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39 ヴェルデライト・アレク・ティーゼという神童



「素晴らしい! さすが、ティーゼ家のご子息であらせられる!」


「9歳でこの力だ。成長すれば世界一の魔術師になるに違いない!」


 大人たちが口々に褒め称える。

 誰も彼も言うことは一緒。

 凄い、天才だ、もう教えることなんてない。

 将来は天才魔術師として国家の最前線に立つだろう。

 いやいや、魔術研究のエキスパートとして学会を率いていくに違いない。


 本人の意思とは無関係に話が進んでいく現状。

 顔も名前も知らない親戚が、ぜひうちの子を嫁にとやってくる。

 誰もヴェルデライト自身から話を聞こうとしない。

 将来は何がやりたいのか、そんな話を聞いてくれる人はどこにもいなかった。


 母親を除いて。


「こっちにおいで、ヴェル」


「はい」


 幼いヴェルデライトの体を抱きしめたのは、母リリーだった。

 魔術学の名門・ティーゼ家に嫁いできた女性だ。

 紅蓮のような長い髪が特徴で、儚げで美しい。あまり意見を言うタイプではなく、影からそっと見守ってくれるような雰囲気。

 母親としてはとてもいい人だった。

 前世の記憶さえなければ、素直に甘えることができたのだろうか。

 正直ヴェルデライトは、彼女にどう接していいか分からなかった。


 ──僕の母親は五百年以上前に死んだ。


 そういう意味では、彼女は二人目の母親だ。

 いつになっても母親とは直感が鋭い生き物で、息子のよそよそしい雰囲気に気づいた。

 なにかある度に、彼女はこう言う。


「私はあなたを愛しているわ。それだけは忘れないでね」


 ヴェルデライトは、一度も彼女の目を見て頷くことが出来なかった。





 朝、ヴェルデライトは支度をする。

 最近、陣痛のひどい母リリーはベットからまともに動けていなかった。もともと線の細い人だから、今回も難産かもしれないなんて、メイドたちが言っていた。

 名前は……なんと言ったか、確かファニーだったか。

 正直、あまり興味ない。

 むしろ可哀想とさえ思っていた。

 優秀すぎる兄と比べられ、九つ離れた妹はさぞ辛い思いをするだろう。

 

 自分が他人に同情するような人間でないことは自覚していた。

 もともと好きなのは人間ではなく魔術の研究。

 色々な本を読んで知識を得たくて、今でもうずうずしている。

 

 だから、浮遊城アヴィアンヌの気配を感じた時は驚いた。

 五百年ものあいだ大空を飛び続けているなんて、例え自分が設計者でも驚くに決まっている。

 

 あぁ、早くこんな家を飛び出してアヴィアンヌに乗り込みたい。

 世界中を見て回って、色んなものを手記にしたためるのだ。


 家庭教師の授業なんて、他のことを考えながらでも理解できた。

 あと少しだ。あと少しで、妹が生まれる。

 そしたら、家族全員の記憶をいじってこの家から出ていこう。

 ヴェルデライト・アレク・ティーゼは死んだことにして、ティーゼ家は妹のファニーに任せればいい。


 そうして。


「生まれたぞ!! 良かったなヴェルデライト!! 可愛い妹だぞ!!」


 父レオナはティーゼ家の三男坊のせいか、お調子者だった。変な動きをしたりして笑わせてこようとする人だった。十時間もの格闘のすえ、ようやく妹が産声を上げた時は、彼は涙を流して喜んでいた。

 ヴェルデライトも、母リリーが死ななくてよかったと思っていた。

 

 ようやくヴェルデライトが母と妹の顔を見ることが出来たのは、一週間後だった。


「あなたの妹よ。可愛いでしょう?」


「…………」


 手をのばすと、妹は小さな手で握り返してくれた。

 ほんのちょっぴりだけ、可愛いと思った。


 ファニーが生まれたあとも、ヴェルデライトの日常は相変わらずだった。

 歴史の勉強をして、魔術の勉強をして、ダンスの勉強をして、日替わりで変わる許嫁候補とお茶会をして。


 退屈で、退屈で。


 でも、妹のファニーを見ていると、少しだけ荒んだ心が柔んだ。

 これが赤ん坊という存在の凄さなのだろうか。

 

 妹が生まれたら、すぐに家を飛び出してやろうと思っていたけど。

 もう少しだけ、このティーゼ家にいても良いじゃないかと思っていた。

 お調子者の父の変顔はつまんないけど、たまに面白いときもあって。

 相変わらず息子の思っていることをズバリと良い当てる母は、やっぱりすごいなと思っていたから。


 もう少しだけ。

 退屈でつまらなくて、だけどちょっぴり楽しい。

 そんな貴族の日常というやつを、謳歌したいと思っていた。


 けれど──


「火事だ!! ティーゼ家の別邸が燃えているぞ!!」


 その日、屋敷は業火に包まれていた。

 なぜ、どうして。

 混乱に近い怒りがヴェルデライトの脳を支配していく。

 どうやら無意識で、魔術を発動していたらしい。

 空に暗雲が立ち込め、別邸の火どころか街全体を破壊しかねない暴風雨が沸き起こった。

 

 9歳のヴェルデライトに、他人を気にしている心の余裕はなかった。


 もっと早く気づいていれば──


「父さん、母さんっ! ファニー!!!!」


 全焼だった。

 誰が誰かも判別できないような焼死体がいくつも転がっている。

 ただ、書斎で父レオナと思われる亡骸を発見した。


「…………母さん、ファニー…………」


 次に、母リリーと思われる亡骸を発見した。

 ヴェルデライトは、その場で泣いた。

 もっと笑っておけばよかった。

 目を見て話してあげればよかった。

 

 なんで。

 

 なんで今になって気づくんだろう。

 どうして今さら、こんなに愛が溢れてくるんだろう。

 これならいっそ。


「もっと早く家を出れば良かった」




 …………どこからか赤ん坊の泣き声がした。




 震える体を叩き起こして、ヴェルデライトは四つん這いで寄り添う。

 水の結界に包まれたそのなかに、何かを布でくるんだ籠があった。 

 そっと開けてみると──


「ファニー…………」


 小さな小さな、妹がいた。

 きっとこの魔術は、リリーがファニーを守るために作ったもの。

 彼女は、自分の命より娘の命を選んだのだ。

 

 神童ヴェルデライトは、そっと妹を抱き上げた。


 そして、行動を開始する。

 ────親を殺した犯人を地獄の業火で焼き尽くすために。


「…………展開」


 十八にも及ぶ赤色の魔術印が、神童を取り囲むように現出した。

 全焼した家に残る魔力の残滓に目印をつけ、街全体を範囲設定して持ち主の座標を絞る。

 

「いた」


 転移魔術を使用し、一気に犯人の目の前へ。


 

 



 その日、とある工場一帯は燃え盛る炎で包まれていた。

 

 

 

 


 死者は、ティーゼ夫妻の家に火をつけた犯人のみだったと言われている。

 研究者である父レオナの助手だった男。

 動機は、ささいな研究方針の違いだったらしい。

 


 

 





 犯人を殺したところで、ヴェルデライトの心が癒えるわけではなかった。

 むしろ虚しい。

 隠れるように、アヴィアンヌに乗り込んで。


 ただ、9歳のヴェルデライトに赤子の育て方は分からなかった。


 ファニーはまだ生まれて一年も経っていない。

 本当なら、母親から母乳をもらって育つはず。


 地上の女を一人見繕って、世話をさせるのはどうだろう。

 でも、ダメだった。


 すでに、ヴェルデライトの心はボロボロだった。

 見る人間がすべてファニーに危害を与える人間にしか見えない。自分以外の人間がファニーを抱っこすると考えただけで、怖かった。


 だから、自分ひとりでなんとかしようと考えた。


 幸い、ヴェルデライトは天才だった。

 母乳の成分を調べ、それを忠実に再現することに成功した。

 ただ、本当に赤ん坊の世話というのは大変だった。

 寝かせてくれない。泣き止まない。何にグズっているのか分からない。


 その連続だった。


「母さんは……こうやって僕を育ててくれたんだな」


 そうこうしているうちに。

 いつの間にかファニーは喋れるようにまで成長していた。

 地上から離れてもう3年。


 ファニーは3歳。


 ヴェルデライトは12歳になっていた。


 このころ、《人知らぬ大樹(ノアース)》に住んでいた真っ白いワンコが城に来るようになった。大型犬にしても大きい。どこから来たのだろうと思ったけれど、犬に聞いても仕方ないので、流しておいた。


 大きくてフサフサのワンコは、妹とよく遊んでくれている。

 じゃれ合うところは、荒んだ心が洗われていくようで、とても和んだ。

 

 まあ、そのワンコが自分に懐く様子はなかったが。


「お兄たま!!」


 最近、ファニーは自分のことをお兄たまと呼んでくる。なぜお兄たまなのだろう。もしかして、お兄様と呼びたいんだろうか? お兄ちゃんでいいよといっても、妹はずっと「お兄たま」と連呼している。


 もう、妹はそこらじゅうを走り回ってたんこぶを作り、そのたんこぶを自分で治すという離れ業をやっていた。どうやら妹は、回復魔術が得意らしい。そのときはずっと、「なおれぇえ、なおれぇ」と呟いているから、はたから見てると面白かった。


 荒んだ心が洗われるようだった。

 ファニーを見ているだけで元気がでた。

 一生かけて守ろうと思った。


「お兄様!! たぬ吉と遊んできます!!」


 白いワンコのことをたぬ吉と呼ぶようになって、早数年。

 ファニーは10歳になっていた。

 紅蓮のような赤色の髪は、母親にそっくりだと思った。


 けれどそのうち、ファニーは外の世界に興味を持つようになった。

 当たり前だ。

 生まれてからずっと、アヴィアンヌから出たことがないのだから。


「お兄様は、こんな穴ぼこだらけのアヴィアンヌのまんまでいいんですか? 地上に落ちたパーツを見つけて、アヴィアンヌを完成させる夢を追わなくていいんですか?」


 ファニーは、とても大きくなった。

 外の世界は残酷で、汚い大人がいっぱいだからといって、檻に閉じ込めておくには限界がある。

 だからヴェルデライトは、決意した。


「一緒にアヴィアンヌのパーツを見つけよう」


 と。


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