116、小さな不満
ライオットは、アノンがぼろぼろと涙をこぼす様を見つめた。
ただ、ここにいることしか、選べなかった。ひとしきり、アノンが感情を発散するまで静かに待つ。
アノンが目を閉じ、声を殺しながら、手の甲で目元をぬぐった。右に左に目を交互にぬぐっても、あふれるものはそう簡単に止まらない。
「リタって?」
その名を前に聞いたことがあるとライオットは記憶をたどる。
「子どもの僕の、専属の魔術師だよ。伯爵家の長女、エクリプスの、お姉さんだ」
言葉を区切りながらアノンは呟く。
魔王城の別邸に泊まった時にアノンがこぼした、こじらせた初恋相手の名前か、とライオットは思い出す。
アノンが顔をあげて、空に向かって長い息を吐いた。手のひらで目元をぬぐう。
「死んではいなんだな」
「いない。生きている。でも、魔術師としては再起不能だ。足だけならまだしも、手を失った。道具を扱えない。魔術師は手作業が多い」
「そうか……」
淡々とした問いに答えているうちに、アノンの気も落ち着いてきた。
「……食べるか?」
ライオットの問いに、アノンは静かに頷いた。
「自分で食べれるか」
もう一度、アノンは頷く。
匙とおわんを受け取って、アノンはゆっくりと食べ始める。
ライオットはアノンが食べ終わるまで見守っていた。
料理をたいらげたアノンは、匙をおぼんにのせた。
「サラに、美味しかったって伝えといて……」
アノンが、無表情で呟く。
食べ終えたことにほっとしたライオットはおぼんを持ち、立ち上がる。手のかかる弟の世話をしている気分だった。
「根詰めるなよ」
去り際にかけた声は、武器を手にして作業を開始したアノンには届かなかった。
顔をあげると、遠目にこちらを見ている人がいる。イルバーが立っており、親方とサイクルが並ぶ。ライオットは三人に近寄った。
「イルバー、いつからそこにいたんだ」
「少し前だよ。サラが遅いから、見に行けと言うからな……」
仕方なくと、イルバーは苦笑する。
「ライオット、食べて良かったな」
親方が声をかけてきた。
「はい。やっぱり、お腹は空いていたんですよ」
その時、サイクルが瞬きもせずに、じっとライオットを見ていた。
その目の輝きにたじろぐ、なぜそんな目で見られているのか理解できなかった。
「すごかったですね」
サイクルのつぶやきに、ライオットは再び嫌な予感に襲われる。
「なにが……」
かすれた声で応じながら、頬が引きつった。
サイクルは胸に手を当てて目を閉じる。
「女の子に食べさせてあげるところなんて、初めて見ました。見ているこっちまで、ドキドキするじゃないですかあ~」
「はっ?」
ライオットは硬直する。
「ばかやろ。ああいうのは見なかったことにしとくんだよ」
「てっ!」
親方がごんとサイクルの頭を叩く。
弾みで声が出たサイクルは叩かれた部位を両手で覆った。
「じゃあな、ライオット。よく休めよ。
サイクル、行くぞ」
「じゃあ、ライオットさん、イルバーさん。おやすみなさい」
からかうような目を向けて、ふんと親方は再び高炉の方へ向かっていく。
サイクルは手を振り、親方を追いかけていった。
ライオットは二人の背を呆然と見送った。
「戻ろうか。おぼん、持ってやるから」
おぼんを受け取ろうとするイルバーも何とも言えないという顔である。おぼんにイルバーの手がかかり、ライオットは手放した。
「行こう」
イルバーが歩き出す。その背を見ながら、ライオットは手のひらを額に押し当てた。
(うわあぁ……、またかよ。だからって、あの場合は、どうしたらいいというんだ)
ライオットは肩を落とす。力なく、重い足取りでイルバーを追った。
先日まで、アノンと寝ていた客間にリオンとともにライオットはいる。サラにアノンの伝言を伝え、風呂に入って、寝る用意を済ませた。
リオンは横になり、肘を枕にライオットと向き合う。
ライオットは寝床の上で胡坐をかいている。
やっと気安く喋れる相手を得たライオットは、アノンとの今までをかいつまんでリオンに語った。
「そっちも色々あるな」
「そうそう、俺も誤解されてばっかでつらかったよ。さっきも鍛冶場でさ。アノンが食べないから、ちょっと食べさせてやったら、誤解されてさあ。ほんと、つらいよ。ここの人達から見たら、アノンは最初から女の子だからさ、俺の言い分なんて信ぴょう性ゼロだ」
苦虫を噛みつぶしたような顔を作り、ライオットはため息をついた。
「そうだろうな」
「だから、いつも変なところで誤解されてさ。言い訳もできないんだ。
男だって言っても、何言ってるんだって言われるだろ。
下手に言い訳しても、面白がられたり、からかわれたりする可能性が高くて……。それこそ、俺の方が何言っているんだってところだろ」
リオンの表情は変化しない。こんな話は驚くほどのことではないのかとライオットは疑問をおぼえる。
「……なあ、リオンとフェルノはどうだったんだ? フェルノは聖女なんだろう。召喚されてどうしたんだよ」
「召喚された瞬間は驚いたよ。まるで妹姫そっくりだった」
「フレイ姫に?」
「声は瓜二つで、顔もそっくりだから、似せてほほ笑まれたら、さらにそっくりで、度肝を抜かれた」
「それはまた……」
ライオットは想像するだけで顔が引きつった。
「でもな、少ししたら、違う人間だと理解できたよ。身長と髪型が違うし、何より中身が違うから表情が別人だ」
「中身が違うと面に出てくる印象も違うのか」
「違うな。顔がそっくりぐらいだと、内面だけで十分、別人だよ。姿かたちが似てても、結局は人間は中身なんだろう」
「フェルノは動転しなかったのか。アノンはけっこう大変だったぞ」
「フェルノは順応してたな」
「順応?」
「妹姫の真似でもしてたんじゃないのか、仕草を似せていたと思う。身近にモデルがいたから、始めからお姫様のように立ち振る舞えたんだ。女言葉が異常にうまかった」
引きつった顔のまま、ライオットは硬化する。リオンは涼しい顔のままだ。
「すげえな」
「気持ち悪かったぞ。相手はフェルノが女で、聖女であって当然だから、すんなり受け入れていたけどな。俺の方としては、最悪だ」
「よく耐えれたな」
「まあな」
「俺の方もさ。アノンだって、俺の後ろに隠れて、全然ダメ。かと思えば、いきなり本音を言っちゃうし、フォローするの大変でさ」
「徐々に誤解されていったんだろ」
「そうそうそう。俺、一応アノンの護衛だろ。しゃんとしないとって頑張ったら、全部、裏目だよ」
「大変だったな」
リオンは穏やかにねぎらう。
やっと話が通じた喜びが、ライオットの胸にあふれた。
「本当に、俺、誤解ばっかでさあ……。なんでこうなんの、って感じだったんだよ~」
内心(あれなら、誤解もされるだろうな)なんてリオンが考えていることなど、ライオットは知る由もない。




