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106,分断

 フェルノは、アストラルと会話し、トラッシュに質問し、メアとエレンと談笑する。言葉を交わし、交流を持てているはずなのに、今日もどこか取り残された気持ちを引きずっていた。


 女のフェルノが囲まれて笑んで答えている様を、男のフェルノが離れた場所で傍観する。そんな錯覚に時折襲われる。

 自分がいるのに、自分がいない。そもそも自分という人間がどんな人間なのか。その輪郭もはっきりしなくなっていた。


 リオンの嫌悪をなぞり確認してた、男のフェルノを確かめる手段も断たれた。ただ、今は、このひと時を楽しむふりをして、男のフェルノは息をひそめて待つ。


(私は何をしているのだろう……)


 まったく別の人生を演じているような感覚。男のフェルノとして生きてきた時間がまるで夢であったかのような奇妙な感覚。その間を行ったり来たり振り子のように揺れている。




「フェルノ、フェルノ。大丈夫」

「……エレン……」

 名を呼ばれ、はっと気づく。


「何か気になることでもあって?」

「いえ、ぼんやりしていただけよ」


「休む? 無理しなくていいのよ。体調悪かったら言ってね」

 エレンが心配そうに声をかければ、メアも続く。


「いつも、ありがとう。メア、エレン」

 微笑すれば、女の子の二人の表情も安堵する。


 つたない笑顔の、素直な反応に、フェルノは戸惑う。


 微笑とは、本心を覆い隠す時の手段でしかなかった。それを向けられて、誰かが安堵する。侍女のように嬉しそうにしてくれる。微笑とはそういうものなのかと始めて知る。

 

 フェルノは笑ったことがなかったのではないかと自身を疑う。今まで、心から楽しいや嬉しいと表現したことがなかったかのように思えてきた。

 笑顔とは、こんなにも人の気持ちに寄り添うものなのだろうか。


「本当に、ありがとう」

 小さな謝辞とともに柔和な微笑を浮かべていた。


 フェルノは、メアやエレンの小さな言葉と仕草を通して、狭い世界で肩寄せ合って生きている人々の優しさに撫でられる。それにより、身近な人を勘繰って過ごしていた頃に培われた尖りが徐々に滑らかになっていっていることに気づいてはいなかった。




 昼の時間になり、ランチをかこむなかでアストラルが告げた。


「水を差すようで申し訳ない。明日はフェルノはこちらには来れないんですよ」


「えっ?」

「そうなの」

「だろうな」


 メアとエレンが驚き、トラッシュが納得する。


「宴の準備だからですね」

 すかさず、トラッシュが付け足した。


「宴が明後日だもの、明日はまだ時間があると思っていたのに……」

「仕方ないわ、メア。フェルノ様にも準備があるのよ。晴れの舞台ですもの」


「ああ、そんな宴に行けないなんて、なんて嘆かわしいの」

「大人の宴に子どもが出て行ってもおかしいもの。私だって残念よ」


「ごめんよ。メアにエレン。それにトラッシュ。どうしても、しばらくはフェルノには会えないんだよ」

「分かっているわ、アストラル。フェルノは聖女様よ。今まで、このように自由に会うことができた方がおかしいのよ」


「ごめんね、エレン。私もとても残念です……」

 がっかりするメアとエレンを見て、フェルノもぽつりとこぼす。


「フェルノも聞いてなかった?」

「ええ、メア。寝耳に水です」


「フェルノには戻ってからお伝えする予定でした。

 急なことなので、伝えられることも限られていて……。私からみんなに言えることはここまでなんです。これ以上は詮索しないでもらいたい……悪いのだけど……」

 アストラルが語尾が重々しく消える。


「急にばたばたしてきましたね」

「そうなんだ、トラッシュ」

 アストラルはため息を吐く。


「重ね重ね、すまない。許してほしい、メア」

「こればっかりはアストラルのせいではないわ。私だって、そこまでわがままで融通がきかないわけじゃないのよ」


(宴を開きながらも、魔神が復活することを知っているのだろうか)


 知っていてもおかしくないなとフェルノは考える。

 知っていて、なぜ開くのか。フェルノには見当もつかない。


「宴が終わったら、遊びに行けたらいいわね。フェルノ」

「そうね、エレン」

「楽しい場所、紹介するからね」

「ありがとう、メア」


 宴の席ではきっと何かがあるのだとフェルノは静かに確信した。



 フェルノにとって静かな時間が過ぎてゆく。

 メアとエレンはあたたかく、ただゆったりとした時間を共有してくれる。フェルノは何気ない時間をぬくもりをもって共有する喜びをはじめて知った。


 暗殺を予感させる危機意識はフェルノが思うより、刺々しい内面を作っていたのだろう。狙われる恐れ、挑発と牽制。どれも、融和的な感情を伴わない。

 なぜ、そんな空虚で痛い関係を、リオンやアノン、ライオットと結ばなければいけなかったのか。フェルノはそれが口惜しかった。もっと彼らとも話をして、こういう実のある時間を共有したかった。二年という時間があれば、それができたのではないかと思った。


 人と触れ合うことがこれほどまで穏やかなものかと、目の前にいる四人の交流から学んでいた。

 無力な女のフェルノだから、学べているのかもしれない。


 力があって、よりどころがある男のフェルノなら、結局は力に寄り縋っていただろう。強い自分を意識すれば、立っていられた。力に支えられ、すくっている内的な弱さから目を背けられた。


 強さを持って弱さを隠す。隠匿するために使う力とはなんと虚しいものか。挑発、牽制するために魔物を屠った。その様を見て、唖然とする感情を隠した三人を眺める。


 強さが虚しいなど、思いもよらなかった。

 今はそんな強さをはぎとられ、弱さがむき出しとなっている。まるでぱっくりと傷があいているようなのに、そこに誰も塩を塗らない。

 

 むき出しの弱さに寄り添ってくれる人がいる。


 人とはこんなにも暖かいものなのかと、フェルノはじんわりと熱くなる。

 

 昨日の夜、アストラルと約束したことをフェルノは思い出していた。


 この世界を守る、と。


 約束はフェルノ自身。


 力をもって守るのは、目の前の大切な人であり、その大切な人のなかに、約束という形を変えた自分がいることを薄っすらとフェルノは感じ始めていた。


 約束をはたすため、ひいては約束という名の自分を大切にするために、フェルノは待つ。


 出来ることなら、もう一度、今度は彼らと出会う時は、友人として、あの三人と向き合うことができたらいいのにと、フェルノは願うまでになっていた。


 女のフェルノは弱い。弱さの中で学んだことが、男のフェルノに少しずつ浸透して、溶けあっていくようであった。



 

「フェルノ様、今日は楽しかったですか」

 帰り際、アストラルはフェルノに訊ねた。

「はい。とても楽しかったです」

 

 フェルノが笑むと、アストラルもまた、心底嬉しそうにはにかんだ。


「夜はいかがします? 今日も、星を見られますか」

「いいですね、昨日は……」


 どう答えようかと惑う。思い出すのは、暖かいぬくもりばかりであった。


「とても、楽しかったです」


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