118、背反の二人と魔法使いの気づき
星空を望む小さなテントの中で、アストラルと向き合うフェルノの表情は穏やかだ。
「この国の人々を私のせいで傷つけたくないだけです。他意はないのです。
アストラルはこの国の人間であり、立場もありましょう。優先することも多いとわかっております」
言ってみただけだよ、という笑みをフェルノは浮かべる。
アストラルはうつむき、拳を膝の上で握った。眉が中央により、彼らしからぬ顔となる。
悩ませる原因を作ったことをフェルノは申し訳なく感じた。
「フェルノ。あなたは、どこまで知っている」
「同じ問いを返そう。アストラル、君はどこまで知っている」
アストラルは、あぐらをかいた両の膝上で、二つ拳を作り、握りしめた。頭を振れば、黒髪が揺れる。肩と拳が小刻みに震えていた。
フェルノは、悩んでくれるだけで嬉しかった。つらさと不安を彼に預けられたような気さえした。
(強さをたてに一人で背負っても、それはただの強がりだったのだろうね)
身が軽くなる感覚とともに、フェルノは微笑を浮かべた。
「互いに秘密は多いでしょう。今の私に縛りはなくとも、私自身が明かすことを恐れています。アストラル、君はこの国の人間であり、私は異邦人だ。私に後ろ盾はないのです。脆弱な存在のまま、ここにいると自覚はしています」
「フェルノ……」
「アストラルは自身の立場を優先してもらってかまいません。私にはまだ、細い糸でも、希望がありますから……」
フェルノの脳裏に三人の姿が映る。
リオン、ライオット、アノン。こんなにも彼らの存在を頼りにする日がくるなど思わなかった。異世界へ飛ばされて、がらっと変わった。彼らとの関係性が変わったというより、フェルノの彼らに対するとらえ方が変わったのだ。
(異世界に飛ばされて、良かったことの一つだろうな)
魔力が封じられ、体が弱くなり、塞がれた果てに行きついた。
信じられる者がいるだけで、心底が潤う。アストラルに、助けてと言えた変化さえももたらして……。
アストラルが顔をあげた。
「……フェルノ。私は……」
「いいよ、アストラル。私のことは、気にしないでくれて」
「……フェルノ。私は、私にも、あなたの言う通り、立場がある」
「わかっていますよ」
フェルノは微笑する。
「だが……、その役目をまっとうする最中も、あなたの希望は胸に刻んでおきます」
「と、言いますと……」
「環の国の中心である聖堂に、宴の当日行きたいと考えているフェルノの希望を、私は忘れずに、その日を過ごすでしょう」
「アストラル」
「私が約束できることは、これだけです」
アストラルは苦渋の表情を浮かべながら、言葉を選んだ。
フェルノには、その答えだけで十分だった。
「申し訳ない。フェルノ……」
「なにも謝ることはありません。十分すぎる言葉です」
フェルノは手を伸ばした。いまだ、握られている拳一つに手を添えた。
「私とあなたは、良い友達です」
ほほ笑むフェルノに少し驚き、悲しみが瞳を過っても、アストラルはまた、いつもの穏やかな表情へと返っていく。
「星を見ましょう。明日はもう時間がとれません」
「そうですね」
フェルノとアストラルは、並んで寝そべって、星を見つつ、他愛無い話に花を咲かせた。
フェルノがアストラルと星を見ている頃、アノンは同じ空の下で武器を手にしていた。
それぞれの使い道を考えながら、やみくもに魔術具にするのではなく、用途に合わせて術を施し、必要分の魔力を込める。その行為を繰り返していた。
長時間集中したせいで、肩が重くなる。アノンは手作業を止めて、肩を上下に動かした。
アノンの集中が切れたことを見計らっていたのか、サイクルが「アノンさん」と声をかけてきた。顔をあげると、カップを手にしていた。
「アノンさん、お茶飲みませんか?」
サイクルとカップをアノンは交互に見つめる。
「どうぞ」
もう一度、彼はカップを前に出した。
「あっ……ありがとう」
アノンは道具を置き、カップを受け取った。
まじまじとカップにそそがれたお茶に視線を落とす。星灯りといくつかのランタンに照らされて、お茶は黄金色に輝いていた。
人の好意を素直に受け取っている自分にアノンは驚いていた。必要以上に寄せ付けないようにしていたから、好意を向けられる機会も少ない。
その中で、なにかと手を出してきた者を、二年間もアノンは無下にしてきた。
(人を助けてしまう性分なんて、損な性分だと思っていた)
その彼に、どれだけ助けられただろう。
思い返せば、彼がいなければ何もできなかった。彼は上手に、アノンをフォローし、ここまで連れてきてくれた。
狭い世界で最強だと誇っていても、一歩外に出れば知らないことも多いし、誰かに助けてもらわなくてはいけないこともある。
そんな、当たり前のことをアノンは知らなかった。
「どうしたの、アノンさん」
サイクルに声をかけられ、カップに落としていた視線をあげた。
サイクルが屈託なく笑った。アノンもつられるように笑う。うまく笑えているかは分からなかった。
(こういう時は、なんと言えばいい)
ありがとう。
言葉は知っている。日常的にも使っていたはずだ。
なのに、こんなにも、感謝とは、わき上がってくるものなのか。こみ上げるようにわいてくるものなのか。
アノンは戸惑う。
言葉と気持ちが合致する。そんな感覚は始めてだった。
「……ありがとう……」
「どういたしまして」
言葉とは、気持ちを伝えるためにもあるのだ、とアノンは悟った。
カップに口をつけると、お茶はすでに生ぬるくなっていた。サイクルは、アノンの手作業が一区切りつくまで、どれだけ待っていたのだろう。
含んだお茶を飲み下す。
異世界に来て、今まで、一番、あしらってきたライオット。
この世界に一人でほおり投げては、きっとこんな風にうまくは行かなかった。
何度も助けられてきた。彼がいなかったら、ここまでたどり着けなかっただろう。
ありがとうと、言うべきだろうか。
それだけではないと、アノンは思う。
(ありがとうとごめんなさいだ)
苦笑した。幼児かと自嘲する。難しい魔法術の書物を読む以前の問題だ。
ここまで、一緒にいてくれた人に感謝する、そんなあり前のことを知らないままいた。
(明日、ライオットに会ったら……)
きっと出かける前に、会いに来てくれる。見送りには来てくれると思うと、アノンの口元が、ほころんだ。
「どうしたの、アノンさん」
「お茶が美味しいなと思っただけだよ」




