37 枯れゆく大樹
屋外にいるファニーは、リルムやタリマン達と一緒に移動していた。
ついさきほど、ヴェルデライトの魔術によって外に転移されたばかりだ。
マスティマの攻撃で動けないロザー元国王は、タリマンの部下に任せている。治療中、息を切らしたニーチェがやってきたのだ。
ギミック国王がリルムたちの命を狙っていたことだって、まだ頭が追いついていないのに。
次は、ドラの木が急速に枯れているとのこと。
「リルム様、ドラの木は一刻も猶予もありません! はやく車へ!」
「分かっておる!」
ニーチェに促され、車に乗り込む。
四輪駆動車が出せる限界のスピードで走って、ドラの木に向かった。
「ドラの木が枯れ始めるのと同時に、あちこちの植物が枯れ始めました。おかげで国中のエルフたちがパニックに陥っています」
「ギミックの仕業じゃな。あやつめ、余計なことをしよって」
車窓部から見えるだけでも、青々と茂っていた木々がしなびれてしまっている。
いくらなんでも枯れるスピードが早すぎる。
それだけ、ドラの木が周りの自然に与える影響が大きいのだろうか。
後部座席からタリマンが顔を覗かせた。
「その栄養剤で何とかできるのか?」
「わからん。これはもともと、外の大地に緑を根深せる計画で、ティーゼが作ったものじゃ。弱ったドラの木を治せるかどうかは不明じゃ。だからといって、このまま何もしないわけにはいかないじゃろ」
リルムが持っている栄養剤を、ドラの木に打ち込む。
ドラ自身が持つ生命力に賭けるしかないのだ。
「着きましたよ!」
「急げ!!」
つい先日まで葉っぱが残っていたはずなのに、今はもう見る影もない。
ウルガの幼虫に食い荒らされてしまった根っこが痛々しい。
寒々としたドラの木は、着実に死へと突き進んでいた。
リルムは注射器を準備する。
巨大な木に打つには、いささか不安な小さめサイズ。
でも、効果はあるはずだ。
薬の完成をリルムが手放しで喜んでいたのを、ファニーは見ていた。
──だから、きっと!
「どうじゃ!!」
すべての栄養剤を打ち込み終え、見上げるリルム。
しかし、何も変わらなかった。
試験した植物では、すぐに細胞が活発化して成長を始めたというのに。
栄養剤ではドラの木を回復させるような働きはないのか?
それとも量が足らないというのだろうか。
ニーチェとタリマンの表情が曇っていく。
リルムは口もとに手を当てながら、嗚咽のような声を挙げている。
何の反応も示さないドラは、その代わりとでもいうように軋む音を激しくさせた。
メキメキッと裂けるような高い音が響き、細かい枝が降ってくる。
いまファニー達がいる頭上に、かなり太い木の枝があった。
それが、根本から折れた。
あまりの衝撃でファニーは目を瞑ってしまう。
再び目を開けて見た光景に、悲鳴を上げたくなった。
「ニワトリさん!」
背中を潰され、足に枝が突き刺さっているタリマン。
温かい血がとめどなく溢れていく。
彼は、リルムを庇って怪我を負ったみたいだ。リルムが太い枝を重力魔術で押しのけ、青い顔のタリマンに呼びかけている。
「タリマン!! しっかりするのじゃ、こんなところで死ぬな!!」
「ファニーが治します」
こんなときこそ冷静に。
逸る鼓動を押さえながら、震える手で回復魔術を施す。
ぱっくり開いた背中の傷を、暖かな光が覆っていく。傷が塞がったので、とりあえず成功。
安堵の表情を浮かべるファニーに、タリマンは不思議そうに治った足を見ていた。
「奇跡みたいだ。こんな大怪我を一瞬で治せる魔術師なんて初めて見た。ありがとうな」
「タリマンもそうですが、みなさん動けますか? 移動したほうがよさそうです。ドラの木は、まもなく崩壊します」
「分かっておる」
ニーチェに促されるように、離れた場所からドラの木を見守る。
「母なるドラが…………」
木の形を保てなくなるまで、大した時間はかからなかった。
轟音とともに崩れていく国の象徴。
誰も、ドラの木を回復させることができなかった。
二千年の時を生き続けた大樹を、守ることが出来なかった。
いずれ、国中の植物が枯れてしまうだろう。豊かな生態系を保つことが出来たのは、母なる木があったおかげ。命の源が潰えた今、この地域全体は灰色の大地と化すだろう。
「わん!!」
すすり泣きすら聞こえる場に、どこかからか犬の鳴き声が響いていた。
「たぬ吉」「犬ぼう……」
全速力で走ってきたたぬ吉は、ファニーとリルムの傍に来ると、慈しむように体をこすりつける。
アヴィアンヌでお留守番するように言ってきたのだが、どうしてここにやって来たのだろうか。
「うぅうぅ……」
たぬ吉に顔を埋め、リルムが泣いている。
泣き虫なくせに、人には見られたくない彼女らしい。
ファニーも、泣いてしまいそうだった。
泣いても意味はないのに。
──ドラが死んじゃった。
──ここの植物はみんな枯れてしまう。
そう、ドラは死んでしまったのだから。
「……………あれ?」
全身を駆け抜けた一筋の希望。
これだ、とファニーは思った。
「どうしたのじゃ、ファニーよ」
「リルム! 大丈夫なのですよ、この国を救う方法がまだあります!」
たぬ吉を見るまで忘れていた。
ドラの木と、浮遊城アヴィアンヌの関係性を。
「しかし、ドラの木はもう死んでしまったのじゃぞ。生き返らせる方法なんて……」
「生き返らせるんじゃありません、増やせばいいのですよ! アヴィアンヌにはドラの子どもがいるじゃないですか! 《人知らぬ大樹》はドラの子どもなのですよ!」
「そうか、そういうことか! でかしたぞ、ファニー!! そうとあれば、さっそくアヴィアンヌに戻って」
「わんっ!」
リルムの言葉を、上を見て吠えたたぬ吉が遮る。
「犬ぼうが連れてきてくれたのか?」
「きっとアヴィアンヌがドラのピンチに駆けつけたのですよ」
見上げても全容が計り知れないような、巨大な城。
浮遊城アヴィアンヌが、悠然と空に浮かんでいる。
「一緒に行きましょう、リルム!」
「ああ」
リルムの重力魔術で空中に浮かび上がり、アヴィアンヌに乗り込む。
たぬ吉が寝床にしている森に入って、ノアースの木のもとへ。
いい太さの枝を取ってから、すぐに戻る。
枯れたドラの木の根に近づいた。
そして、ノアースの枝を植える。
「ファニーが回復魔術をかけます」
「回復じゃと? なぜそんなことを──」
回復魔術の本来の原理は、対象の自己修復能力を活性化させるもの。
言い換えるならば、新しい細胞を増やしてより強固な組織を作るものだ。
ファニーは、誰よりも回復魔術に才能があった。
天才の兄すら凌駕するその力があれば──
「な、なんかすごくでかくなっておるぞ!!」
ノアースの子どもは、急激な成長を遂げる。
みるみるうちに枝葉を伸ばし、幹を太らせ、どんどん上へと伸びていく。
「ドラの木の養分をすべて吸い尽くしておるのじゃ。だからってこんなに…………」
深い緑色の葉の先に、可愛らしいピンク色の蕾ができていた。
ゆっくりと花弁を開いたソレは、やがて満開の花を咲かせる。
奇跡のような、美しい大樹だった。
「ファニー! リルムさん!」
向こうからやって来たヴェルデライトが、肩で荒い息をしている。
「ギミックはどうしたんじゃ!?」
「何とか縛ってきたよ。あとのことは軍の人に任せた。それよりも、これはいったい」
「ファニーのおかげじゃよ。ファニーの機転が、この国を救ったのじゃ」
「えへへ…………」
「よく頑張ったね」
兄に撫でられて、ファニーはつい頬を赤くしてしまう。
褒められて素直に嬉しかったけれど、地響きみたいな足音が聞こえて、思わずそちらを見る。
エルフの民たちだった。
しかも、大博覧会の会場でリルムたちの演説を聞いていた者たちだ。
「ドラの木に、新たな生命が芽吹くなんて……」
死んだドラの木を苗床にして、新しくそびえ立つ大樹の存在を見ている。
「リルム様…………」
民の一人が、前に進み出て、膝を折った。
深々と頭を下げている。
「あの演説で私どもは心を奮い立てられました。リルム様は昔から、国のために尽力してきたというのに、私どもはあなた様を裏切り者だと決めつけ、ギミック国王の言う通りに罵っていたのです。どうか、今までの無礼をお許しください」
そうすると、民衆が次々を膝を折り曲げて平服した。
「そうだ、あのリルム様が国を裏切るはずがない……」
「我々はなぜ……リルム様にあんなひどいことを……」
「我々は目が覚めました。やはり、この国にはリルム様の力が必要なのです。どうか王女、我々をお導きください」
その言葉に、リルムは「うむ」と、深々とうなずいた。
「当たり前じゃ。わらわはリルム・ベル・ウルク・リードリッヒ二世、誇り高き王の娘であるからな」




