 そう言って、アノンはイルバーに向けて、両手を広げた。

 イルバーはアノンが降りれないと言うことがピンとこない様子だ。

 アノンは黙って腕を広げて、唇を噛む。


「ほら、女の子が降ろしてと言っているぞ」


 イルバーの後ろから、年配の男性がはっぱをかける。

 その声にはっとしたイルバーが、荷台の端に足を出して座るアノンに寄った。


「降りれないのか」

「うん、無理。魔力が抑えられて、体の自由がきかない」


 イルバーは、ため息をつく。両腕を伸ばして、アノンの脇を持ち上げた。木に登って降りれなくなった小さな子供のように、アノンはイルバーに降ろしてもらう。


「ありがとう。助かったよ」

「どういたしまして……」


 アノンは、床と荷台の高さを見比べる。

(こんな高さも飛べないほどか)

 小さな絶望を感じた。


 おり立った外床でアノンは足踏みを繰り返す。足の上下運動は問題ない。歩くことはできた。


 渡し場につながる森の民の建物に入り、居室にてアノンはマートムとヴァニスに挨拶をする。二人は珍しい髪色に驚いた。まじまじと見られながら、異世界からきたと伝える。恐らく、環の国で召喚するはずの聖女がなぜか森に落ちてきたと説明すると、二人とも納得していた。


 詳細はリオンが出立前に確認し合っており、話は早かった。


 明日の宴は何がおこるか分からない。参加するのは、イルバーとデザイア、そしてアノンに譲ってほしいと伝える。魔神が復活すれば、森の民の渡し場から、まっすぐに環の国に迫る。環の国側の渡し場まで魔神が迫る可能性が高く、二人もなるべく遠くに一時避難するように依頼した。


 話しが一段落すると、ヴァニスがずいっとアノンに迫ってきた。


「ねえ、アノンさん。あなた、女の子なのに、なんて格好をしているの」

「えっ、ああ、これは……、魔法使いの正装なんです」


 着なれた黒いローブはアノンにとって着ているだけで気持ちを落ち着かせる。見た目だけでも、元のままの自分でいたかった。


「魔法使いね……いいわ。それはいいの、アノンさん」

「はい」


 それなりの年齢の女性に迫られる経験などないアノンは、ヴァニスの押しに圧倒される。


「私が言いたいのは、明日の宴はどのような恰好でいかれるつもりなの、ってことよ」

「どのような恰好って……」


 そこまで言われて、アノンはそんなこと考えもしていなかったと自覚する。

 黙ったアノンの両肩に、ヴァニスは両手をのせた。見上げた両目の輝きに、アノンは不安しか感じられない。表情は今日一番、動揺していた。


「大丈夫よ。アノンさん、お衣装ぐらいすぐに用意できますから。そうよね」


 ヴァニスに同意を求められた男たちは苦笑する。


「……ということは、私たちもアノンさんと同様に衣装がいりますね」

「もし魔神が襲ってきたら、一回しか使えない衣装を用意するのか。もったいないな。このままの姿で行けたらいいのに……」


 デザイアとイルバーが唸る。


「こういう事態だから、出してくれるだろ」

「戦闘服扱いで、経費で落ちますかね」


 マートムも考える。


「状況が状況だしな。貸衣装という訳にもいかないな。魔神復活なんて巻き込まれたんだ。用意するしかないな。

 午後は衣装など買いに、街へいくか」

「そうよ、そうしましょう」


 すかさず、ヴァニスが意気揚々と頷く。


(しまった! 森の民の居住地とフェルノのことしか考えてなかった!!)


 ルンルンと花を飛ばす勢いのヴァニスの横で、アノンは真っ青になっていた。


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