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111,助けて

 しゃがみ込みフェルノはテントへ入る。昨日と同じ支柱が立ち、上方を見上げれば、ランタンがかかっている。オレンジの光に彩られた空間に、入り込んだ一瞬、フェルノは幼い男の子に戻った気がした。


 昨日と同じ、夢を見せてくれる空間だ。

 言葉をおぼえたばかりの子どもが好みそうな童話にでてくる秘密基地に迷い込む幻に、胸が躍った。


 幼い頃に得られなかった思い出を、大人になった今、埋めるように体験する。失った時間を思えば虚しくもあるが、そこを埋めると思えば嬉しかった。


 すでにクッションもいくつか用意されている。転がっているそれを座ったフェルノは、膝にのせて抱いた。肩にかけていたストールがずれたので引き上げる。


 アストラルがテントに入る。入り口付近で四つん這いになり、横に置いていた望遠鏡を、昨日のように設置していく。筒を支える足の具合を確かめて、準備し終えたアストラルが、四つん這いのまま二歩程後退し、あぐらをかいて座りなおした。

 フェルノと向き合うアストラルは、いつもよりくつろいでいるように見えた。


「フェルノ、準備出来ましたよ」

 アストラルが子どものように笑った。彼もまた少年に戻っているかのようで、フェルノは目を丸くする。


「どうされました」

「いえ、なんだか……」


 アストラルが怪訝な顔をし、フェルノは言いよどむ。


「なんだか」

 アストラルにオウム返しに促され、フェルノは吹っ切るように笑んだ。


「子どもに、戻った気分になります」

「私も、そんな気分です。一緒ですね」


 アストラルは、小さく声をあげて笑った。

 フェルノも笑う。

 呼応するように穏やかに笑いあう。


 穏やかな交流にフェルノの心はいまだ戸惑っていた。命を狙う人がいない。環の国にいれば魔物も襲ってこない。強さという鎧を持って身を守る必要がない。

 猜疑心は薄れ、胸の奥につかえるしこりが溶けていく。


 新しい世界の扉が開き、そこから流れてくる花咲くような芳香につつまれる。


 男のフェルノならこんな花薫る世界を否定したかもしれない。刺激を求め殺伐とした世界に戻っていたかもしれない。殺伐さこそ慣れ親しんだ感触であり、世界のすべてだった。


 男としての支えを失い、道が閉ざされた女のフェルノだから前に進まなくてはいけなかった。

 世界との繋がり方を模索せざるを得ない女のフェルノだから、アストラルと過ごすささやかなひと時から零れ落ちる、星屑がきらめくような時間に酔うことができた。

 

 その包まれる温もりは、女のフェルノを通して、男のフェルノへも浸透してゆく。

 感謝ととれるような感情が身体の奥から泉のようにあふれてきた。


「アストラル」

「なんでしょうか、フェルノ」

「このようなひとときを、ありがとうございます。私には与えるものなどなにもなく、ただこうやって、ありがとうという言葉しか……、今の私は持っていません」


 生まれたばかりの初々しい気持ちをつたない言葉に乗せて、フェルノは伝える。

 アストラルは穏やかに受け止める。微笑は美しく、世界を包みこむような深さを感じさせた。


「いいのですよ、フェルノ。それだけで十分です。私は、ただ、同じ時間を過ごしたいだけですから……」


 フェルノは、目を閉じた。眼球の表面がしっとりしていたことに閉じて気づく。

 目を開けば、ここに座るのは、ただのフェルノだ。


「ありがとう。アストラル」


 真顔のフェルノに、アストラルは微笑みかける


「このテントは、過去の私の思い出の中でも、美しい思い出の一つです。だから、私のわがままで、フェルノと一緒に過ごしたかったんです」

「おかげで、まるで子どもに戻った気になれたよ」


 改めて向き合うと、アストラルが照れくさそうにはにかむ。

 フェルノまでどんな表情を作ったらいいか困ってしまった。


 時間は刻々と過ぎていき、明日になり、明後日になる。美しい時間は有限であり、どんなに止めたいと願っても、星はまわり、日は昇る。


 目を背けることはできない。

 魔神が復活する。

 宴がある当日、森の奥にある遺跡から、かつてこの世界を滅ぼしたと言われる魔物が蘇るのだ。

 唇をフェルノは引き結んだ。


 フェルノは、アストラルを信じたい、頼りたいと思いながらも、同時にわいてくる不振や疑い、不安にもまれる。

 アストラルに裏切られても、フェルノは耐えれるだろうか。裏切られても、信じたことを後悔しないだろうか。そんな疑念が渦巻いた。


 リオンとライオット、アノンに対してでさえ、今、初めて信じて待つ。

 出会って数日のアストラルをフェルノは信じきれるものだろうか。

 裏切られてもそれを自分のせいとして、彼を恨まずにいられるだろうか。

 常に予防線を張り続けてきたフェルノは分からなかった。ただ、昨日交わした約束だけが胸を打つ。


「私は、この世界を守りたい。アストラルと、その点は、同じだろうか」


 フェルノは身を乗り出した。あぐらをかくアストラルが少し仰け反る。追うように、床に手をつけ、もう片方の手でストールを胸元でつかみ、フェルノはアストラルを覗き込んだ。


「アストラル。私は、芯から、この世界に感謝している。

 エレンの優しさも、メアの思慮深さも、トラッシュの聡さも。私を支えてくれた。

 それだけで、と思うかもしれない。

 人を助けたいと思う理由なんて、時には、そんなささやかなものでいいのではないかと私は思うことにした」

「フェルノ」

「とくに、アストラル。君は私のことを……、とてもあたたかく見てくれている。その心が私の歪んだ魂に光をさし、ぬくもりを与えてくれた。

 私は……昨日、約束したように、この世界を守るために動くだろう。でも今の私には、その力は十分ではない」


 フェルノは戻っていた。男とか、女とか、そういう違いを越えて、二種類のフェルノは和合し、一つの結論に達していた。


「お願いだ、アストラル。どうか、どうか……、私を助けてほしい」


 助けを求める。そんな自分の発した言葉に驚きながらフェルノは続ける。アストラルは黙ってフェルノを見つめていた。


「明後日、魔神は復活する。復活した魔神は、私に呼び寄せられる。だから、その前に、私を環の国の中心へと連れて行ってもらいたい」

「なぜ、そのことを……」


 動揺するアストラルの反応から、フェルノは、魔神復活を知っているのかと勘繰った。それでも、明かせるだけの事実を告げようと、深く息を吸った。


「アストラル。私は魔物を引き寄せる体質を持っている。先日、学園上空に影の魔物が現れたのは私のせいだ。彼らは私を見に来たのだ」

 

 アストラルは瞬きもせずにじっとフェルノを見つめる。


「環の国で私が戦える場所は一か所しかない。私を召喚した聖堂。あそこならば、私は魔神と戦うことができる。宴の当日、どうにかして、私は聖堂へと行きたいんだ。 

 魔神は、必ず、私を襲いにくる」


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