39 ヴェルデライト・アレク・ティーゼという神童
「素晴らしい! さすが、ティーゼ家のご子息であらせられる!」
「9歳でこの力だ。成長すれば世界一の魔術師になるに違いない!」
大人たちが口々に褒め称える。
誰も彼も言うことは一緒。
凄い、天才だ、もう教えることなんてない。
将来は天才魔術師として国家の最前線に立つだろう。
いやいや、魔術研究のエキスパートとして学会を率いていくに違いない。
本人の意思とは無関係に話が進んでいく現状。
顔も名前も知らない親戚が、ぜひうちの子を嫁にとやってくる。
誰もヴェルデライト自身から話を聞こうとしない。
将来は何がやりたいのか、そんな話を聞いてくれる人はどこにもいなかった。
母親を除いて。
「こっちにおいで、ヴェル」
「はい」
幼いヴェルデライトの体を抱きしめたのは、母リリーだった。
魔術学の名門・ティーゼ家に嫁いできた女性だ。
紅蓮のような長い髪が特徴で、儚げで美しい。あまり意見を言うタイプではなく、影からそっと見守ってくれるような雰囲気。
母親としてはとてもいい人だった。
前世の記憶さえなければ、素直に甘えることができたのだろうか。
正直ヴェルデライトは、彼女にどう接していいか分からなかった。
──僕の母親は五百年以上前に死んだ。
そういう意味では、彼女は二人目の母親だ。
いつになっても母親とは直感が鋭い生き物で、息子のよそよそしい雰囲気に気づいた。
なにかある度に、彼女はこう言う。
「私はあなたを愛しているわ。それだけは忘れないでね」
ヴェルデライトは、一度も彼女の目を見て頷くことが出来なかった。
◆
朝、ヴェルデライトは支度をする。
最近、陣痛のひどい母リリーはベットからまともに動けていなかった。もともと線の細い人だから、今回も難産かもしれないなんて、メイドたちが言っていた。
名前は……なんと言ったか、確かファニーだったか。
正直、あまり興味ない。
むしろ可哀想とさえ思っていた。
優秀すぎる兄と比べられ、九つ離れた妹はさぞ辛い思いをするだろう。
自分が他人に同情するような人間でないことは自覚していた。
もともと好きなのは人間ではなく魔術の研究。
色々な本を読んで知識を得たくて、今でもうずうずしている。
だから、浮遊城アヴィアンヌの気配を感じた時は驚いた。
五百年ものあいだ大空を飛び続けているなんて、例え自分が設計者でも驚くに決まっている。
あぁ、早くこんな家を飛び出してアヴィアンヌに乗り込みたい。
世界中を見て回って、色んなものを手記にしたためるのだ。
家庭教師の授業なんて、他のことを考えながらでも理解できた。
あと少しだ。あと少しで、妹が生まれる。
そしたら、家族全員の記憶をいじってこの家から出ていこう。
ヴェルデライト・アレク・ティーゼは死んだことにして、ティーゼ家は妹のファニーに任せればいい。
そうして。
「生まれたぞ!! 良かったなヴェルデライト!! 可愛い妹だぞ!!」
父レオナはティーゼ家の三男坊のせいか、お調子者だった。変な動きをしたりして笑わせてこようとする人だった。十時間もの格闘のすえ、ようやく妹が産声を上げた時は、彼は涙を流して喜んでいた。
ヴェルデライトも、母リリーが死ななくてよかったと思っていた。
ようやくヴェルデライトが母と妹の顔を見ることが出来たのは、一週間後だった。
「あなたの妹よ。可愛いでしょう?」
「…………」
手をのばすと、妹は小さな手で握り返してくれた。
ほんのちょっぴりだけ、可愛いと思った。
ファニーが生まれたあとも、ヴェルデライトの日常は相変わらずだった。
歴史の勉強をして、魔術の勉強をして、ダンスの勉強をして、日替わりで変わる許嫁候補とお茶会をして。
退屈で、退屈で。
でも、妹のファニーを見ていると、少しだけ荒んだ心が柔んだ。
これが赤ん坊という存在の凄さなのだろうか。
妹が生まれたら、すぐに家を飛び出してやろうと思っていたけど。
もう少しだけ、このティーゼ家にいても良いじゃないかと思っていた。
お調子者の父の変顔はつまんないけど、たまに面白いときもあって。
相変わらず息子の思っていることをズバリと良い当てる母は、やっぱりすごいなと思っていたから。
もう少しだけ。
退屈でつまらなくて、だけどちょっぴり楽しい。
そんな貴族の日常というやつを、謳歌したいと思っていた。
けれど──
「火事だ!! ティーゼ家の別邸が燃えているぞ!!」
その日、屋敷は業火に包まれていた。
なぜ、どうして。
混乱に近い怒りがヴェルデライトの脳を支配していく。
どうやら無意識で、魔術を発動していたらしい。
空に暗雲が立ち込め、別邸の火どころか街全体を破壊しかねない暴風雨が沸き起こった。
9歳のヴェルデライトに、他人を気にしている心の余裕はなかった。
もっと早く気づいていれば──
「父さん、母さんっ! ファニー!!!!」
全焼だった。
誰が誰かも判別できないような焼死体がいくつも転がっている。
ただ、書斎で父レオナと思われる亡骸を発見した。
「…………母さん、ファニー…………」
次に、母リリーと思われる亡骸を発見した。
ヴェルデライトは、その場で泣いた。
もっと笑っておけばよかった。
目を見て話してあげればよかった。
なんで。
なんで今になって気づくんだろう。
どうして今さら、こんなに愛が溢れてくるんだろう。
これならいっそ。
「もっと早く家を出れば良かった」
…………どこからか赤ん坊の泣き声がした。
震える体を叩き起こして、ヴェルデライトは四つん這いで寄り添う。
水の結界に包まれたそのなかに、何かを布でくるんだ籠があった。
そっと開けてみると──
「ファニー…………」
小さな小さな、妹がいた。
きっとこの魔術は、リリーがファニーを守るために作ったもの。
彼女は、自分の命より娘の命を選んだのだ。
神童は、そっと妹を抱き上げた。
そして、行動を開始する。
────親を殺した犯人を地獄の業火で焼き尽くすために。
「…………展開」
十八にも及ぶ赤色の魔術印が、神童を取り囲むように現出した。
全焼した家に残る魔力の残滓に目印をつけ、街全体を範囲設定して持ち主の座標を絞る。
「いた」
転移魔術を使用し、一気に犯人の目の前へ。
その日、とある工場一帯は燃え盛る炎で包まれていた。
死者は、ティーゼ夫妻の家に火をつけた犯人のみだったと言われている。
研究者である父レオナの助手だった男。
動機は、ささいな研究方針の違いだったらしい。
◆
犯人を殺したところで、ヴェルデライトの心が癒えるわけではなかった。
むしろ虚しい。
隠れるように、アヴィアンヌに乗り込んで。
ただ、9歳のヴェルデライトに赤子の育て方は分からなかった。
ファニーはまだ生まれて一年も経っていない。
本当なら、母親から母乳をもらって育つはず。
地上の女を一人見繕って、世話をさせるのはどうだろう。
でも、ダメだった。
すでに、ヴェルデライトの心はボロボロだった。
見る人間がすべてファニーに危害を与える人間にしか見えない。自分以外の人間がファニーを抱っこすると考えただけで、怖かった。
だから、自分ひとりでなんとかしようと考えた。
幸い、ヴェルデライトは天才だった。
母乳の成分を調べ、それを忠実に再現することに成功した。
ただ、本当に赤ん坊の世話というのは大変だった。
寝かせてくれない。泣き止まない。何にグズっているのか分からない。
その連続だった。
「母さんは……こうやって僕を育ててくれたんだな」
そうこうしているうちに。
いつの間にかファニーは喋れるようにまで成長していた。
地上から離れてもう3年。
ファニーは3歳。
ヴェルデライトは12歳になっていた。
このころ、《人知らぬ大樹》に住んでいた真っ白いワンコが城に来るようになった。大型犬にしても大きい。どこから来たのだろうと思ったけれど、犬に聞いても仕方ないので、流しておいた。
大きくてフサフサのワンコは、妹とよく遊んでくれている。
じゃれ合うところは、荒んだ心が洗われていくようで、とても和んだ。
まあ、そのワンコが自分に懐く様子はなかったが。
「お兄たま!!」
最近、ファニーは自分のことをお兄たまと呼んでくる。なぜお兄たまなのだろう。もしかして、お兄様と呼びたいんだろうか? お兄ちゃんでいいよといっても、妹はずっと「お兄たま」と連呼している。
もう、妹はそこらじゅうを走り回ってたんこぶを作り、そのたんこぶを自分で治すという離れ業をやっていた。どうやら妹は、回復魔術が得意らしい。そのときはずっと、「なおれぇえ、なおれぇ」と呟いているから、はたから見てると面白かった。
荒んだ心が洗われるようだった。
ファニーを見ているだけで元気がでた。
一生かけて守ろうと思った。
「お兄様!! たぬ吉と遊んできます!!」
白いワンコのことをたぬ吉と呼ぶようになって、早数年。
ファニーは10歳になっていた。
紅蓮のような赤色の髪は、母親にそっくりだと思った。
けれどそのうち、ファニーは外の世界に興味を持つようになった。
当たり前だ。
生まれてからずっと、アヴィアンヌから出たことがないのだから。
「お兄様は、こんな穴ぼこだらけのアヴィアンヌのまんまでいいんですか? 地上に落ちたパーツを見つけて、アヴィアンヌを完成させる夢を追わなくていいんですか?」
ファニーは、とても大きくなった。
外の世界は残酷で、汚い大人がいっぱいだからといって、檻に閉じ込めておくには限界がある。
だからヴェルデライトは、決意した。
「一緒にアヴィアンヌのパーツを見つけよう」
と。




